ヒミツの恋をはじめよう
【6】ひとりじゃない
 小柴課長に呼び出されてから、私は現実が受け止められず、気づけば木曜日になっていた。
(補佐のことも考えなきゃいけないし、土曜日にはデートも迫ってるし、どうしたらいいの・・・)
 どうして私はこんなにも追い詰められているのだろうかと窓の外をぼうっと眺めていると、ちょうど通り掛かった笹原さんに声を掛けられた。
「藤森さん、どうしたんですか?顔色があまりよくないようですけど」
「・・・大丈夫ですよ」
 口角を無理やり上げただけの笑顔を貼り付けてそう答えると、彼はずいずいと私に身を寄せ顔を近づけてきた。
(えっ、近い・・・!)
「大丈夫って言う人は、たいてい大丈夫じゃないんです」
 目を細めた彼は私の顔をじっと見つめ、少し怒った表情をしている。
 図星を指された私は何も言い返すことができず「うっ」と小さく呻き声を出す。
「ほぼ毎日顔を合わせているんですから、藤森さんが不調だなってことくらい俺にも分かります。こんなクマ、月曜日にはありませんでした」
「すみません・・・」
 化粧では隠し切れなかったクマを隠そうと俯き、小さく溜息を零すと、彼は私の隣に腰を下ろした。
「俺でよかったら、相談に乗りますよ」
「え?」
 頭上からひどく優しい声音が聞こえ、ゆっくりと顔を上げ声の先を見ると、心配そうな表情の彼と目が合った。
「もちろん、藤森さんがよかったら、なんですけど」
 そう言った後、少し照れ臭そうに笑う彼につられて、私自身の頬がわずかに火照った気がした。
(悩みを聞いてもらうくらいだったら・・・ううん、これは私自身の問題だから)
「ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから!最近眠れていないだけなので、お気持ちだけ受け取っておきます」
 “心配しないで”という気持ちを込めて微笑むと、彼は少し残念そうにしていたものの「分かりました」と頷いてくれた。
「でも、無理は禁物ですよ。俺はあなたの味方です」
 ひまわりが咲いたような明るい笑顔で言われたその言葉に、なぜだか鼻の奥がツンとした。
(その言葉だけで頑張れる気がする)
「ありがとうございます」
「・・・ずるいなぁ」
「何か言いました?」
「何でもありません!今日も無理せず頑張りましょう!」
 真っ赤な顔をして席を立った彼が何かを呟いた気もするが、私の勘違いなのだろう。
彼に見送られながら、エレベーターへ乗り込み、五階のボタンを押す。
(いつまでも悩んでいられない、か・・・)
 よしっ!と自分に気合を入れ、営業部の扉を開いた。

 お昼休みにスマートフォンをチェックすると『デートの前に二人で立てた作戦のおさらいをしよう』と詩歩から連絡が来ていた。
 悩みの種以外に問題はなく、その日も定時で退社した私は、待ち合わせ場所である創作和食ダイニングへと向かう。お店の中へ入り通された個室には、既に詩歩と恭司くんが待っていた。
「お疲れ。ごめん、遅れちゃって」
「さっちゃんお疲れ~!時間通りだから大丈夫」
「さつきちゃん、お久しぶり」
「恭司くん、久しぶりだね。詩歩は土曜日ぶり」
 二人の正面に座った私がジャケットを脱いで席に座ると、詩歩が「ビール頼んでおいたから」と親指を立てている。
「ありがとう」
 タイミングよく現れた店員さんがビールとお通しを置いて出て行ったのを見計らい、三人で「乾杯」とジョッキを合わせる。
「生き返る・・・」
 ぷはっと半分ほど飲み終え、身体に染み渡った琥珀色の液体を感じながらしみじみと呟くと、恭司くんが喉を鳴らして、くつくつと笑っている。
「いつ見ても、さつきちゃんの飲みっぷりは気持ちがいいな」
「それはどうも」
 唇についた泡を拭っていると、スマートフォンが着信を告げた。誰からだろうと思い、手に取って見ると、送り主は「難波清人」であった。
「うっ」
 ついつい顰めっ面になってしまい、眉間の皺を指で伸ばす。
「あ、もしかして難波さん?」
 首肯で返し、メッセージの内容を確認したところ『お疲れさまです。当日の待ち合わせ場所ですが、地図を送ります。デート、楽しみにしてます。』と、土曜日のデートについての詳細連絡であった。
「難波って?」
「あ、恭司に名前までは言ってなかったね。この前さっちゃんに突然告白した人だよ」
「へえ・・・」
「どうかした?」
 思案するように腕を組み、天井を見つめている恭司に問い掛けるも「いや、なんでもない」と首を振って否定され「とりあえず、ご飯食べようか」とはぐらかされてしまった。その様子を少し不思議に思ったものの、詩歩は特に気にしていないようだったので、深くは考えないことにした。

「それで、もう決めたの?」
 デートの作戦をおさらいする前に週初めの出来事を話すと、詩歩から内示を受けるのかどうかを聞かれ、返答に困る。
「本当は断りたい、けど」
「けど?」
「小柴課長にはお世話になってるし、正直迷ってる」
 深い溜息を吐き、詩歩はもうお手上げだとばかりに項垂れている。
「恭司、何か言ってやって」
 ちびちびと日本酒を飲んでいた彼は「そうだねぇ」と言って、テーブルにお猪口を置いた。
「俺はやるべきだと思うよ」
「・・・それは上に立つ人間としての助言?」
「んー。もちろんそれもあるけど、俺がさつきちゃんと同じ立場にいたとしても、かな」
 恭司は大手薬品会社社長の次男として生まれ、現在は若いながらも課長職に就いている。社長令息ということもあり、父親のコネで昇進していると思われがちだが、彼は自らの努力で地位を築き上げてきた。
 以前の会社に勤めていた時には、上手くいかない仕事があるとアドバイスを貰っていた為、詩歩から恭司も連れて行くと連絡がきた時には、私を導いてくれるのではないかと少し期待していた。
「理由を聞いてもいい?」
「そう言うと思った」
 お酒が入りふわふわとした雰囲気となっていた彼が、真剣な表情で私を見つめ、口を開く。
「さつきちゃんは“昇進するつもりがない”って上司に言っていたにも関わらず、例の彼の下で働けって内示を出されてしまった。でも、上司にはお世話になっているし、その彼とは週末に“本当の自分の姿”で会わなければならず、どうしようかと悩んでいる。今までの話はこれで合ってる?」
「うん、合ってる」
「よかった。それでね、俺がさつきちゃんの上司だったらどうするかなって想像したんだけど、実力も能力も備わっている優秀な部下が“昇進したくない”と言っていたら、どうにかならないかって色々と考えると思う。本当だったら素直に“昇進して欲しい”とお願いしたいんだけど、さつきちゃんがそれを望んでいない。そこで折衷案として、係長の補佐役だったら“昇進”には当て嵌まらないから引き受けてくれるかな、と」
「・・・なるほど」
 頷きながら、恭司に先を促す。
「当然、上司はさつきちゃんと彼が週末デートをするなんて知らないわけだし、その彼だってCosmosで会った女性が自分の補佐候補だった、なんて知らないわけでしょ?」
「たぶん知らない、はず」
「だよね。仮にその彼とデートをするっていう約束をしていなかったら、今回の内示はどう捉えてたと思う?」
 うーん、としばし考えた後、ぽろっと言葉がこぼれ落ちた。
「承諾していたかもしれない」
「それはどうして?」
「昇進したくないって言っても、それはただの自分の我儘であって、いつかは何かを言われるかもしれないとは思っていたし・・・信頼している課長の頼みだったら、なおさら断らないと思う」
「俺も同感だよ。今回は偶然が重なって彼の補佐役をお願いされているわけだけど、それを抜きにして考えたら、さつきちゃんは内示を受けようって思えるんだよね?」
「それはそうだけど・・・」
 答えが出さずに言い淀んでいると、バンとテーブルを叩いて、詩歩が立ち上がった。
「もうさ!受けちゃいなよ!一カ月なんてあっという間だよ?それにデートだって一回だけって約束だし、きっと大丈夫だよ!」
 私を指差し、彼女は“ふん”と鼻を鳴らしている。
「詩歩飲みすぎ」
 私たちが話している間、ずいぶんと静かだなと思っていたら、詩歩は恭司が飲んでいた日本酒を飲み干していたようだった。
「大丈夫だって!そんなに心配しなくても、きっと上手くいく。もし難波さんにバレたらバレたで、また一緒に考えようよ!」
 何を根拠に上手くいくのかと言いたいところだが、酔っ払いに対して正論を返しても聞いてはくれないだろう。
「俺もそこまで心配しなくていいと思うな」
「恭司くんまで・・・」
「詩歩と俺を信じてみない?」
 二人からじっと見つめられ、私は大きな溜息を吐いた。
「・・・分かった。とりあえず一カ月だけやってみる」
「その調子!ついでにデートで、難波さんがどういう人なのかも見定めよう!」
 うふふと楽しそうに笑っている詩歩に“他人事だと思って”と呆れて見ていると、隣の恭司くんが「ごめんな」と苦笑いしていた。

 詩歩が酔い潰れて寝てしまった為、会はお開きとなった。デートについての作戦会議はできなかったが、それよりももっと大事な話ができたと思う。
(なんか心が軽くなったな)
 二人に相談できてよかったと思いながら、私は帰路につく。
(私は一人じゃない)
 詩歩も恭司くんも、そして笹原さんも私の味方だと言ってくれた。もし何かが起きたとしても、頼れる人がいるのだと思うだけで、少し強くなれる気がする。
 まずはデートを無事終えられるように、私は夜空の星に願いを唱えると、星のきらめきが微笑んでいるかのように見えた。
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