ヒミツの恋をはじめよう
【7】一度きりでは終わらせない
『待ち合わせはCosmosの最寄駅にしましょう』
木曜日に届いたメッセージを再度確認し、私は時間ぴったりに到着するよう、駅へと向かった。
 いつもの私であれば、予定時間の十分前にはその場に居られるように心掛けているが、詩歩から「さっちゃんが相手を待つ必要はない!相手を待たせるのよ!」と言われてしまった為、これも作戦の一つだと割り切って遂行する。
 午後十一時、駅東口側にあるモニュメントの前で佇んでいる人物を見つけた。
(立っているだけで絵になるな)
 難波さんは紺色のテーラードジャケットに白のVネックシャツ、黒のテーパードパンツに足元は白のスニーカーと、きっちりとした中にラフさが見える格好で、前を歩く女性たちの視線が彼に注がれているのが分かる。
(本当にこんな格好でよかったんだろうか・・・)
 「デートだからといって着飾る必要はない」という助言から、私はオフホワイトのシャツワンピースに七分丈のスキニージーンズ、足元は紺色のインヒールスニーカーと、至ってシンプルなスタイルで揃えてきた。
 今更家に戻って着替えるわけにもいかず、私は彼の元へと歩き出す。
「さつきさん、来てくれたんですね」
 私を見つけた難波さんが手を大きく振り、笑顔で私に声を掛ける。
「約束は守ります」
 仏頂面で答える私に対し、彼は笑顔を崩さない。
「ありがとうございます。さつきさんは本当に優しいですね」
「いえ、そんなことはないです」
 “だって、次はないですから”と告げられればよかったが、彼を前にしてしまったら言うのが憚られた。
「では、行きましょうか」
 駅で待ち合わせと言われた為、電車に乗ってどこかへ行くのかと思いきや、彼は改札口とは違う方向へと歩き出した。
「あの、どこに向かってるんですか?」
 電車に乗るのではなく、駅周辺のお店にでも行くのかと思い難波さんへ問い掛ける。
「駐車場に向かってます」
「駐車場ですか?」
「電車でどこかへ行くよりも、車の方が自由に動けるので。車、嫌でしたか?」
「いえ、車で移動することを想定していませんでした」
 車という密室空間に二人きりだと意識するだけで、鼓動が心なしか速くなった気がしたが、小さく頭を振りそれを否定する。
(何を意識してるの?電車で誰かに見られるよりいいじゃない!)
 視線を感じ、はっと頭を上げると、難波さんが首を傾げて不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「すみません、何でもないです」
「最初から車で移動するって言っておけばよかったですね。こちらこそ気が利かずにすみません」
 申し訳なさそうに眉を下げる彼に向かって、私は“そんなことはない”という気持ちを込めて、再度首を振った。
「あ、あの車です」
 彼が指を差した方向を見ると、ダークグレーの高級セダン車が停まっていた。
「どうぞ」
 リモコンキーでドアロックを解除し、彼が助手席のドアを開き、私に乗るよう促す。
「失礼します」
 恐る恐る車内へ一歩足を踏み入れ、シートに臀部を下ろす。まるでソファのような座り心地の良さに驚いていると、運転席のドアが開いたので、何事もなかったかのように前を向く。
「シート、好きなように調節してくださいね」
「ありがとうございます」
 お言葉に甘えて、少し足が伸ばせる程度に座席を後方へと動かそうとするも、スイッチの操作を誤ってしまい、背凭れが下がり始めた為「あれっ」と声が漏れ出てしまった。
(これじゃなかったみたい)
 シートの左側面に付いているスイッチを押したりするも、自分の思い通りにシートが動かずに悪戦苦闘していると「ちょっと失礼します」と言って、彼が私に身を寄せる。
「えっ」
 急な出来事に身を硬直させていると、徐々に座席が後方へ動き始めた。
「これくらいで大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「分かりにくくてすみません」
 シートの調節を終えた彼が私から離れていく際に、彼から清潔感のある石鹸の匂いがふんわりと香った。
(し、心臓に悪い)
 デートが開始してからまだ十分余り。出発すらしていないこの状況で、既に私の心臓は悲鳴を上げる手前だ。
(私、今日一日、耐えられるのかな)
「では、出発しますね」
 私に微笑みかける彼に頷くと、車がゆっくりと走り始めた。
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