ヒミツの恋をはじめよう
「朝ご飯は食べられましたか?」
 車に揺られながら窓の外の街並みを眺めていると、隣から声が掛かる。
「・・・いえ」
 緊張で朝食を取るのを忘れていたと今更気づき、彼に問われたことで自分が空腹状態だという事を実感する。
「それじゃあ、水族館に行く前にブランチを食べに行きましょう」
 車が出発して直ぐに「これから水族館に行こうと思います」と言われ、車に揺られること三十分。時刻は十二時手前となっており、お昼ご飯を食べるにはぴったりだ。
(でも、ブランチって・・・難波さんも朝ご飯を食べていないの?)
「食べていないんですよ。さつきさんと会えると思ったら、緊張してしまって」
「え、あ、そうなんですね」
 思っていたことが口に出てしまっていたようで、恥ずかしさに顔が熱くなる。運転席の方を見ると、彼も自身の発言に少し照れているようで頬が赤くなっていた。
「あの。さつきさんは、お蕎麦好きですか?」
「お蕎麦、好きですよ」
「よかった。実はお店を予約した後、さつきさんがアレルギーだったらどうしようかと思って」
「大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
「そこのお店、すごく美味しいので、さつきさんにも食べてもらいたくて」
 嬉々としてお店の話をしている彼を見ながら相槌を打つ。さすが営業部のエースと言わんばかりに巧みな話術に乗せられ、ついつい会話を続けてしまい、あっという間に彼が予約したお蕎麦屋さんに着いてしまった。

 お店の暖簾をくぐると女将さんが穏やかな笑顔で出迎えてくれた。
「予約した、難波です」
「難波様、ようこそいらっしゃいました。お席にご案内いたします」
 案内された個室へ入ると、大きな窓がある和室であった。庭の木々は丁寧に手入れされているのが分かり、色とりどりのアジサイが咲き誇っていた。
「後ほどお伺いに参ります」
 窓から見える景色に気を取られていると、女将は私たち二人を残して部屋を後にした。
 それぞれ座椅子に腰を下ろし、向かい合ってお品書きを目にする。
「何にしますか?」
「そうですね。じゃあ、天ざる蕎麦御膳にします」
 天ぷら蕎麦に茶わん蒸し、五目稲荷に小さなあんみつがセットになった、ボリューム満点の品をチョイスする。
 詩歩に言われた通り「ご飯を食べる時には“食欲旺盛”をアピールせよ」という作戦を実行し、相手の気持ちを萎えさせる魂胆だ。
「俺もそれにしようと思ってました。気が合いますね」
「そ、そうですね」
(あれ、引いてるどころか、喜んでない?)
 自分が思い描いていた反応とは違い、少し困惑していると「どうかしましたか?」と彼が首を傾げている。
「いえ、なにも」
「そうですか?他に注文するものはないですか?」
「大丈夫です」
 朝ご飯を食べていないとはいえ、それ以上の料理はさすがに食べられない。彼は「じゃあ注文してしまいますね」と言って女将を呼び、私と同じ料理を注文した。
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