きみがため
翌朝。

ナースステーションが、少しいつもよりザワザワしていた。

昨夜、病棟で訃報があったらしい。

こんな経験は前にもあったから、僕はすぐにそれを察知した。

人目につかない階段の踊り場で、看護師がふたりヒソヒソと噂をしているのを、偶然耳にする。

「水田さん、術後経過がよかったのにね……。急な呼吸困難って、気の毒だわ」

“水田”。その名前に、僕は凍り付いたようになった。

昨日会った女の子も、同じ苗字を名乗っていたからだ。

「もう少し早く対応してたら助かったかもしれないって。ほら、昨日浜岡さんが急に夜勤休んで、柏木さんひとりだったでしょ?」

「え、そうだったの?」

「そう。それで小瀬川くんからのナースコールがしつこくて、水田さんからのナースコール、聞き逃しちゃったんだって!」

その瞬間、僕の世界は真っ暗になった。

昨日見た女の子の笑顔が、霞んで、黒に染まっていく。

あの子の親を、僕が、殺した――。

放心状態のまま、病室に戻る。

何も聞こえなかった。

廊下からのざわめきも、窓の向こうの樫の木のさざめきも。

全てが泥の中に沈んだかのように、音をなくしていた。
 
その日の夕方、泣きじゃくる弟の手を引き、ロータリーを行くあの子を見た。

あの子は泣いていなかった。けれど、笑ってもいなかった。

小さな身体は、こちらが泣きたくなるほど気丈に背筋を伸ばしていた。

罪悪感が僕を蝕み、逃れようがないほどがんじがらめにする。
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