きみがため
小瀬川くんはすぐに私から視線を逸らすと、「一年くらい前」とどうでもいいことのように答えた。

「先生には、言わないで。バイトしてること」

「……分かってる。心配しないで」

私の返事を聞くと、小瀬川くんはまた窓の外に顔を向けてしまった。

やがて、最寄りのバス停に近づく。

「次、降りるから」

そう言うと、小瀬川くんはずっと持ってくれていたボストンバッグを、差し出してくる。

「これ、返す」

「……ありがとう。助けてくれて、荷物まで運んでくれて」

お礼を言ったけど、小瀬川くんは「ああ」とそっけなく答えただけだった。

小瀬川くんを乗せたバスは、扉を閉めると、すぐに出発した。

窓越しに見える、こちらを見向きもしない彼のシルエットが、だんだん見えなくなる。

やがてバスは、青信号の連なる闇の向こうへと、溶け込むように消えていった。

――『無理して、友達ごっこなんかしてるからそうなるんだ』

小瀬川くんに言われたことが、今更のように、頭の中をぐるぐるしていた。

彼は、初めて話したというのに、私の心を暴いた。

かたくなに隠してきたのに。“普通”でいる努力をしてきたのに。

ほんの少しの間に、淡々と、私の努力を全否定してしまったんだ。

足が地面に縫い付けられたみたいに動かなくなって、私はそのまましばらく、ひとり呆然と夜のバス停に佇んでいた。
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