きみがため
「それって、和歌の本だよね。和歌、好きなの?」

桜人は本に目を落としたまま、静かに答えた。

「うん、和歌とか俳句とか、子供の頃から好きなんだ」

「へえ……」

「子供の頃は、本ばかり読んでたから」

どことなく寂しげな目をして、桜人が言う。

桜人は、どうやら文学少年だったようだ。

だから文芸部在籍なんだと、今更のように納得してしまった。

見た目は、ともすると遊んでいるようにも見えるのに、人って見かけによらないものだ。

でも、そんな彼の意外な一面を、また素敵だなと思った。

「どうして、和歌や俳句が好きなの?」

「……ありったけの想いが、詰まってるところかな。短いからこそ、胸に染みて、なんかいいなって思う。日本語って、芸術だなって思う」

「ふうん……」

かすかに微笑みながら語る桜人を見て、本当に、和歌や俳句が大好きなんだなと感じた。

「好きな和歌って、あるの?」

聞くと、桜人は顔を上げて「こっちに来て」と私を呼ぶ。

窓辺の椅子に座る彼に歩み寄れば、手にした『後拾遺和歌集』を差し出される。頭のすぐ近くに、桜人の柔らかそうな髪の毛の気配がした。


君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな

 
指差された文字を、ゆっくりと目で追う。

「これ、知ってる。たしか、百人一首のだよね」

「……そう。百人一首は、いろいろな歌集から歌を集めて編纂されたものだから。この和歌は、もともとこの本に載っていたものなんだ」

「へえ、そうだったんだ……」
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