きみがため
「水田さんは、どれくらいの長さになりそう?」

川島部長が、眼鏡のレンズをくいっと上げて、原稿用紙と向かい合う私に身を寄せた。

原稿用紙は、相変わらず白紙のままだ。

「まだ決まってないです……」

「何にするの? 小説? 詩?」

「小説も詩も書けないから、エッセイですかね」

そこまでは、漠然と決めている。

エッセイとは、過去の思い出などをもとに、感じたことや頭に浮かんだことを心のままに書けばいい、と桜人が教えてくれた。

「エッセイね。何をそんなに悩んでいるの?」

パソコンに、プロの作家並みにあっという間に文字をしたためれる川島部長には、一時間近く一文字も原稿用紙に書けていない私の状況など、理解できないだろう。

「なにを書いたらいいかわからないんです」

「簡単よ。人生で、一番心に残っている思い出について、そのときの気持ちを、今の視点から書けばいいの。うれしかったことでも、つらかったことでも、なんでもいい。ありのままに、かざらず、あなたの心を文字にするのよ」

「人生で、一番心に残っている思い出……」

ぼんやりと宙を仰げば、ふとある思い出の残像が、頭をよぎった。

思わず、うつむく。あのときのことを書くのは、勇気がいる。

私は今でも、多分、立ち直れていないから。

「……なにか、思い浮かんだ?」

低めだけど耳心地のいい、桜人の声がした。

うん、と私は頷く。

あのときのことを書くのは、勇気がいる。

クラスメイトが見るかもしれない文集に載るのだから。

でも、桜人の目を見ていたら、書く勇気が湧いてきた。

私は原稿用紙を手に取ると、バッグにしまう。

「今日の夜、家でゆっくり考えながら書いてみます」

「お、楽しみにしてます」

田辺くんが、無邪気に笑った。

個性的なメンバーが集う文芸部でのひとときは、今となっては私の楽しみのひとつだった。

文芸部に入ってまだ少しだけど、川島部長や田辺くんに勧められて、たくさんの本も読んだ。

家でも持ち帰った本を読みふけっているから、急にどうしたの?ってお母さんが驚いている。

自分の書いた文章が載るのは恥ずかしいけど、文芸部の仲間と一緒の文集に収まるのはわくわくする。
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