完璧な彼が初恋の彼女を手に入れる5つの条件
「桜衣の手は、ね……あと、逃さないようにかな」
――桜衣はもう逃げるつもりはない。
さすがに、結構な大人なのでここに泊まる事になった時こういう展開になるかもしれないとは思っていた。
お互い想いを確認し、婚約者となったのだから当然の流れかもしれない。
桜衣にとってはいきなり激流に飲まれた上、目の前に未知の滝が迫ってきている心境だが。
陽真に促されて彼の部屋に入ると後ろで静かにドアが閉まる音を聞く。
室内は暖かい。いつの間にか暖房を入れていたようだ。やはり準備が良い男である。
広々とした部屋にはシンプルで作りの良い机や本棚が整然と置かれていて、本もかなり有りそうだ。
しかし、ゆっくり眺める間もなく後ろから抱きしめられ、鼓動が跳ねる。
「……この部屋に桜衣がいるなんて夢みたいだ」
熱っぽい声で言ってから腕を解いた彼は部屋の奥にあるベッドに腰掛ける。
手を繋いだまま「おいで」と促され、桜衣は油の切れたロボットのようにぎこちなく彼の隣に腰掛けた。
陽真は彼女の頬の輪郭を確かめるようにゆっくりと撫でながら顎を自分の方に向けると、反対の掌で後頭部を支えるように固定する。
「……今度はみぞおちに食らわせないでくれよ、さっきの鉄拳結構痛かったんだから」
冗談のような言葉を思いっきり甘い声で呟きながら、陽真の顔がゆっくり近づいてくる。
魅入られたように動けないまま唇が重なった。
最初は優しくついばみ、桜衣の力が抜けたのを見計らったように、口の中を絡め取られるようなキスに変わっていく。
「ん、あ、結城、まって」
桜衣は羞恥でどうにかなってしまいそうな状況で、何とか声を上げる。
「待たない、俺は何年待ったと思ってるんだ。もう1秒も待てない」
嫌なの?と陽真は耳元で囁く。その声も甘くて耳から溶けてしまいそうだ。
違う、違うのだ。嫌な訳でも覚悟が無い訳でも無い。
ただ、猛烈に恥ずかしいが、あらかじめ言っておかなければいけない事がある。
陽真を両手で必死に制しながら、意を決して言う。
「私、こういう事するの、初めてなのっ!」
静かな部屋に桜衣の声だけがやけに響いた。
陽真の動きが止まる。
「……初めて?」
桜衣は赤い顔でコクコク頷く。
なんというか、自分が未経験だと声高に叫ばなければいけないシチュエーションに泣けてくる。
至近距離にいる彼は目を瞬かせ『信じられない』と言う表情だ。
無理もない。周囲から恋愛経験豊富にと勝手に思われている自分が28歳にして経験が無いなんて普通思わないだろう。
しかし本当の事なのだ。仕方ない。
「もしかして、キスも?」
「そ、そうよ。結城としかした事無いし、する機会無かったし」
半ばやけくそだ。
中学の時の触れ合うだけのキスが初めてで、再会した時のキスも何回か交わした今日のキスも相手は彼だけだ。
経験が多ければ良いものの類では無い気もするが。
とにかく経験値がほぼ無い初心者なのだ。
それを踏まえて、それなりの配慮をお願いしたい。
こういう時、なんと言ったらいいのだろう?それにしても恥ずかしい。
悩んだ桜衣は陽真のスウェットの裾を握りながら羞恥に頬を上気させ、涙目で言葉を絞り出す。
「だから……えっと、優しく、してね?」
「…………」
この時既に切れかかっていた彼の理性が千切れる音が出たとしたら、しっかり桜衣の耳にも届いただろう。
だが、あいにくそうはいかなかった。
陽真は無言のまま静かに桜衣の両肩に手を乗せる。
「あ」
視界が変わる。ぱすん、という乾いた布の音。
桜衣はベッドに押し倒されていた。
「……優しくする」
少し掠れた声。肩口に顔を埋められているので彼がどんな表情をしているか見る事が出来ない。
手は反対の首筋をなぞり、トレーナーの襟ぐりをクイっと引き下ろしを鎖骨を露わにする。
左の鎖骨の下を指でなぞると、次に唇を這わせてくる
「っ……」
体の芯がゾワッとするような初めての感覚を覚えるが、拒否感から来るものでは無い事だけはわかる。
心臓の音が伝わってしまうのでは無いかと心配になるほど鼓動が騒がしい。
「ゆ……結城」
「……痕は、さすがに消えてるよな」
陽真は愉悦を含んだ低い声で囁く。
「え?痕?」
今、聞き捨てならない言葉を聞いた気が。
「ちょっと、結城、どういう事?まさか――……んんっ」
「いいから、もう――」
黙って。
桜衣の疑問の言葉は陽真の深い口づけで封じられてしまった。