微温的ストレイシープ
「あの世界の人たちはみんな、狂ってる。……ううん。わたしが狂わせたんだ」
辺りは静寂だった。
嗚咽もなければ言葉もつまらせることなく話していたから、泣き止んでいるものだと錯覚していた。
しかし、灯里はその長いまつげの瞳から涙をすべらせていた。
しずかに頬をつたって、落ちていく。
「戻る方法もいまならわかります」
おもむろに取り出したのはなんの変哲もないライターだった。
見覚えのある安物のライターは、俺がいつも煙草を吸うときに使っているもの。
それを自分の本にかざして灯里は言った。
「これを燃やせば、わたしは本の世界に帰ることができる。この世界は狂わせずに済むんです」
「まるで自分は神様みたいな言い方するじゃねえか」
「そうです。わたしは神様ですよ」
立派な疫病神じゃないですか、こんなの。
ライターから生まれる小さな炎が風にゆれて、一瞬だけ消えた。
その奥にあるなみだが頼りなく、ぽつんと地面に吸い込まれていく。