あたしの初恋~アイドルHinataの恋愛事情【5】~
06 恋愛タイショウガイ。
再び、話は13年前。
諒クンにくっついて東京へやってきた、小学6年だったあたし。
お昼過ぎに大阪の家に電話した諒クンから、『母さんたちが夜までには迎えにくるから』と聞かされて、あたしは希クンと一緒に、事務所の10階にある、元・希クンプライベートルームで宿題をしていたのだけど。
「大阪、帰りたないなぁ……」
思わずぽつりとつぶやくと、座卓に向かい合って座っていた希クンは、自分の国語のテキストに視線を落としたまま、
「ナンで? 『たこ焼き食べたい』って言ってたじゃん。東京のたこ焼きはおいしくナイんでしょ?」
「そうやけど……」
「あの夏祭りの屋台が特別マズイんだケドね。でも、東京じゃ、どこ行ってもそー大差ナイよ」
「たこ焼きは、『あれ』があったら諒クンが作ってくれるからええんやもん」
「『あれ』って何?」
「たこ焼き器。東京でも、たこ焼き器くらい買えるやろ?」
「ふぅん……。どーでもイイけどさ、ソコ、間違ってるよ」
「え?」
「ココ。それじゃぁ、この部分の体積しか出てナイじゃん。根本から考え方が違うんだよ」
「……コンポン?」
「全体の直方体の体積から、ココとココの直方体の体積を――――」
「チョクホウタイって何?」
あたしが聞くと、希クンは無言であたしを見つめた。
「…………キミ、ホントに高橋の妹?」
「りょ、諒クンかて、小学生のときは算数苦手だったんよ」
「ウソでしょ? あの『数学大魔神』が?」
「ホンマやもん。中学入ってから急にできるようになっちゃって、算数のテスト見ながらニタニタしてんの。ホンマ、キショクわるいねん。さぶいぼ出るわ」
あたし、大げさに腕をさすった。
すると、希クンはクスッと笑って、
「『恋の力』は偉大だね。オトコにとってもオンナにとっても、必要なモノだとは思うケド」
言いながら自分のテキストや筆記用具をザッとまとめた希クンは、急に真顔になった。
「――――アイツはやめといた方がイイよ」
静かな口調で言った希クンは、ゆっくりと顔を上げてあたしの眼をまっすぐ見つめる。
「……何のこと?」
「シラ切る気? 中川のコトだよ。……好きナンでしょ?」
なっ……なんでバレてんのっ!?
「分かりやす過ぎなんだよ。毎日毎日、洗濯の仕方だとか、メシの炊き方だとか、中川に教えてもらってる時のキミの顔、ニタニタし過ぎ」
「そっ……そんなこと言うたかて、盟にぃの教えてくれるんが、楽しいんやもん。別に、ええやないのっ。希クンには関係ないやろっ!?」
あたしが言うと、希クンはフッと笑って、
「確かに、関係ないケドね。でも、キミのためを思って言ってあげてるんだよ。ナンだったら、ボクにしといたら?」
「…………はぁ? 何言うてんの?」
「中川なんてやめて、ボクにしといたら? って言ってんの。これからデビューして忙しくなるアイツと違って、ボクは連絡さえつけば仕事はできるし、キミが大阪帰っても、ちょくちょく会いに行ってあげられるよ」
「別に、そんなんいらんよ。だいたい、希クン、カノジョいるってこの間言うてたやんか」
「いるよ。キミみたいな『胸ナシ小学生』と違って、オトナなカノジョが」
むっ……胸ナシっ!?
あたしがいま一番気にしてることをっ(ガッコウの友だちとか、みんなちょっとずつ大きなってて、あたしだけスッカスカやねんっ……)。
――――きぃぃいぃいっっっ。ムカツクっ!!
「オトナなカノジョがおるんやったら、あたしみたいな『胸ナシ小学生』なんて、いらんのと違うのっ?」
「キミへの救済策のつもりで言ってるんだケド。コッチはカノジョの一人や二人、増えても別に困らナイし」
「『困る』とか『困らん』とか、そういう問題とちゃうやろ?」
「そ? ボクはそーは思わないケド」
「……希クン、ホンキで言うてんの?」
「Fifty-fiftyってトコ」
「……は? 何? ヒフ……?」
「『半分半分』ってコトだよ。そんなコトよりさ、自分で言うのもナンだケド、ボク、中川よりカッコイイ顔してると思うよ?」
そう言ってニッと笑った希クンは、再びあたしの眼をまっすぐ見つめた。
……確かに、希クンって『カッコイイ』とは思う。
ちょっとハーフっぽい顔立ちに、(染めてんのかどうか知らんけど)オレンジっぽい髪が似合ってる。
眼なんてものすごくキレイで……こうしてまっすぐ見つめられていると。
サイミンジュツか何かで、ぐぐっと引っ張られてるみたい。
けど、この、思いっきり『作りました笑顔』は。
「何か企んでるみたいで、めっちゃブキミ」
「そー? ま、よく言われるケド」
「盟にぃは、そんな変な風に笑わへんもん。もっと、自然な笑顔やもん」
あたしがむくれて言うと、希クンはあたしから視線をそらして、ため息混じりに笑った。
「だから、やめた方がイイって言ってるんだよ。分からナイ?」
希クンが、座卓の向こう側からズイッと顔を近づける。
「……意味分かんないんやけど」
「『自然な笑顔』ってコトはさ、何も意識してナイってコトでしょ。要するに、キミのコトなんて、恋愛の対象外ってコトだよ、中川にとっては」
「恋愛の……タイショウガイ?」
「そー」
「タイショウガイって何?」
「……つまり、『恋愛する相手』として見てナイってコトだよ。せいぜい、『カワイイ妹』止まりだね」
『カワイイ妹』止まり――――。
その言葉に、なんでか胸がズキっとした。
「べっ……別に、あたしは――――」
――――コンコン。
ドアをノックする音に、あたしと希クンは同時に視線を向けた。
「あの、希さん、すみません。Hinataのレコーディングの日程の件で少しお話がしたいんですが……」
ドアの向こう側から聞こえた、少し遠慮がちな女の人の声に、希クンは腕時計に視線を落として、
「あ、もうそんな時間? ゴメン、すぐ行く」
バタバタと、隣にある自分の部屋へ入っていったかと思うと、またすぐに、手帳らしきモノを持って出てきて。
この部屋を出ようと、ドアのノブに手を掛けて――――ふと、思い出したようにあたしの方へと振り返って、
「ソコに辞書あるからさ、まずは直方体と立方体の違いから調べてみたら? 『カワイイ妹』で終わりたくナイなら、ね」
それだけ言って、希クンはドアの向こうへと消えていった。
……なんやねん、ホンマにムカツクっ。
自分だって、あたしより一つ年上なだけの、中学一年のコドモやないのっ。
しかも、背だって、あたし(学年ではどっちかというと、ちっちゃい方)より、もっとちっちゃいやんかっ。
それやのに、やたらオトナぶって上から目線。
希クンって、このハギーズ事務所の社長のムスコって言うてたけど、そういうのって、だいたいマトモな人間やないねん、あたしが毎日のように読んでる少女マンガの世界では。
そや。もう、相手にせんとこ。
……でも、いちおー、チョクホウタイとリッポウタイくらいは、調べとこうかな?
あたしは、茶色くてブアツイ辞書を手にとった。
えーっと……えーっと…………。
…………アカン。辞書の使い方が分からへん。
もー、ええわっ。宿題もあと少しなんやし(この一週間、盟にぃと一緒にお勉強したから、はかどったわっ)、とりあえず出来るとこだけでも、やっとこ。
シャープを手にとって、カチカチっと。
……ん? カチカチ……カチカチ……。
…………カチカチ……カチカチ……カチカチ………………出てこぉへん(シンが)。
替えももうないし……
んー……、そや。確か、この事務所を出てちょっと行ったとこに、コンビニがあったはずや。
あたしは、サイフの入ったちっちゃなカバンを肩にかけて、元・希クンプライベートルームを抜け出した。