名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

第4話 心の欠片『いぶりがっこでトロたく巻』②

 せっかくのマグロのトロ。

 火坑(かきょう)が猫人の妖として転生をした当初は。

 人間達には捨てられてしまう『下魚(げざかな)』となっていた。

 はるか昔。縄文の時代にも、万葉集にも歌に詠まれていたほどだと言うのに。

 不味い魚。つまりは、保存状態が悪くて猫ですらまたぐと言われるくらい、不人気な魚になってしまったのだ。今のような冷蔵はおろか、冷凍の製法がない時代だったので無理もない。

 江戸前寿司だと、醤油で下味をつけるそうだが昔はもっと不味かっただろうに。脂肪分が多いトロでは、いくら下味で防腐加工をしていても不味いだけだ。

 だから、今の火坑には美味しくトロを客に出せる技術がある。

 師匠の霊夢(れむ)も今ではトロを好んで食べるくらいだから。

 とりあえず、恋仲の美兎(みう)と、彼女に会いたいと便りを寄越してきた滝夜叉姫が話に華を咲かせている間に。

 まずは、卵焼きの方に取り掛かる。美兎に出してもらったトロはキッチンペーパーで軽く包んで余分な水分を抜く。滝夜叉姫のいぶりがっこはそのままで。

 出汁巻にするので、鰹節を贅沢に使った出汁を取って粗熱を取るのに氷水に鍋ごとつけて冷まし。


「……明太子をこのままか皮は取り除くか」


 そこは悩みどころだ。火坑としては皮付きがいいが、卵焼きに巻くと薄皮が邪魔になるかもしれない。バーナーで軽く炙ると、卵焼きにはあいにくい。

 なら、と明太子の薄皮は取り除き、皮は火坑の賄いにすることにした。

 卵液も作り終えてから、まな板を丁寧に洗って固い布巾で拭い。トロの柵を適当な大きさに切ってから。


「ネギトロのように叩く」


 普通のネギトロは三枚おろしなどにしたマグロのすき身などを使って作るそうだが。ここは、曲がりなりにも小料理屋。すき身以上に柵で贅沢に作ってしまおう。

 小ぶりの包丁で叩きに叩いて。なめろうのように粘り気が出たら完成。

 ここに、軽く炙った海苔に載せ、細かくしたいぶりがっこ。わずかに生醤油。

 くるっと、手巻き寿司のように巻いたら完成だ。

 その次に明太子入りの出汁巻も作って。


「お待たせ致しました。お二方の心の欠片で作らせていただきました、いぶりがっこでトロたく巻き。あと、美兎さんがお持ちいただいた明太子を巻いた出汁巻卵です」
「ほう?」
「うわあ!? 贅沢過ぎます!!」
「どうぞ、お召し上がりください。あ、トロたく巻きには生醤油で軽く味付けはしてます。ただ、いぶりがっこの味が濃いはずですので」
「ふむ。では、美兎よ。いただこうではないか?」
「はい! いただきます!!」


 まずは温かい方から、と二人とも出汁巻の方を口にしたのだった。


「ほう? 甘過ぎずくど過ぎず。真ん中の明太子がいい味をしておる。薄皮も取り除いたかえ? 客思いじゃ」
「お粗末様です」
「これ、お酒ともすっごく合います!!」


 美兎は元気よくパクパクと。滝夜叉姫は優雅にひと口ずつ。実に対照的ではあるが、美兎の食べっぷりには火坑も顔が綻んだ気がした。

 だいたい三切れ食べ終えてから、ほぼ同時に二人ともトロたく巻きを手にしてくれた。

 多少トロの水気で海苔が湿っただろうが、それもまた一興。


「ん?」
「わあ! すっごい、スモーキーですね!? けど、塩気もそんなにキツくないですし……これ、スモークチーズみたいな味が。やっぱり、燻製してあるからですか?」
「そうですね? 普通のたくあんと違うのはその燻製部分です」


 漬物として使う干し大根が凍ってしまうのを防ぐために、大根を囲炉裏の上に吊るして燻し、米ぬかで漬け込んだ雪国秋田の伝統的な漬物らしいが。秋田の方言で漬物のことを『がっこ』と呼ぶことからその名がつけられたそうだ。

 火坑の知る知識を伝えれば、二人はほーっと感心してくれた。


「今の人間は、なかなか珍味を見出すのがうまいの?」
「えと。五月(さつき)様の生きてた時代では……?」
「あちきは武士の家の娘じゃったからのお? 粗食は普通じゃった」
「お姫様なのに?」
「お姫様、と呼ばれる身分ではあったが。贅沢は出来ても白米がたんまり食えたくらいじゃ」
「へー?」
「そう言えば、滝夜叉姫さん? 美兎さんに会いにきた理由は?」
「おお、忘れておった」


 酒も入って上機嫌だったが、カラカラと笑いながら美兎の頭を軽く撫でた。


「? あの?」
「火坑の(つがい)となるのであれば、道行きには険しいものもあるじゃろうて? 祝い、程でもないが。あちきからも加護をやろう。この猫人には色々世話になっておるからな?」


 ぽんぽんと軽く叩くと、火坑の目には美兎に何か霊力を注ぐのが見えた。が、祝いと言うからきっといいことに違いない。

 火坑はスッポンのスープを二人に出す準備をしながら、そう思うことにした。
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