名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~
第2話『秋茗荷の甘味噌焼き』
気配で遠退くのは感じ取れたが、少し申し訳ないと火坑は思った。
話し声も聞こえたから、おそらく湖沼美兎と美作辰也が来たのだろう。そして、二人をそれぞれ守護する妖達。
まだ通い出して半年にも満たない常連ではあるが、それぞれ火坑のような猫の妖などが好む『心の欠片』を生み出す大事な客。
けれど、今日はさらに二人よりも常連、且つ上客のお越しなので貸し切り状態にしているのだった。
「あんら? なんぞ、外にいた者達が気になったのか?」
「あ、すみません」
「良い良い。主は今でこそ、錦の料理屋だが。儂のような者ではとんとお目に触れれぬ地獄の官吏だったのだからな? こうして、時たましか来れぬが主の料理は実に美味じゃ」
まるで仙人のように立派な白銀の長い髭、髪も艶やかな白銀の長髪。
顔に皺などはあまりないのに、まるで老成したもののような風格は、この人物が只者でないことを証明している。何せ、火坑もあの世では滅多に出会うことのない神格である存在。
通称名を、大神と呼ばれる神の位に通じる存在だ。
名を明かせない存在になっているので、火坑や稀に同席する他の土地神などでも通称名で呼ぶ方が多い。
とりあえず、美兎達のことは一旦忘れて仕事に専念することにした。
「僕の料理を、いつもありがとうございます。次は、どうなさいましょう?」
「そうじゃの。下界の料理は、供物として供えられる場合が菓子や酒以外少ない。何か、秋らしいものでひとつ頼む」
「秋らしい献立ですか」
また、少し無理難題を言う御人だ。
けれど、逆らうことは出来ないために、火坑は包丁を持つ手を止めて暫し考えにふけった。
色々時間がかかるレパートリーばかり浮かんだが、ひとつ、師匠に賄いからメニューになった一品を教えてもらったことを思い出した。
「ふむ、閃いたか?」
「ええ。主役、と言うわけではないですが。秋らしい献立になるかと」
冷蔵庫の奥にしまって置いたビニール袋を引っ張り出して、火坑は手に小さな芽のような食材を掴んだ。
「ほう? 茗荷か?」
「はい。焼き茗荷ですが。味噌仕立てなので、お酒にはちょうどよろしいかと」
「茗荷と聞くと夏が旬のものが多いのに、あえてえぐみの強い秋茗荷を焼くのか。……面白い! 実に主は面白い!」
「ふふ。しばらくお待ちください」
まず、味噌。みりんに砂糖で甘味噌を拵える。秋茗荷はざっと洗って、根本を切り落とさずに半分に切る。
切った面に甘味噌をたっぷり塗り、専用の和風グリルでしっかり焼く。焦げ目が多少つく程度がミソだ。
「ほーう。味噌の香ばしい匂いぞ」
「お待たせ致しました。秋茗荷の甘味噌焼きです。根本以外は全部食べられます」
「うむ……うむ。これは大吟醸の冷酒が合うと見た!」
「お出ししますね?」
妖でも神でも、総じて酒には強い。
人間にもザルなどと呼ばれる酒豪も存在しなくはないが、さっき寄りかけていた美兎や辰也はどちらかと言えば弱い。この前も、美兎は守護についた座敷童子の真穂の勢いで、かなりちゃんぽんして眠ってしまったくらいだ。初回に出会った時より強くなってはいるが、まだ社会人一年目だから青い青い。
この目の前にいる大神に比べたら、誰でも弱く見えてしまうだろう。
火坑は、とっておきの相当冷やして置いた大吟醸を取り出して、ガラスの猪口にゆっくりと注いだ。
その間に、大神は端でつまんだ茗荷を説明通りに根本だけを口にせずに頬張ってくれた。髭に味噌はついていないようだ。
「! なんとも言い難い甘辛仕立てよ!」
「お気に召しましたか?」
「うむ! ここに主が注いでくれた冷酒を……!」
きゅっと、一気に煽りはせずにほんの少し口に含み、喉を通っていく快感を味わっているのだろう。恍惚とした表情に、火坑は会釈した。
「ようございました」
「うむ、うむ! これは下界の者でなければ知らぬ味よ! 味噌で思い出したが、この辺りでは特有の味噌はあったな?」
「三河の八丁味噌やこの辺りでは、甘辛い味噌……でも色々ありますからね? よければお作りしましょうか?」
「そうさの。今は野菜だったから、肉がいい」
「かしこまりました。では、名古屋名物の味噌カツを披露させていただきますね?」
それから、大神は夜明けに近いくらい飲み食いしたものだが一向に倒れる気配もない。それは神だから、と言うのもあるが、これほど飲むのはこの御人でもいささか珍しい。
何かお有りになられたのか、と聞こうにも。先の世とは違い、火坑は今ただの妖風情。
だから、たまには飲み明かしたい気分になられたのだろうと思うしか出来なかった。
「……今の世は、信仰心がだいぶ離れてしもうた」
さすがにもうそろそろお開きにさせようかと思った時に、大神は猪口を置いて語り出した。
「出雲も、伊勢も、この尾張も。観光とやらで我ら神にすがる人間ばかりじゃ。だが、そうでなければ人間達は我らの社には来ず、願いを届けようともせん」
まだ大きな戦が終わって百年も経っていないのに、随分な移り変わり様だと、大神は独りごちて、珍しく寝てしまわれた。
「…………そうですね」
あの世のこともだが、近頃の人間達は神もだが妖のことも軽んじている傾向が強い。
信仰心などの希薄もだが、美兎や辰也のように視える人間が少なくなってきているせいもある。
火坑は、美兎が美味しそうに自分の料理を口にしてくれた後の笑顔を思い出し、少し胸が痛んだのだった。