名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~
第3話『釜揚げしらす入りの卵雑炊』
とにかく、新人だからと雑務ばかりで嫌気がさしてたのだが。先輩達や上司の意図もなにも汲めていなかった。力がないのに、いきなり仕事を任せられるはずもない。
大好きな広告を、営業などの実績がない人間に任せるはずがない。
そんなの、ただの思い上がりだと、美兎は宝来の言葉でやっと理解出来た。妖怪だからって、もらった気遣いの温かさは人間も妖怪も変わりない。
火坑の方も、美兎が涙を流していても何も言わず、そっと温かいおしぼりを出してくれたのだった。
美兎は化粧のことも気にせずに、そのおしぼりで思いっきり顔を拭いた。
「……僕の料理も同じです。ここで店を開く前は師匠や先輩料理人に、掃除や調理補助ばかり押し付けられていましたよ?」
「……かきょーさん、も?」
「ええ。師匠に一度だけ言われたことがありますね?」
「なんですか?」
「料理の技術は見て学べ。盗めれるのなら貪欲に、と」
「ぬ、盗む?」
「聞いて覚えるのも、また技術の一つ。しかし、料理は実践で食材を扱いますからね? 視覚が特に求められます。例えば、先ほどお召し上がりになられた雑炊に出汁巻も。道具はもちろん、視覚で食感を確認するんです」
「俺っちの仕事も、目で視て吉夢を選別するぜぃ?」
「目で、見て……?」
妖怪でも、人間となんら変わりない修行などで、技術を習得するのだと言うのか。
けれども、猫人の火坑が作り出した料理は、どれも繊細な仕上がりばかり。
見た目で、味で、客を喜ばせてくれる。
それを見て技術を盗む、との師匠の言葉以外にも色々努力してきたのだろう。
なのに、美兎は自分勝手にイラついて自棄酒しまくって、実に情けない気持ちになった。努力の欠片もない。
「なーに、嬢ちゃんはまだまだ人間でも青臭い連中と変わりない。これから失敗しまくってでも、色々と覚えていきゃいい。何せ、心の欠片を作れるくらいの吉夢だ。伸びしろは期待大だぜぃ?」
「……そうでしょうか?」
「ふふ。すぐに自信を持てるのは難しいですが。気が落ちた時に、落ち着く気分になれる料理を一つお教えしましょうか?」
「そ、そんな、いいんですか?」
「簡単ですよ? 最初にお出ししたスッポンは素人には難しいですが、普通の卵の雑炊です」
「え、あれだけ美味しいのが?!」
とりあえず、手を洗って厨房の中に入らせてもらい、雑炊の作り方を教えてもらった。料理の代金などは、本当に美兎から取り出した心の欠片だったあの緑の卵だけでいいと言われ。
その後は、錦町の端に宝来の案内で人間界に戻してもらってから、美兎は胸焼け以外にもスッキリした気分になれたのだった。
三日後。
雑務は相変わらずだが、火坑や宝来のアドバイス通り視界に映るものをくまなく見て、仕事をこなしたお陰か。
今必要なもの、上司や先輩の助けになるものがなんとなくわかり、仕事の効率がメキメキと上がったのだった。
「いやー、湖沼さん。気が利いてくれて助かったよ。まだ研修が続くけど、この調子で仕事を覚えて行きなさい? 研修が終わってから、どの部署につくかは、まず僕らが決めてしまうけど」
「は、はい! わかりました」
雑務でも、仕事を認めてもらえて嬉しかった。
望む部署になれるかはわからないけど、美兎の気分は晴れやかでいた。
こんな時は、酒をいい気分で飲みたいが、せっかくの日なので自宅で飲むことにして、シメを火坑に教わった雑炊を作ることにした。
「えーっと。普通の顆粒だしでもいいから」
吸い地を少し濃い目の出汁にして。解凍させた米のぬめりを流水で洗い流し。ザルで水気を切ったら、温めた出汁に浸す。
「卵は混ぜ過ぎない。薬味の小ネギは煮てもそのままでもお好みで」
米が温まってきて、出汁の縁にあぶくがたったら、溶いた卵を加えて。ここからが勝負だ。
「菜箸でこれでもかとかき混ぜる!」
ぐちゃぐちゃになるまでかき混ぜると、空気が含まれて卵もふわふわに仕上がるのだとか。はじめは美兎も信じられなかったが、あの猫人の手によって本当になったのだ。
ちなみに、その時の雑炊は宝来の胃袋に入ったのだった。
「火坑さんに教わったトッピングもかけちゃって」
一人暮らしなので、火坑の店にあったような器はないが、白い小ぶりの陶器に盛り付けて。仕上げに小ネギと白ゴマ、釜揚げしらすをたっぷり乗せれば。
「釜揚げしらすの雑炊!」
これに合わせるのは、自宅で熱燗は難しかったからコップ酒で。
ひと口飲んでから、スプーンで火傷しないように息を吹きかけて。
「あ……っつ、あつあつ! けど、美味しい!」
市販の出汁だから、火坑のような優しい味わいではなく少し塩辛いが。卵もふわふわとろとろで釜揚げしらすともよく合う。結論、自炊も馬鹿に出来なかった。
「美味しい……けど、楽庵にもまた行きたいなあ?」
小料理屋なので、珍味が多いが既に美兎は虜になってしまった。
であれば、また錦町を歩いていたら辿り着けるのだろうか。それに、火坑もだが宝来にもお礼を言いたかったから。
「うーん。人間と同じ料理を食べてたし、人間と同じお菓子でもいいかな? 個人的に好きなのは植田のお菓子だけど。たまには」
ピンポーン。
もう二十二時過ぎなのに、インターフォンの音が鳴った。誰だと、覗き窓から確認すると、兄が何か抱えていたのだった。
「お兄ちゃん、どうしたの!?」
美兎が慌てて開ければ、兄の海峰斗は困ったような笑顔を浮かべていた。
「親父と母さんがさ? 美兎の部屋の物色々まとめたんだよ。なんか息詰まっていそうだから、今のうちに渡して来いって」
「まーた、お母さんの心配性……」
「まあ、居てよかったよ。ちょっと重いから部屋入っていいか?」
「うん。あ、お兄ちゃん夜食作ったけど、食べる?」
「お、マジか?」
そして、久しぶりの兄妹水いらずで卵の雑炊を完食し、海峰斗からも美味しい美味しいと言ってもらえて美兎はほっと出来た。
週末まで、海峰斗が持ってきた荷物には手をつけられなかったが。開けた時に、一番に目に入っていたものと添え書きに美兎はまた涙を流しそうになった。
「無くしたつもりでいたんだ……。ずっと、あったんだ……!」
楽庵で見せられたのと、同じ。いや、だいぶ色あせてはいるが同じようなゾウ柄の缶バッジ。
どうやら、父か母が見つけてくれて、荷物と一緒にしてくれたらしい。添書きには、『美兎ファイト!』と母の字で書いてあった。
「……よし! 植田に行ってお菓子買ったら、火坑さんのお店に行ってみよう!」
そして、気に入りの菓子を調達した美兎は、宝来に送ってもらったルートをそのまま歩いてみた。
すると、ほど無くして、『楽庵』と書かれた小さな行灯型の照明を見つけたのだった。
「火坑さん!」
「おや、湖沼さん少しぶりですね?」
たどり着けた美兎は、菓子を渡してから自分の心の欠片ーー原点だったあの缶バッジを見せながら、火坑の料理を楽しむのだった。