名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~
第3話 心の欠片『賀茂茄子の田楽味噌』①
海老芋。
牛鬼である絵門にとっては、人間を食べない時の腹の足し程度に畑から盗んだりしたのはいつのことか。
人間の大きな戦争が終わり、人間の死骸を喰らう機会がめっきり減ってからも、盗みを犯すのも罪だと。忠誠を誓う主であるぬらりひょんの間半から言い渡されたので、絵門も従ったまで。
人間の肉の柔らかさと血潮の癖を遠ざけるのにいくらか時間はかかったが。妖界隈でも、賃金を得る仕組みが増えてきてからは少しずつだが忘れていった。
代わりに、妖の一部が人間のように、料理を嗜む輩が増えてきたお陰で。この楽庵のように、珍味を味わえる場所が増えてきた。
今日は、たまたま楽庵の気分だったので赴いたわけだが。まさか、主人の妖気を微かに纏うだけでなく。主人に次ぐ、最強の妖の一角である座敷童子の真穂が守護についた人間の女に出会えるとは。
風の噂程度に耳にしていたが、本当にそんな女がいるとは目の前にするまで信じられなかった。しかし、現実は現実。纏う霊力は極上とまではいかないが、甘い匂いを漂わせていた。
甘い霊力を好む真穂が、わざわざ守護につくのもわかる。
それにもう一つ。気になることがあった。
ごく一部からだが、目の前の猫人の妖。店主でもある、火坑の妖気が濃く植え付けられているのだ。であれば、この二人。ただの店主と客の関係ではないのだろう。
その女、美兎と言う人間と火坑が熱心に話をしている間に。絵門は真穂に耳打ちしたのだった。
「真穂よ」
「んー?」
「あの二人は、恋仲か?」
「そうよー? ほんとつい最近。焦った過ぎたんだから」
「……半妖の半妖ほどしか。あの女には妖気を感じぬが」
「だから、普通の人間とほとんど血の流れに差はないわ。けれど、覚醒時期まで時間が必要だった。……この界隈に迷い込むまでは、本当にただの人間だったのよ」
「ほう」
そして、真穂の話を聞くに。
美兎は、火坑に思いを寄せたのに気づいたのは今年の夏らしく。人間にとっては短くとも長い時間、一人で悩んでいたそうだ。真穂や、他の妖とも出会い。背中を押されても、なかなか火坑に伝えられず。
逆に火坑は、自覚するまで時間がかかったらしい。しかし、妖故に想いを伝える勇気が持てず。先日、間半と一緒に来店した美兎に、ようやく想いを伝えたそうだ。
けれど、まだデートはしていないらしい。
「で、今日は美兎の仕事もちょっと落ち着いたからってことで来たわけ」
「ふむ」
「あ、真穂ちゃん!? 絵門さんになに話してんの!?」
「絵門が美兎のこと聞きたいって言ったから答えただけよ?」
「わー!?」
絵門に全部話されたことで、美兎の顔は朱塗りのように燃え上がってしまったが。羞恥心が込み上がったのか、すぐにカウンターの卓の上に顔を押しつけた。すぐに、うめき声のようなか細い声が聞こえてきたのに対して、火坑は白い毛の手で彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でた。
「まあまあ、美兎さん。人間とは違って、僕達妖は妖気や霊力で相手を探るのが癖ですからね?」
「……癖?」
「左様。先程そちに言ったように、間半様の妖気が微かにあった以外にも。店主の妖気が色濃く移っている箇所があったものでな? 真穂のものは言うまでもない」
「……火坑さんが?」
「ふふ。内緒です」
「えー?」
なるほど。見目は悪くないし、似合いだ。
火坑は元獄卒であり、官位は低くとも地獄の補佐官でもあった。人間とも猫とも違う妖に輪廻転生を経て今に至るが。少々謎に包まれている美兎と、将来契ればいい夫婦になるだろう。
今は、人間で言うところの社会人らしいが。この狭い店を二人で切り盛りする光景がまぶたに浮かぶ。そう思えるほど、二人の関係は良いものだと絵門ですら思えた。
そして、今日知って気に入ったビールを煽り、海老芋の揚げだしを口に含めば。甘露の循環が訪れたのだった。
「良い事だ。間半様からも祝福があったのだろう?」
「あ、その。……ここのお代持ってくれました」
「あの方がか? 余程、そちを気に入ったのだな?」
「そう、でしょうか?」
すると、美兎はそうだ、と口にして火坑の方に両手を差し出したのだった。その動作には覚えがある。
人間ならほとんど、妖であればごく一部。神なら真似事。
妖の間では、賃金の代わりに妖力の源となる『心の欠片』と呼ばれているものだ。美兎は元からここの常連だったのだろう。なら、心の欠片も幾度か火坑に手渡しているのかもしれない。
「少し振りですね?」
「せっかくですから、大盤振る舞いしますよ!」
「さて。では、どうしましょうか?」
心の欠片を引き出せるのは、妖でも高位の者くらい。
だが、火坑は元地獄の補佐官。妖術も扱えるのでその域には達している。それに、錦では指折りの名店である楽養で修行した身だ。
絵門は随分と久しぶりだが、どのようなものが出てくるだろうか。
火坑が美兎の掌をぽんぽんと軽く叩いて、光が生じた後には。
見事な賀茂茄子が出てきたのだった。ひとつどころか目視で五個は確認出来るくらいに。
「賀茂茄子ですね?」
「これが賀茂茄子ですか!」
「揚げ続きですから、せっかくの名古屋ですし。田楽味噌にしましょう」
「八丁味噌があるんですか!?」
「尾張……ですけど。師匠も愛用してますしね?」
「あ、霊夢さん!」
「少し前に皆さんで来られたんですよ」
「え……私のことも?」
「いえいえ。そこは隠されていましたが、僕の方はバレバレでした」
「ふふ」
ああ、ああ。
見ていてむず痒く感じてしまうが。
また新たな馳走を貰えるのであれば、絵門も少し協力しようではないか。