名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~
第2話 秘密の彼氏②
桂那が就活を始めた大学三年の頃。
まだ説明会が始まったばかりだったので、就活は焦る必要はないと思っていた。そう思っていたのだが、早いうちに内定をもらえるとの情報を耳にすると、いくら桂那でも焦りが出た。
苛つき、むかつき、などなど。
表面に感情が出にくい桂那でも。焦りが出て当然。だが、大学の単位は落としたら意味がないのも知っているので適度に登校したが。
「……焦る」
まだ就活生新人でも、早く安心したい気持ちがあるからだ。中学はともかく、高校や大学に関しては推薦入試ではなく筆記試験と面接で勝ち取ってきた。
それを就活も同じだろうと踏んでいたら、実際はそうではない。説明会もだが、エントリーシートと言うのが厄介だ。
桂那が自信を持って挑んでも、五社中二社の選考に通るかどうかくらい。就活氷河期は過ぎたと言うのに、選考基準がどんどん厳しくなっているのだ。
誰だ、今なら就職しやすいと言った阿呆は。
「……あー……もう、焦る!……ん?」
今、誰かの足につまずいたような。
そう思って、下を見たら長い長い脚が。
地面にその状態、まさか倒れたんじゃ。と、桂那は気持ちを切り替えて相手の顔を見れば。これまた憎らしいくらい、幸せな笑顔で寝ている男性がいたのだった。
「……もしもし、お兄さん?」
桂那も一応成人はしているが、大の大人がビル街で寝こけているなど言語道断。
けど、蹴ってそのままにするのは、桂那の良心には傷つくものでしかないので。とりあえず肩を揺すって起こしてみたのだが。
男性がうめき声を上げただけで、桂那の背に独特の悪寒が生じたのだった。悪い意味ではなく、俗に言う性的欲求のような。
そんな部分を刺激してくるような、官能的なかすれ声だったのだ。男と関係を持った時期など、就活の前に終わらせたので今はフリー。
だから、久しく刺激された感覚に、街中なのに非常に驚いてしまう。
「……ん? あー……ふぁ、あれ? 俺寝てた?」
素の声まで、桂那の好みにドストライクをかましてくるとは。
ここで縁を切るのも、女の恥。
と、訳の分からない文言が浮かんだが。とにかく、この男性ともっと話したい気持ちも湧いてきたので。桂那はしゃがんで男性と視線を合わせた。ちなみに、今日はパンツスーツなので下は問題ない。
「どうも。足がぶつかったんで、謝ろうとしたんですけど」
「けど、俺が寝てたからびっくりした?」
「はい。こんな道端ですし」
「あー、ごめんね? 驚かせて。……けど、よく俺が見えたね?」
「え?」
どう言うことだ、と思うと周りが静かすぎるのに今更気づいた。
今たしか、栄周辺で説明会の帰り道だったのに。人通りが常に多い路地には自分達以外に誰もいない。
本当に、人っ子ひとりいない。これはなんだ、と初めて経験した桂那は流石に戸惑った。
「あー……あー、珍しいね? 人間なのにその年まで見鬼が開花されてなかっただなんて」
「けん……き?」
「とりあえず、説明するよ。でも、お姉さん時間とか大丈夫?」
「えと……大学に寄ろうかどうか考えてたくらいなので。暇……です」
「そっか。リクルートスーツだけど、就活生だったんだね?」
と、立ち上がった男性がにこやかな笑顔で声をかけてくれたお陰か。桂那の不安が少しやわらぎ、普通に会話が出来ていた。
立ち話もなんだろうと、すぐ近くにあるらしい喫茶店に行こうと誘ってくれた男性だが。
俯いていた顔がしっかり見えると、その異質だが妖しい雰囲気の男性に変わっていたのに驚く。他にも、さっきまでは黒髪短髪だったのが、真っ赤な艶髪になってたり角があったり。
普通は絶叫物なのに、美しさに目を奪われて恐怖など持たなかった。
「お……に?」
「良かった。ちゃんと俺のことが見えてたんだ。一応人間界にいる時は、人化してるんだけど」
「え……じゃあ、ここは?」
「俺達妖が住う人間界との狭間。通称、界隈と呼ばれている世界だよ。お姉さんは、おそらく俺に触ったのがきっかけで見鬼……いわゆる妖怪が視えたんだろうね?」
「ど……して」
「とりあえず、落ち着くのに一旦喫茶店に行こう? あ、俺の姿怖い? なんならまた人化するけど」
「あ、いえ……」
そこは変えないで欲しい、と何故か口にしてしまったら。鬼の男はすぐに、ぷっと笑い出した。
「鬼なのに、怖くないんだ? お姉さん面白いね? あ、俺。この姿の時は隆輝だけど。人化の時も、人間界で仕事してるんだ。相楽隆仁って言うんだけど」
「え……と、沓木桂那と言います」
「じゃあ、ケイちゃんだ」
「え」
鬼なのに、結構フレンドリーだなと思ったのが第一印象。
そこから、彼が修行中のパティシエであることを知ってから交流を深め。その一年後に、恋人関係になるまでは予想しなかったが。
けど、桂那は充実していた。就活も無事に終わり、今の会社で仕事が出来ているからだ。
そして今日。疲れると変身が解けてしまう、隆仁こと隆輝を部屋に入れて。出来上がったばかりのブラウニーを早速食べてもらうことにした。
「200回目のお誕生日おめでとう」
「ありがと。お? 美味しそう」
「バター使ってないけど、いい出来でしょ?」
「え、使ってないの?」
長い紅髪を縛ってから、切り分けたブラウニーをひと口食べてくれると。金の瞳が嬉しそうに垂れ下がったのだった。
「どう?」
「美味し! これ、甘さ控えめのホイップ添えたらもっと美味しいかも!」
「あ、ごめん。忘れてた」
「ううん。けど、充分美味しいよ。俺負けそう」
「本職に言われちゃうと、むず痒いわ」
就活の合間に、彼がこの部屋にやってくるたびに作ってくれたお菓子の数々。今も現役で働いているのだから、敵うはずがないのに。
「あ、そうだ。ケイちゃん」
「なーに?」
「錦の界隈に。俺の友達がいるの覚えてる?」
「そうね? 私が就職してからは、ほとんど会ってないけど」
「あのね? あいつにも恋人が最近出来たんだって! お祝い兼ねて、あいつの店に食べにいかない?」
「へー?」
妖怪だからって、人間と付き合う場合も度々あるらしい。桂那と隆輝はまずそうなのだから。
きっと、あの猫人もそうかなと期待するのだった。
まだ説明会が始まったばかりだったので、就活は焦る必要はないと思っていた。そう思っていたのだが、早いうちに内定をもらえるとの情報を耳にすると、いくら桂那でも焦りが出た。
苛つき、むかつき、などなど。
表面に感情が出にくい桂那でも。焦りが出て当然。だが、大学の単位は落としたら意味がないのも知っているので適度に登校したが。
「……焦る」
まだ就活生新人でも、早く安心したい気持ちがあるからだ。中学はともかく、高校や大学に関しては推薦入試ではなく筆記試験と面接で勝ち取ってきた。
それを就活も同じだろうと踏んでいたら、実際はそうではない。説明会もだが、エントリーシートと言うのが厄介だ。
桂那が自信を持って挑んでも、五社中二社の選考に通るかどうかくらい。就活氷河期は過ぎたと言うのに、選考基準がどんどん厳しくなっているのだ。
誰だ、今なら就職しやすいと言った阿呆は。
「……あー……もう、焦る!……ん?」
今、誰かの足につまずいたような。
そう思って、下を見たら長い長い脚が。
地面にその状態、まさか倒れたんじゃ。と、桂那は気持ちを切り替えて相手の顔を見れば。これまた憎らしいくらい、幸せな笑顔で寝ている男性がいたのだった。
「……もしもし、お兄さん?」
桂那も一応成人はしているが、大の大人がビル街で寝こけているなど言語道断。
けど、蹴ってそのままにするのは、桂那の良心には傷つくものでしかないので。とりあえず肩を揺すって起こしてみたのだが。
男性がうめき声を上げただけで、桂那の背に独特の悪寒が生じたのだった。悪い意味ではなく、俗に言う性的欲求のような。
そんな部分を刺激してくるような、官能的なかすれ声だったのだ。男と関係を持った時期など、就活の前に終わらせたので今はフリー。
だから、久しく刺激された感覚に、街中なのに非常に驚いてしまう。
「……ん? あー……ふぁ、あれ? 俺寝てた?」
素の声まで、桂那の好みにドストライクをかましてくるとは。
ここで縁を切るのも、女の恥。
と、訳の分からない文言が浮かんだが。とにかく、この男性ともっと話したい気持ちも湧いてきたので。桂那はしゃがんで男性と視線を合わせた。ちなみに、今日はパンツスーツなので下は問題ない。
「どうも。足がぶつかったんで、謝ろうとしたんですけど」
「けど、俺が寝てたからびっくりした?」
「はい。こんな道端ですし」
「あー、ごめんね? 驚かせて。……けど、よく俺が見えたね?」
「え?」
どう言うことだ、と思うと周りが静かすぎるのに今更気づいた。
今たしか、栄周辺で説明会の帰り道だったのに。人通りが常に多い路地には自分達以外に誰もいない。
本当に、人っ子ひとりいない。これはなんだ、と初めて経験した桂那は流石に戸惑った。
「あー……あー、珍しいね? 人間なのにその年まで見鬼が開花されてなかっただなんて」
「けん……き?」
「とりあえず、説明するよ。でも、お姉さん時間とか大丈夫?」
「えと……大学に寄ろうかどうか考えてたくらいなので。暇……です」
「そっか。リクルートスーツだけど、就活生だったんだね?」
と、立ち上がった男性がにこやかな笑顔で声をかけてくれたお陰か。桂那の不安が少しやわらぎ、普通に会話が出来ていた。
立ち話もなんだろうと、すぐ近くにあるらしい喫茶店に行こうと誘ってくれた男性だが。
俯いていた顔がしっかり見えると、その異質だが妖しい雰囲気の男性に変わっていたのに驚く。他にも、さっきまでは黒髪短髪だったのが、真っ赤な艶髪になってたり角があったり。
普通は絶叫物なのに、美しさに目を奪われて恐怖など持たなかった。
「お……に?」
「良かった。ちゃんと俺のことが見えてたんだ。一応人間界にいる時は、人化してるんだけど」
「え……じゃあ、ここは?」
「俺達妖が住う人間界との狭間。通称、界隈と呼ばれている世界だよ。お姉さんは、おそらく俺に触ったのがきっかけで見鬼……いわゆる妖怪が視えたんだろうね?」
「ど……して」
「とりあえず、落ち着くのに一旦喫茶店に行こう? あ、俺の姿怖い? なんならまた人化するけど」
「あ、いえ……」
そこは変えないで欲しい、と何故か口にしてしまったら。鬼の男はすぐに、ぷっと笑い出した。
「鬼なのに、怖くないんだ? お姉さん面白いね? あ、俺。この姿の時は隆輝だけど。人化の時も、人間界で仕事してるんだ。相楽隆仁って言うんだけど」
「え……と、沓木桂那と言います」
「じゃあ、ケイちゃんだ」
「え」
鬼なのに、結構フレンドリーだなと思ったのが第一印象。
そこから、彼が修行中のパティシエであることを知ってから交流を深め。その一年後に、恋人関係になるまでは予想しなかったが。
けど、桂那は充実していた。就活も無事に終わり、今の会社で仕事が出来ているからだ。
そして今日。疲れると変身が解けてしまう、隆仁こと隆輝を部屋に入れて。出来上がったばかりのブラウニーを早速食べてもらうことにした。
「200回目のお誕生日おめでとう」
「ありがと。お? 美味しそう」
「バター使ってないけど、いい出来でしょ?」
「え、使ってないの?」
長い紅髪を縛ってから、切り分けたブラウニーをひと口食べてくれると。金の瞳が嬉しそうに垂れ下がったのだった。
「どう?」
「美味し! これ、甘さ控えめのホイップ添えたらもっと美味しいかも!」
「あ、ごめん。忘れてた」
「ううん。けど、充分美味しいよ。俺負けそう」
「本職に言われちゃうと、むず痒いわ」
就活の合間に、彼がこの部屋にやってくるたびに作ってくれたお菓子の数々。今も現役で働いているのだから、敵うはずがないのに。
「あ、そうだ。ケイちゃん」
「なーに?」
「錦の界隈に。俺の友達がいるの覚えてる?」
「そうね? 私が就職してからは、ほとんど会ってないけど」
「あのね? あいつにも恋人が最近出来たんだって! お祝い兼ねて、あいつの店に食べにいかない?」
「へー?」
妖怪だからって、人間と付き合う場合も度々あるらしい。桂那と隆輝はまずそうなのだから。
きっと、あの猫人もそうかなと期待するのだった。