九羊の一毛
県外の大学に通う彼は、アパートを借りて一人暮らしを始めた。
私だって彼女という肩書きがあるし、ここへ入ったのは今日が初めてじゃない。とはいえお互い通う大学が違うし、バイトやサークルもあるしで、お邪魔したのは片手で数えられる程度の回数なんだけれど。
泊まるのは正真正銘、今日が初めてだ。
「……羊ちゃん?」
黙り込んだ私に、彼が首を傾げる。
「あ、まだお腹空いてないから思い浮かばないや……玄くんの食べたいのでいいよ」
「そう?」
不思議そうに黒い瞳が揺れた。
言ってしまえば、――初めて、ではない。何がって、そういうことをするのが。
彼と初めてを経験したのは春先のこと。緊張しすぎて実はほとんど覚えていない。
とにかく必死に彼に縋りついて、泣いたり焦ったり、忙しなかったというのは記憶にある。
覚悟はしていったんだけれど、すんでのところで怯んで「待って」と軽く押し返した私に、彼は見たこともない顔で言った。
『一年以上も我慢した……も、無理。……好き、』
切羽詰まった声で唇を塞がれた瞬間、何もかもどうでもよくなってしまった。
そして以降、二回目がないまま今日に至る。