九羊の一毛
柔らかい声。
頬に当てられた冷たさに驚いて、反射的に肩を竦める。
俯いたままの俺の顔を覗き込んで、彼女は屈託なく笑った。
「狼谷くん?」
真ん丸の瞳が不安げに揺れる。吸い込まれそうなほど純真な光。
窓から入ってくる風が彼女の前髪を持ち上げた。色素の薄い猫っ毛。どことなく儚くて、触れたら消えてしまいそうだ。
数秒の後、彼女はその白い頬を淡く朱色に染めて、視線をさ迷わせた。
帰ったんじゃなかったの。あのまま、俺のことを放って帰ればよかったんじゃないの。
彼女はわざわざ保健室へ赴いて、保冷剤を持ってきた。
ただの親切か、ただの気紛れか。どっちにしろ、今の俺にとっては痛み止めのように染み入った。
「……羊、だっけ」
「え?」
「白さんの下の名前。合ってる?」
岬に散々教えられた、彼女の名前。
怖がらせるなよ、名前くらい覚えろよ、委員会はちゃんと出ろよ、と口うるさく言われた。
別に岬のために従っていたわけではない。彼女が露骨に俺を怖がるから、仕方なくだ。
彼女がぎこちなく頷く。
そんなに怖いなら、こんなことしなければいいのに。思わず気が緩んで、少し笑ってしまった。
「羊。羊ちゃん」