九羊の一毛
澄んだ呼び声。
懸命にこちらへ駆け寄ってきた羊ちゃんは、膝に手をついて肩で息をする。
そして得意げに口角を上げると、悪戯っ子のように目を細めた。
「はい、これ」
彼女が差し出してきたのは、小さめのぬいぐるみのようなものだった。
丸いシルエットのそれを受け取って、まじまじと観察する。
「何これ。……ヒツジ?」
女子向け――というよりも、子供向けというに相応しい。
いかにも人畜無害そうな顔つきのそれに、なぜか既視感を覚えた。
俺の反応が芳しくなかったからか、羊ちゃんは自信ありげだった表情から一転、肩を竦めて口を曲げる。
「ご、ごめん、いらなかったら捨ててもいいし……狼谷くんにはちょっと、可愛すぎたかも」
ちょっとどころじゃない。こんなストラップをつけている男子高校生がどこにいるというのか。
文句は胸中でいくらでも吐けるのに、彼女の顔を見てしまうとそうもいかなかった。
恐らくさっきの台は取れないとみて移動し、違う台で取れたのがこれだったのだろう。慣れないゲームに格闘する彼女の姿が脳内に浮かぶ。
「……いや、もらっとくよ。ありがとう」
気付けばそう言っている自分がいて。
そうだ、思い出した。既視感の正体。
『今日は狼谷くんの日だよ』
目の前にずっといたというのに、答えを導き出すまでに随分時間がかかってしまった。
それはきっと、俺に向かって屈託なく笑う一匹の無垢なヒツジ。彼女そのものだ。