男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
65、自分の道 ②(第2部 第六話 完)
「あなたにきちんとお礼を言わなくてはならないと思っていて」
エストは切り出した。
「あなたがクロを追いかけなければわたしは夜月をもう一度取り戻すことができなかった。いやもっとその前、狩りが始まることにショックを受けていたわたしを連れ出してくれなかったら、すべての鶏が狩りの対象になっていた。マムシに襲われて命があるのも、自分の危険を省みず即座に毒を吸出してくれたあなたのおかげだと思う」
目を瞠って聞いていたアデールの王子は首をふる。
「クロも森を寝床にしていたから。一人より二人の方が、人を動かせる力を持つと思っただけだよ。マムシの方は、僕の方が感謝しなきゃいけないというか。蛇の気を引いて助けてくれたのはエスト殿だ。僕は全く気が付いていなかったし、あのままだったらマムシを刺激して噛まれていたのは僕の方」
二人は互いに見つめう。
だが、先に目をそらしたのはアデールの王子であるロゼリア。
遠慮がちにいう。
「僕と一緒に席につくのは良くないのでは」
「どうして?わたしがわたしの意志でここにいることに、何の問題があるのかわからない」
「まあ、取り巻きをやめたってことなの?」
驚いたのはベラである。
彼女の声は食堂にひびきわたった。
彼女の声はたまにシンと静まったその瞬間を狙っているのではないかと思われる時がある。
エストは苦笑する。
影の薄い眼鏡の王子も笑いを押し殺している。
「そうだともいえるしそうでないともいえる。でも、前のように、一緒になって行動することはないよ。わたしはわたしが望むように生きたい。周りに評価されないといけないとか、認められたいとか、こうあるべきだと行動することとか、そういうことをすることに、意味がなくなったというか」
「どうして?急に?一回死にかけたから心境が大きく変化したとでもいうのかしら?」
彼女は遠慮がないところがある。
エストは笑う。
口調が砕けた。
「それもある。でも一番大きかったのは、僕の中の常識が覆されたことかな。だって、今までメスだと思い込んでいたものが、オスだったんだ。僕の中の常識がまるでひっくり返ったんだ。大事なことは、アン殿がそのことに気が付いたように、形にとらわれず、自分の心が感じることを大事にすることだと思う。僕は僕の道を行く。他人の思惑に振り回されるのは、自分の人生を歩んでいるといえないから。そして、自分の生き方を貫いたのならば、どんな結果でも甘んじて受け入れられると思う」
エストは決意していう。
「今まで、邪険にして申し訳なかったと思っている。今は、感謝しかない」
エストは頭を下げた。
ひゅっと驚いたベラの喉が鳴った。
誇り高い森と平野の国のD国王位継承第一位のエストが誰かに頭を下げることなど想像したこともなかったのだ。
食堂に残っていた者は、ようやくエストが移動したテーブルで何が起こっているのか察してざわめいた。
このことは、今日の午前中に全員に伝わっているだろう。
ノルやバルドたちにも。
アデールの王子を目の敵にしている彼らとの決別は決定的であった。
だからといってジルコン王子を敵に回すわけではない。
一人の人として、改めて彼らと人格を認め合った友人になりたいと思う。
ジルコン王子が薬樹公園でいったことはそういうことだと思うのだ。
「やめてください。エスト殿。これから友人になってくれればいいのですから」
「友人」
「ともに、学び、競い、研鑽しましょう。そして深く交流できると嬉しい。鶏のことも知れば知るほど面白いと思うし、D国に興味がわきました」
アデールの王子は朗らかに言う。
「そうです。わたしにもD国のこともっと教えてください!」
ベラが食い付いてくる。
静かに話を聞いているパジャン側の王子も眼鏡の奥から好奇心がのぞいている。
友人。
エストの胸に冷たく響く。
アデールの王子を女のように妄想しても、男と男は友人にしかなり得ないのが常識だった。
自分の思う道を進もうと決意をしたとはいえ、抱き始めた恋心を現すだけの勇気はどこにもなかった。
その夜エストは決断する。
アデールの王子に感謝の印として贈ろうと思っていた白いショールを、麗しきアデールの双子と称される妹姫に贈ることにする。兄王子の友人からの祝いの品であれば、受け取ってもらえるだろう。
せめて同じ容の姫がまとってくれるならば、いくばくかの慰めになるだろう。
エストはアデールの王子に女性をみてしまう妄想と抱き始めたほのかな恋心を、籃胎の漆箱に白いショールと共に閉じ込めた。
これを再び自分の手で開けない限り、この恋は封印されたのだと己に暗示をかけた。
「エストさま、人使いが荒いです。戻ってこれたと思ったら今度は、アデール国のロゼリア姫の婚約祝いとしてこれを持っていけということですか!わたしがいないその間にエストさまに何かあったらどうするのですか!」
漆箱を預けた護衛はぼやく。
アデールの王子のクロと夜月が番になったことだけでも良しとした。
そうしてエストの恋は、始まる前に終わったのである。
第六話 黒鳥 完 第2部完
エストは切り出した。
「あなたがクロを追いかけなければわたしは夜月をもう一度取り戻すことができなかった。いやもっとその前、狩りが始まることにショックを受けていたわたしを連れ出してくれなかったら、すべての鶏が狩りの対象になっていた。マムシに襲われて命があるのも、自分の危険を省みず即座に毒を吸出してくれたあなたのおかげだと思う」
目を瞠って聞いていたアデールの王子は首をふる。
「クロも森を寝床にしていたから。一人より二人の方が、人を動かせる力を持つと思っただけだよ。マムシの方は、僕の方が感謝しなきゃいけないというか。蛇の気を引いて助けてくれたのはエスト殿だ。僕は全く気が付いていなかったし、あのままだったらマムシを刺激して噛まれていたのは僕の方」
二人は互いに見つめう。
だが、先に目をそらしたのはアデールの王子であるロゼリア。
遠慮がちにいう。
「僕と一緒に席につくのは良くないのでは」
「どうして?わたしがわたしの意志でここにいることに、何の問題があるのかわからない」
「まあ、取り巻きをやめたってことなの?」
驚いたのはベラである。
彼女の声は食堂にひびきわたった。
彼女の声はたまにシンと静まったその瞬間を狙っているのではないかと思われる時がある。
エストは苦笑する。
影の薄い眼鏡の王子も笑いを押し殺している。
「そうだともいえるしそうでないともいえる。でも、前のように、一緒になって行動することはないよ。わたしはわたしが望むように生きたい。周りに評価されないといけないとか、認められたいとか、こうあるべきだと行動することとか、そういうことをすることに、意味がなくなったというか」
「どうして?急に?一回死にかけたから心境が大きく変化したとでもいうのかしら?」
彼女は遠慮がないところがある。
エストは笑う。
口調が砕けた。
「それもある。でも一番大きかったのは、僕の中の常識が覆されたことかな。だって、今までメスだと思い込んでいたものが、オスだったんだ。僕の中の常識がまるでひっくり返ったんだ。大事なことは、アン殿がそのことに気が付いたように、形にとらわれず、自分の心が感じることを大事にすることだと思う。僕は僕の道を行く。他人の思惑に振り回されるのは、自分の人生を歩んでいるといえないから。そして、自分の生き方を貫いたのならば、どんな結果でも甘んじて受け入れられると思う」
エストは決意していう。
「今まで、邪険にして申し訳なかったと思っている。今は、感謝しかない」
エストは頭を下げた。
ひゅっと驚いたベラの喉が鳴った。
誇り高い森と平野の国のD国王位継承第一位のエストが誰かに頭を下げることなど想像したこともなかったのだ。
食堂に残っていた者は、ようやくエストが移動したテーブルで何が起こっているのか察してざわめいた。
このことは、今日の午前中に全員に伝わっているだろう。
ノルやバルドたちにも。
アデールの王子を目の敵にしている彼らとの決別は決定的であった。
だからといってジルコン王子を敵に回すわけではない。
一人の人として、改めて彼らと人格を認め合った友人になりたいと思う。
ジルコン王子が薬樹公園でいったことはそういうことだと思うのだ。
「やめてください。エスト殿。これから友人になってくれればいいのですから」
「友人」
「ともに、学び、競い、研鑽しましょう。そして深く交流できると嬉しい。鶏のことも知れば知るほど面白いと思うし、D国に興味がわきました」
アデールの王子は朗らかに言う。
「そうです。わたしにもD国のこともっと教えてください!」
ベラが食い付いてくる。
静かに話を聞いているパジャン側の王子も眼鏡の奥から好奇心がのぞいている。
友人。
エストの胸に冷たく響く。
アデールの王子を女のように妄想しても、男と男は友人にしかなり得ないのが常識だった。
自分の思う道を進もうと決意をしたとはいえ、抱き始めた恋心を現すだけの勇気はどこにもなかった。
その夜エストは決断する。
アデールの王子に感謝の印として贈ろうと思っていた白いショールを、麗しきアデールの双子と称される妹姫に贈ることにする。兄王子の友人からの祝いの品であれば、受け取ってもらえるだろう。
せめて同じ容の姫がまとってくれるならば、いくばくかの慰めになるだろう。
エストはアデールの王子に女性をみてしまう妄想と抱き始めたほのかな恋心を、籃胎の漆箱に白いショールと共に閉じ込めた。
これを再び自分の手で開けない限り、この恋は封印されたのだと己に暗示をかけた。
「エストさま、人使いが荒いです。戻ってこれたと思ったら今度は、アデール国のロゼリア姫の婚約祝いとしてこれを持っていけということですか!わたしがいないその間にエストさまに何かあったらどうするのですか!」
漆箱を預けた護衛はぼやく。
アデールの王子のクロと夜月が番になったことだけでも良しとした。
そうしてエストの恋は、始まる前に終わったのである。
第六話 黒鳥 完 第2部完