男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

4、蛇革のベルト ③

 ジルコンは思いつめた顔で自分に迫るアデールの王子を見た。
 普段は後ろで一つに固く三つ編みをしている髪は、ゆったりと三つ編みにして片肩に流されている。
 頬や顎先におくれ毛がくるりと丸まっている。
 妹のジュリアのように直毛を固く巻いて強制的に形を作っているのではない、天然のゆるやかなウエーブである。
 その頬は、まだ幼さを残しているのかふっくらとしていて、唇は赤い。
 唇から目が離せなくなりそうで、視線を鼻に移し目元に移す。
 長いまつげが瞬き、凝視していることに気が付いたその青灰色のまなこがジルコンを見上げた。
 ふんわりとバラの匂いがする。
 風呂上りにフラワーウォーターを身体につける習慣のある者は多いが、アデールの王子もその習慣があることを知る。
 この時のために花の香りをまとったのかもしれないと思う。
 バラの化粧水で整えられた肌はきめ細やかで艶やかだった。
 
「……いいかな?」
「いいよ」
 何の許可かわからなかったが、ジルコンは、アデールの王子がふたりきりで自分に望むことであるならば、すべて許せてしまうことを知る。
 どきどきと心臓が打ち始めた。 
 アデールの王子は水牛のベルトに手をかけていた。固く締めたベルトを外そうとして眉を寄せる。
 ベルトを外して、何をしようというのか。
 人目を忍んでジルコンの部屋にやってきて、ベルトを緩めてすることなど、そうそうあるわけではない。
 ジルコンには女しか経験がない。
 それも、ジルコンの気をひくだけの美しさはもちろんの事、野心的でジルコンの財力であったり王子であることをうまく利用できるしたたかな女ばかりだった。
 だから、ジルコンは彼女たちに力添えをしてやることにより、対価として抱き、欲望を満足させる。
 彼女たちもそれを承知で、ジルコンの女への興味が失ったら終わりの関係だった。

 アデールの王子はジルコンの気を引くのに十分であった。
 ベルトを緩め引き抜いたアデールの王子が、ジルコンのズボンを下ろして立ちあがりかけたそれに触れ、撫で上げ、その口に含み、喉の奥でしごき、そして口内の気持ちよさに十分に準備ができたとき、己をベッドに誘うならば。
 ショールの下の柔らかな夜着の下の身体に胸がなくても、己と同じものがついていても、アデールの王子に受け入れるところがあるのならば、そこへ深く突き入れることもできそうであった。
 ジルコンの猛る欲望をその美しい体を開いて受け入れ、苦痛と悦楽の表情をうかべ、鳴き、喘ぎ、己の名を呼ぶのであれば、ジルコンはどんな無茶な望みでも叶えてやれるかもしれなかった。
 
 妄想の通りにアデールの王子はベルトを引き抜いた。
 ジルコンの心臓はこれ以上ないほど高鳴っている。
 アデールの王子は引き抜いたベルトをくるりと巻いて、机の上に置いた。
 脇に挟んでいたものを取り出し、ジルコンの前に伸ばして見せた。
 ジルコンはその時はじめて、それに気が付いた。

「どう?蛇革のベルトなんだけど。水牛ほど固くはないけど、チェーンをつるす穴も入れてもらったから、気に入ってくれたらいいと思うんだけど」
「んんん?」

 意味が分からずジルコンは戸惑った。
 アデールの王子はベルトの左右を確かめて、今度はウエストから差し込み抱きつくようにして肩から胸にかけてジルコンの身体に押し当て、手をまわしてベルトを通してしめた。

 アデールの王子は少し体をそらして目をほそめて自分が通したベルトを満足げに眺めた。
「やっぱり似合う気がする。ジルはいつも黒服だから銀に輝くグレーの革が軽さをそえる。それに蛇は幸運を運ぶとシリルが言っていたし」

 シリルとは誰だ。
 だが問題はそこではなかった。
 問題はジルコンがあらぬ妄想をふくらませ、あまつさえアデールの王子に襲いかかってしまうところだったということだった。
 ベルトを通した時に、もしジルコンがもう少し興奮し正気を失っていたら、しがみついてきた体を抱きしめ、顔を上げさせて、その唇を奪っていたところである。
 己の勘違いに気が付くと顔が羞恥に火照りだす。
 熱くて汗がにじみ出る。優雅の欠片もなく口元を拭った。机のヘリを握りしめていた手はじっとりと汗ばみ強張っている。 

「あ、ありがとう。これは一体どういうことなのか説明を……」
 そこまで言うのが精いっぱいだった。
 ジルコンの妄想を思いもしないであろうアデールの王子は、解放されたような笑顔になっていた。
 エストにかみついたマムシがベルトになるまでの経緯を説明する。
「……そういうわけで、持ち帰ってしまったものを捨てるのも忍びなくて、ウォラスの言葉を思い出して、街の仕立て屋のシリルに頼んでベルトにしてもらったんだ。これは、妹の婚約祝いを選んだ日に、護衛を巻いてマーケットでいろいろご馳走になったお礼だから、このまま受け取ってもらえると嬉しい」
 アデールの王子は屈託なく笑う。
「あのマムシがこんなに美しい細工ものになるとは思わなかった。(SDGSだな)これはありがたく頂戴する。しまり心地がやさしい。確かに上下、黒に黒で、あなたのクロではないが、少し変化が欲しいとも思っていたところだった。本当にありがたい」

 ジルコンはそう感謝の言葉を述べながら、冷静さを取り戻していく。
 そして、自分が赤面ものの妄想に突っ走る前に何をしようとていたのかを思い出した。
 引き出しの上部を引き、万華鏡やら望遠鏡やらこまごまとした宝物をいれている中からちいさなハンカチを取り出した。
 ハンカチは折りたたまれていて、中には大事なものがしまわれている。
 あの日、マーケットで作らせたもの。手の中に握りこんで、再びアデールの王子に向き合った。
 安心したことに、身体は今は自分の完全なコントロール下にある。

「目を閉じてこっちに顔を寄せろ」
 ジルコンはそう命令する。
「どうして?」
 戸惑うアデールの王子に対して今度はジルコン側からの意地悪を仕掛ける。
 その手を引き背中に手をまわし抱きしめた。
「う、わああ?何を!」
 抱きしめられて慌てふためく体をしっかり腕で締めて抱きしめながら、金の髪の束に首筋から手を入れた。
 洗い立ての髪の良い匂いがジルコンの鼻をくすぐった。
 
 腕をつっぱりアデールの王子がジルコンから逃れたときには、その顔は真っ赤。
「僕は、そういうつもりではなくって……」
 そういいながら喉元に手をやる。その手がジルコンが残したものを探り当てた。
 細かな金鎖につながれた珠を指でつまんだ。
 指の第一関節ほどもある大きさの真珠の珠のペンダントがその喉元を飾っていた。 

「そういうつもりってなんだ?それはマーケットの職人の卵、セ、セシリオに作ってもらっていたんだ。お忍びの記念に。サプライズプレゼントだった。渡しそびれていたんだが、渡せてよかった」
 
 アデールの王子は勘違いに気が付き、眼をみはって珠を見るが、眼に見えてほっとしている。
 ジルコンは快心の笑みを浮かべた。
 先ほどジルコンが勘違いしたようなことを、アデールの王子が想像していたのに違いなかった。
 抱きしめられて、キスされるとか?
 仕返しは成功である。
 くるくる万華鏡のように変化する表情は、ジルコンを惹きつけてやまない。
 ジルコンは彼を大事にしたいと思う。
 彼を大事にすることは、同時に婚約者のロゼリア姫を大事にすることにつながると思うのだ。

「ありがとう!大事にする!寛いでいるところ邪魔しました。おやすみなさい……」
 愛しい人と同じ顔の王子は来た時と同様にするりと部屋から滑り出ていく。
 ジルコンはバラの残り香に、眠れぬ夜を過ごしたのである。


 4、蛇革のベルト 完
 
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