男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
第8話 二人の決断
75、開かない扉 ①
エールの王城、鎮守の森に面した一角に、夏スクールに参加する者たちの部屋がある。
三階は女子たちの部屋。二階は男子たちの部屋。
そのうち、中ほどの一つの部屋はこの数日閉ざされたままである。
掃除の者が入ることも拒んでいる。
その部屋はアデールのアンジュ王子の部屋。
あの事件では、アデールの王子は怪我はなかったというが、本当にそうだったのか。
色男のウォラスや、彼を心よく思っていなかったノルやフィンやラドーたちから、実際には公言できないような酷いことが行われたためなのではないか、そんな憶測がまことしやかにささやかれている。
アデールの王子を呼びだし暴行に関わったとされる関係者は一様に口をつぐんでいる。
その後の乱闘に参加した者たちは無傷なものはいなかった。
顔を腫らし、脚をひきずり、腕をつる。それはないだろ?俺たちが来る前にやられていたのはウォラスだぜ?と、不可解な返事が返ってくる。ウォラスはアデールの王子を呼びだした首謀者だとされていたからだ。
そして、女子たちが驚いたことに、殴りあったはずのエール派とパジャン派の満身創痍の男たちは、以前よりも心を開いている。言葉から気どりや慇懃さがなくなり、古くからの友人のように仲良くなっていたのだった。
一日の謹慎は、暴行と乱闘に関わった者たち全員である。
二日の謹慎は、乱闘に引き金になった、アデールの王子を呼びだした者たちへの処分。
彼らは、被害者というべきアデールの王子へ謝罪文をしたためる。
アデールの王子が許せばスクールに復帰できることとなった。
アデールの王子の扉をノックしても何の返事もなく隙間も開かないために、扉の下から部屋の中へ、彼らの謝罪文は差し込まれることになった。
当のアデールの王子、こと、ロゼリアは、去り際のジルコンの言動をどう受け取ったらいいかわからず恐慌をきたしていた。
ジルコンが好きなのは、男としてのアンジュなのか。そのアンジュは、男装はしていてもロゼリアなので喜ぶべきことではないか?
だが、実際は、ジルコンは男が好きなのではないか?
(以前は知らないが)そのことに目覚めてしまったのではないか?
あなたの婚約者であるロゼリア姫が、男装していただけで、あなたが好きな人その人ですよ、万々歳、ということにならないのではないか?
つまり、王子は男のアンジュが好きなのだとしたら、愛する相手は正真正銘の男のアンジュになる。
どんなに考えても思い悩んでもロゼリアには答えがでない。
ジルコンが、あの時、激情に突き動かされた形でもなんでも、ロゼリアの肌着の下の秘密を暴きさえすれば、その時に瞬時に答えがでたのにと思う。
だが、ジルコンは完全に理性を失うことができない男であった。
エールの王子として今までに己の理性を失った結果がもたらした悲劇を知っているのかもしれない。
それは、尊敬するに値する特質でもあったのだが。
ひとつだけ確実にわかったことがある。
ジルコンにとって、アンジュでないロゼリア姫は、ただの形だけの婚約者にすぎない存在だということ。
ロゼリアにその事実が腹に冷たく固まっている。
二日目に差し込まれた謝罪文は、毛筆手書きであったり、羽ペンで書かれてあったり、流れるような文字であったり、やたら修飾語が多かったり。これもまた特色のあるものである。
ロゼリアは興味深くその謝罪文を読んだ。
後々のこるこのような謝罪文を書くのは屈辱だったと思うが、猛反省する気持ちはロゼリアに届いた。
三日目は、月の障りが訪れた。
何もする気にならなかったのでベッドの上ですごすことにした。
ベッドの上に、謝罪文も食事も、何もかも持ち込んだ。何度も読み直し、これでもかと踊る達筆を眺めた。
美しい割に、誤字脱字があった。ロゼリアはアデールの赤を溶かしてインクにする。訂正することにした。
扉の外に置かれたご飯は、ベッドの上で寝転びながら食べた。
ベッドの上で文字を修正した謝罪文は、その都度、朱文字でスクール継続許可する、とこれまた大きく表紙に書いて、扉の内から外へ押し出した。
四日目は、体もだるく、眠かった。
このまま部屋で三日目と同様に、ベッドの上でごろごろと過ごすことにした。
ロゼリアから許されたノルたちは、誰もいない時を見計らいやってきた。
授業が行われているはずの時間帯に、寝静まったころを見計らい、ひとりまたひとりと謝りにきていた。
本気で反省し、鼻をすすりながら謝っていた。
彼らが来るたびに、その顔を想像し、取り澄ました顔に鼻水は似合わないだろうなとベッドの上で思う。
「本当に悪かった。許してくれ。あの時はどうかしていたと思うし、そもそもはじめから、田舎の出なのに妹をジルコンの妻にし、義兄となることが約束されたあなたに嫉妬していたのだと思う。ジルコンは、エールの王子というだけではなくて、ほんとにいいやつで、男も惚れる男なのに、あなたにとられると思ったから……心より申し訳ないと思っている」
ウォラスも扉の外でささやいた。
「わたしの退屈しのぎにあなたを巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思っている。あなたの秘密は、墓場まで持っていくから安心してほしい。これでこの件はわたしからは終わりにする」
ウォラスの媚のない話し方を聞くのは初めてだった。
ウォラスは最後の最後に、自分のしでかしたことを自分の身体に引き受けた。
ロゼリアには彼を責める気持ちはなかった。
五日目、エストが扉外に朝食を置く。
食事はエストとレオが交代で持ってきてくれているようだった。
「みんな反省しているよ。わたしが変われたように、ノルたちも気持ちを入れ替えている。あなたへのわだかまりは全て、あの乱闘で燃えて尽きてしまったと思う。今日は外に出られそうかな。アンジュ、みんなあなたを待っているから」
エストはロゼリアを外に出るように誘いかけた。
もうそろそろ、この部屋から出るべきだと思った。
部屋に籠って寝てばかりで体を動かさないことの限界を感じる。
あたたかな温泉に入り、身体の隅々までキレイにしたかった。
繭のようにこもった部屋にはジルコンの袖のちぎれた服が、脱いだ形のまま置き去りにされていた。
この五日間、ロゼリアはみないでいようと思うのに、視線が吸い寄せられてしまうのだった。
とうとう眺めるだけに飽きてしまった。
ベッドから起き上がった。
恐る恐る手に取った。
ジャケットを検分すれば、あちらこちら、泥と黒く乾いた血で汚れ、金の糸で厚くつづった刺繍は無残にほつれていた。
一度手に取れば、それを顔に押し付けずにはいられなかった。
泥と、すえた汗のにおいがする。
ようやく顔を離すと、ロゼリアの頬には刺繍の跡がうねるようについている。
鏡も見ず、指摘する人もいなかったので、くっきり刻まれたジルコンの模様にロゼリアは気がつかなかなかった。
おもむろにロゼリアは汚れたジャケットを洗い始める。
ベランダに干した。
夕刻には乾いていたので、取れかけた袖を丁寧に縫い合わせ、ほつれた刺繍をし直した。
時間はたっぷりあった。こんなに自分だけの誰にも干渉されることのない時間は生まれて初めてだった。
きれいに仕上がったジルコンの上着に腕を通してみた。
袖は長くて、肩幅はロゼリアが想像したよりも大きかった。
意外でどきどきした。
ロゼリアはその夜、ジルコンの上着を着て過ごす。
この繭に籠っている限り、胸に晒しを巻く必要もない。
もう巻きたいとも思わない。
自分の気持ちがようやくわかった。
自分はジルコンが好きだ。
男装で彼の前にアデールの王子として振る舞うのは、もう出来そうになかった。
三階は女子たちの部屋。二階は男子たちの部屋。
そのうち、中ほどの一つの部屋はこの数日閉ざされたままである。
掃除の者が入ることも拒んでいる。
その部屋はアデールのアンジュ王子の部屋。
あの事件では、アデールの王子は怪我はなかったというが、本当にそうだったのか。
色男のウォラスや、彼を心よく思っていなかったノルやフィンやラドーたちから、実際には公言できないような酷いことが行われたためなのではないか、そんな憶測がまことしやかにささやかれている。
アデールの王子を呼びだし暴行に関わったとされる関係者は一様に口をつぐんでいる。
その後の乱闘に参加した者たちは無傷なものはいなかった。
顔を腫らし、脚をひきずり、腕をつる。それはないだろ?俺たちが来る前にやられていたのはウォラスだぜ?と、不可解な返事が返ってくる。ウォラスはアデールの王子を呼びだした首謀者だとされていたからだ。
そして、女子たちが驚いたことに、殴りあったはずのエール派とパジャン派の満身創痍の男たちは、以前よりも心を開いている。言葉から気どりや慇懃さがなくなり、古くからの友人のように仲良くなっていたのだった。
一日の謹慎は、暴行と乱闘に関わった者たち全員である。
二日の謹慎は、乱闘に引き金になった、アデールの王子を呼びだした者たちへの処分。
彼らは、被害者というべきアデールの王子へ謝罪文をしたためる。
アデールの王子が許せばスクールに復帰できることとなった。
アデールの王子の扉をノックしても何の返事もなく隙間も開かないために、扉の下から部屋の中へ、彼らの謝罪文は差し込まれることになった。
当のアデールの王子、こと、ロゼリアは、去り際のジルコンの言動をどう受け取ったらいいかわからず恐慌をきたしていた。
ジルコンが好きなのは、男としてのアンジュなのか。そのアンジュは、男装はしていてもロゼリアなので喜ぶべきことではないか?
だが、実際は、ジルコンは男が好きなのではないか?
(以前は知らないが)そのことに目覚めてしまったのではないか?
あなたの婚約者であるロゼリア姫が、男装していただけで、あなたが好きな人その人ですよ、万々歳、ということにならないのではないか?
つまり、王子は男のアンジュが好きなのだとしたら、愛する相手は正真正銘の男のアンジュになる。
どんなに考えても思い悩んでもロゼリアには答えがでない。
ジルコンが、あの時、激情に突き動かされた形でもなんでも、ロゼリアの肌着の下の秘密を暴きさえすれば、その時に瞬時に答えがでたのにと思う。
だが、ジルコンは完全に理性を失うことができない男であった。
エールの王子として今までに己の理性を失った結果がもたらした悲劇を知っているのかもしれない。
それは、尊敬するに値する特質でもあったのだが。
ひとつだけ確実にわかったことがある。
ジルコンにとって、アンジュでないロゼリア姫は、ただの形だけの婚約者にすぎない存在だということ。
ロゼリアにその事実が腹に冷たく固まっている。
二日目に差し込まれた謝罪文は、毛筆手書きであったり、羽ペンで書かれてあったり、流れるような文字であったり、やたら修飾語が多かったり。これもまた特色のあるものである。
ロゼリアは興味深くその謝罪文を読んだ。
後々のこるこのような謝罪文を書くのは屈辱だったと思うが、猛反省する気持ちはロゼリアに届いた。
三日目は、月の障りが訪れた。
何もする気にならなかったのでベッドの上ですごすことにした。
ベッドの上に、謝罪文も食事も、何もかも持ち込んだ。何度も読み直し、これでもかと踊る達筆を眺めた。
美しい割に、誤字脱字があった。ロゼリアはアデールの赤を溶かしてインクにする。訂正することにした。
扉の外に置かれたご飯は、ベッドの上で寝転びながら食べた。
ベッドの上で文字を修正した謝罪文は、その都度、朱文字でスクール継続許可する、とこれまた大きく表紙に書いて、扉の内から外へ押し出した。
四日目は、体もだるく、眠かった。
このまま部屋で三日目と同様に、ベッドの上でごろごろと過ごすことにした。
ロゼリアから許されたノルたちは、誰もいない時を見計らいやってきた。
授業が行われているはずの時間帯に、寝静まったころを見計らい、ひとりまたひとりと謝りにきていた。
本気で反省し、鼻をすすりながら謝っていた。
彼らが来るたびに、その顔を想像し、取り澄ました顔に鼻水は似合わないだろうなとベッドの上で思う。
「本当に悪かった。許してくれ。あの時はどうかしていたと思うし、そもそもはじめから、田舎の出なのに妹をジルコンの妻にし、義兄となることが約束されたあなたに嫉妬していたのだと思う。ジルコンは、エールの王子というだけではなくて、ほんとにいいやつで、男も惚れる男なのに、あなたにとられると思ったから……心より申し訳ないと思っている」
ウォラスも扉の外でささやいた。
「わたしの退屈しのぎにあなたを巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思っている。あなたの秘密は、墓場まで持っていくから安心してほしい。これでこの件はわたしからは終わりにする」
ウォラスの媚のない話し方を聞くのは初めてだった。
ウォラスは最後の最後に、自分のしでかしたことを自分の身体に引き受けた。
ロゼリアには彼を責める気持ちはなかった。
五日目、エストが扉外に朝食を置く。
食事はエストとレオが交代で持ってきてくれているようだった。
「みんな反省しているよ。わたしが変われたように、ノルたちも気持ちを入れ替えている。あなたへのわだかまりは全て、あの乱闘で燃えて尽きてしまったと思う。今日は外に出られそうかな。アンジュ、みんなあなたを待っているから」
エストはロゼリアを外に出るように誘いかけた。
もうそろそろ、この部屋から出るべきだと思った。
部屋に籠って寝てばかりで体を動かさないことの限界を感じる。
あたたかな温泉に入り、身体の隅々までキレイにしたかった。
繭のようにこもった部屋にはジルコンの袖のちぎれた服が、脱いだ形のまま置き去りにされていた。
この五日間、ロゼリアはみないでいようと思うのに、視線が吸い寄せられてしまうのだった。
とうとう眺めるだけに飽きてしまった。
ベッドから起き上がった。
恐る恐る手に取った。
ジャケットを検分すれば、あちらこちら、泥と黒く乾いた血で汚れ、金の糸で厚くつづった刺繍は無残にほつれていた。
一度手に取れば、それを顔に押し付けずにはいられなかった。
泥と、すえた汗のにおいがする。
ようやく顔を離すと、ロゼリアの頬には刺繍の跡がうねるようについている。
鏡も見ず、指摘する人もいなかったので、くっきり刻まれたジルコンの模様にロゼリアは気がつかなかなかった。
おもむろにロゼリアは汚れたジャケットを洗い始める。
ベランダに干した。
夕刻には乾いていたので、取れかけた袖を丁寧に縫い合わせ、ほつれた刺繍をし直した。
時間はたっぷりあった。こんなに自分だけの誰にも干渉されることのない時間は生まれて初めてだった。
きれいに仕上がったジルコンの上着に腕を通してみた。
袖は長くて、肩幅はロゼリアが想像したよりも大きかった。
意外でどきどきした。
ロゼリアはその夜、ジルコンの上着を着て過ごす。
この繭に籠っている限り、胸に晒しを巻く必要もない。
もう巻きたいとも思わない。
自分の気持ちがようやくわかった。
自分はジルコンが好きだ。
男装で彼の前にアデールの王子として振る舞うのは、もう出来そうになかった。