男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
79、繭の中 ②
アンジュは部屋を見回した。
ロゼリアの元気な様子をみれば、大丈夫そうである。
きれいに整えられた部屋にただひとつ異質なものの存在に気が付いた。
衣裳をしまう棚の外側に、ロゼリアのものではないジャケットがかかる。
まるで、いつでも見ることができるようにしているかのように。
その男物のジャケットは部屋のなかでもひときわ異彩をはなっている。
藍を何度も染めて深い褐色(かちいろ)まで染め、さらに深みを増させ黒と見まごう褐返(かちがえし)の生地に、金色で豪奢な刺繍がされている。
良く似たジャケットをアンジュはフォルス王に謁見する前に目にしていた。
それは黒に銀であれば王子の黒騎士たち。
黒に金ならばジルコン王子である。
そのジャケットは明らかにジルコン王子のものだった。
それが、なぜロゼリアの部屋にあるのだろうか。
ジルコンがこの部屋で服を脱いだということなのか、それともロゼリアが彼の服を預かったというのか。
王など高貴な身分の者から身に着けているものは下賜されることもある。
そうやって与えられたものなのだろうか。
「呼びだされたれて小突かれただけで、その後に二大派閥間で乱闘が始まったときには脇に逃れていたと。ひどい怪我でもなさったのかと思いましたわ!でもそれだと、どうして部屋に籠城することに?」
サララも褐返のジャケットにちらりちらりと視線をやりはじめている。
褐返の異質さに気が付いたのだった。
「なんだか、いろいろショックで寝込んでいたりしたら、7日もたってしまった。そうしたら今度は部屋から出づらくなったの」
「そのショックなこととはあのジャケットの主と関係があるの?」
アンジュは口を挟んだ。
「そうですわ。あれは誰のものなんです?」
「ジルのだ。脱いで、そして置いて行った」
「ジルだって?」
「この部屋で脱いだ、ですって?」
アンジュとサララは同時に声を上げた。
二人は顔を見合わせた。
「つまり、ロズが親しげにジルと呼ぶジルコン王子が、ふたりきりのこの部屋で脱ぐようなことをした。そしてロズはショックを受けて、七日間、仮病をつかって部屋をでなかったということなのか?」
「ええ?でも、ロズさまはアンジュ王子だったのですよね。それなのに、どうして服を脱ぐことなどすることになるのですか?」
サララは混乱している。
女には、男が男に欲情する場面など想像ができないに違いない。
アンジュは、そのような場面に自分は遭遇したことがないが、起こり得ることも知っている。
「彼はこの部屋に送ってくれたのよ。濡れていたし、怪我していたし、袖もちぎれていたし、刺繍は駄目になっていたし」
ロゼリアの視線が不安げに泳いだ。
まるで非難されているのをかわそうとするように。
「そうは言われても、このジャケットは清潔な匂いがするし、袖はとれていないし、刺繍はきれいです。これはロズさまが修繕されたということですか?」
「たしかロズはそのような手仕事は好きではなかったと僕は記憶してるんだけど。裁縫の時間は最後は部屋を飛び出していた……」
「不思議なことにそれほど苦には感じなかったの。刺繍は得意ではないけど、仕込んでくれた母にはじめて感謝したわ」
再びアンジュとサララは顔を見合わせた。
アンジュは、サララの視線の後押を得てベッドから立ち上がり、ロゼリアに再び向かい合った。
「本当に、僕にいわなければならないことはないの?入れ替わりの秘密は守られているの?」
「ジルはわたしのことをずっとアンジュだと思っている」
「じゃあ、だったら何がショックで……」
「男とわかっていて、服を脱いで、ロズさまをショックを受けさせたってことですよね。一体どういうことなのかわたしにはわかりません……」
ロゼリアの瞳は苦悩に揺れていた。
何か男装ロゼリアとジルコンとの間に何かあったことは確かであるが、ロゼリアは頑なにいいたくないようだった。
ロゼリアはアンジュを睨みつけるような強い目をする。
「わたしは、もうスクールを辞めようかと思っているの。もう、あの事件が起こった前のように完全にアンジュになれるような気持ちになれないのよ!男装を続け皆を欺き続ける自信がないから、この部屋から一歩も出られなくなった。それが部屋に籠ることになった理由なの」
彼らの目の前のロゼリアは男まさりの勝ち気がちなロズではない。
「本当に、ジルコンにばれていないのか?」
「……キスした。押し倒された。アンジュであるわたしが好きだともいった。だけど、ジルコンはわたしを拒絶した。ジルコンはロゼリアのことを形ばかりの婚約者だというの。わたしはここで、彼と積み重ねてきたことは全て偽物のアンジュとの思い出であって、本当のわたしとのものではない。そんなことに耐えられない。もうこれ以上、アンジュではいられないのよ」
「ジルコン王子のことがお好きなのですか……」
サララが呆然という。
首をかしげて熟慮する。
「なら、アンジュはロゼリアですと告白するべきなのでは。そうすれば、ロズさまとジルコン王子は婚約者なので、相思相愛。全てまるく納められるのでは」
「それは、できない!」
ロゼリアとアンジュは同時に拒絶し、二人の剣幕にサララは肩をすくめた。
「いずれ告白するかもしれないけれど、今はだめだ」
ロゼリアは呼吸を整え言い直す。
その時、静かに扉が叩かれた。
部屋の中の三人は口をつぐみ息を殺す。
「アン……、父がロゼリア姫を呼んだと聞いた。もう中におられるのだろうか」
扉外から語りかける、ためらいがちな声。
ジルコン王子だった。
ロゼリアの元気な様子をみれば、大丈夫そうである。
きれいに整えられた部屋にただひとつ異質なものの存在に気が付いた。
衣裳をしまう棚の外側に、ロゼリアのものではないジャケットがかかる。
まるで、いつでも見ることができるようにしているかのように。
その男物のジャケットは部屋のなかでもひときわ異彩をはなっている。
藍を何度も染めて深い褐色(かちいろ)まで染め、さらに深みを増させ黒と見まごう褐返(かちがえし)の生地に、金色で豪奢な刺繍がされている。
良く似たジャケットをアンジュはフォルス王に謁見する前に目にしていた。
それは黒に銀であれば王子の黒騎士たち。
黒に金ならばジルコン王子である。
そのジャケットは明らかにジルコン王子のものだった。
それが、なぜロゼリアの部屋にあるのだろうか。
ジルコンがこの部屋で服を脱いだということなのか、それともロゼリアが彼の服を預かったというのか。
王など高貴な身分の者から身に着けているものは下賜されることもある。
そうやって与えられたものなのだろうか。
「呼びだされたれて小突かれただけで、その後に二大派閥間で乱闘が始まったときには脇に逃れていたと。ひどい怪我でもなさったのかと思いましたわ!でもそれだと、どうして部屋に籠城することに?」
サララも褐返のジャケットにちらりちらりと視線をやりはじめている。
褐返の異質さに気が付いたのだった。
「なんだか、いろいろショックで寝込んでいたりしたら、7日もたってしまった。そうしたら今度は部屋から出づらくなったの」
「そのショックなこととはあのジャケットの主と関係があるの?」
アンジュは口を挟んだ。
「そうですわ。あれは誰のものなんです?」
「ジルのだ。脱いで、そして置いて行った」
「ジルだって?」
「この部屋で脱いだ、ですって?」
アンジュとサララは同時に声を上げた。
二人は顔を見合わせた。
「つまり、ロズが親しげにジルと呼ぶジルコン王子が、ふたりきりのこの部屋で脱ぐようなことをした。そしてロズはショックを受けて、七日間、仮病をつかって部屋をでなかったということなのか?」
「ええ?でも、ロズさまはアンジュ王子だったのですよね。それなのに、どうして服を脱ぐことなどすることになるのですか?」
サララは混乱している。
女には、男が男に欲情する場面など想像ができないに違いない。
アンジュは、そのような場面に自分は遭遇したことがないが、起こり得ることも知っている。
「彼はこの部屋に送ってくれたのよ。濡れていたし、怪我していたし、袖もちぎれていたし、刺繍は駄目になっていたし」
ロゼリアの視線が不安げに泳いだ。
まるで非難されているのをかわそうとするように。
「そうは言われても、このジャケットは清潔な匂いがするし、袖はとれていないし、刺繍はきれいです。これはロズさまが修繕されたということですか?」
「たしかロズはそのような手仕事は好きではなかったと僕は記憶してるんだけど。裁縫の時間は最後は部屋を飛び出していた……」
「不思議なことにそれほど苦には感じなかったの。刺繍は得意ではないけど、仕込んでくれた母にはじめて感謝したわ」
再びアンジュとサララは顔を見合わせた。
アンジュは、サララの視線の後押を得てベッドから立ち上がり、ロゼリアに再び向かい合った。
「本当に、僕にいわなければならないことはないの?入れ替わりの秘密は守られているの?」
「ジルはわたしのことをずっとアンジュだと思っている」
「じゃあ、だったら何がショックで……」
「男とわかっていて、服を脱いで、ロズさまをショックを受けさせたってことですよね。一体どういうことなのかわたしにはわかりません……」
ロゼリアの瞳は苦悩に揺れていた。
何か男装ロゼリアとジルコンとの間に何かあったことは確かであるが、ロゼリアは頑なにいいたくないようだった。
ロゼリアはアンジュを睨みつけるような強い目をする。
「わたしは、もうスクールを辞めようかと思っているの。もう、あの事件が起こった前のように完全にアンジュになれるような気持ちになれないのよ!男装を続け皆を欺き続ける自信がないから、この部屋から一歩も出られなくなった。それが部屋に籠ることになった理由なの」
彼らの目の前のロゼリアは男まさりの勝ち気がちなロズではない。
「本当に、ジルコンにばれていないのか?」
「……キスした。押し倒された。アンジュであるわたしが好きだともいった。だけど、ジルコンはわたしを拒絶した。ジルコンはロゼリアのことを形ばかりの婚約者だというの。わたしはここで、彼と積み重ねてきたことは全て偽物のアンジュとの思い出であって、本当のわたしとのものではない。そんなことに耐えられない。もうこれ以上、アンジュではいられないのよ」
「ジルコン王子のことがお好きなのですか……」
サララが呆然という。
首をかしげて熟慮する。
「なら、アンジュはロゼリアですと告白するべきなのでは。そうすれば、ロズさまとジルコン王子は婚約者なので、相思相愛。全てまるく納められるのでは」
「それは、できない!」
ロゼリアとアンジュは同時に拒絶し、二人の剣幕にサララは肩をすくめた。
「いずれ告白するかもしれないけれど、今はだめだ」
ロゼリアは呼吸を整え言い直す。
その時、静かに扉が叩かれた。
部屋の中の三人は口をつぐみ息を殺す。
「アン……、父がロゼリア姫を呼んだと聞いた。もう中におられるのだろうか」
扉外から語りかける、ためらいがちな声。
ジルコン王子だった。