男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
「どこの姫さんかしらんが、何か事情があるのか?それとも人買いからでも逃げて来たのか?名前は何て言う?」
ありえないことに、男も同じベッドで休んでいるようだった。
シーラは目を閉じた。
記憶が急激に巻き戻ろうとしていた。先ほどまで悪夢だと思っていたこと。
そう思うと足の裏も痛い。
身体のあちこちが筋肉痛で悲鳴を上げている。
「……わたくしの名前を知りたければ、先に名乗るのが礼儀というもの」
男と女はぎょっとして顔を見合わせた。
男は女の向こうから身体を起こした。
筋肉質の身体には何も着ていなかった。
「俺は、バスク。なんでも屋をしてる。警察の真似事もすれば商人の真似事もする。ここは俺の定宿」
「娼館を定宿にするって粋な男でしょ」
女はバスクにしなだれかかる。
「娼館……」
急に、隣の女の顔つきも体つきも色っぽいことに気が付いた。
どこか遠くでパーティーと思ったのは、娼館で客を楽しませているのか。
陽気な音楽の合間に、誰かが何かを言ったのか、どっと楽し気な笑い声が聞こえる。
「あらあら。この子ったら、助けてもらった癖に強情っぽそうねえ。バスク、こんな娘、あなたが気に掛けることもないんじゃない?元居たところに戻してあげたらいいでしょ」
それは絶対に嫌だった。
それは即死を意味していることがわからないほど、シーラは愚かでない。
自分は助けもなく生きていくことはできなかった。
「わたくしはシエラ、だと思う。思い出せないの。なんでもするので、ここに居させてください」
「なんだって?」
再びバスクと女は顔を見合わせた。
「いや、いさせてほしいって、ここは子供が働く場所ではないが、いるには何かしら費用が掛かるから働いてもらうことになるだろうが、あんた、お嬢さまなんだろ?あんたの着てた服だって、外套は安物だが中のはレースの細工は一流、素材はシルク。普通の娘が身につけられるものじゃない。もっとも、薄汚れて見る影もなかったが」
嫌だ。このままだと断られてしまう。
シエラは見捨てられる恐怖に心臓が冷たく打ちはじめた。
その時部屋の外から子供の声が呼びかけた。
「バスク、ちょっといいかな、今日、すごい稼ぎがあったんだ」
バスクが話を中断し、素早くぴちぴちのズボンをはきベルトを巻いた。
敏捷な身体だった。
そのベルトには短剣がさしてある。
きらびやかでもなく実用的な、ラウス製の鉄剣である。
バスクは女二人を長い脚でまたぎ、紗幕の外へベッドから降りた。
「今日の稼ぎはこれなんだ。これすごいんだぜ、ダイヤやサファイヤやエメラルドやらのネックレスや指輪やらがいっぱい詰まってた」
「お前、盗みをしたんではないだろうな」
「行き倒れから失敬しただけだよ」
男の子の自慢している稼ぎとは、シーラの宝石がつまった袋だった。
「それはわたくしのよ!返しなさい!」
シーラは叫んでベッドを飛び降り子供に突進した。
驚いたのはその場にいた全員である。
子供は手のひらにひっくり返しかけた袋をそのまま掴んで走り出す。
シーラは走って追いかけた。つかめそうでつかめない。
男の子が階段を飛び降りたので、飛び降りた。
ジーンと衝撃が足腰にかかるが構っていられない。
宴会場を突っ切り、料理を盛ったお盆を蹴り倒す。炊事場の包丁をもった料理人の腕の下をくぐる。
楽し気だった宴会場が、突然の子供の闖入者に悲鳴と笑いに包まれる。
「なんだ?新たな娘っ子かい?元気だね?なんて、見事な黒髪なんだ」
好色そうな男が言っているのも耳に入らない。
シーラも必死だった。
再び二階に駆け上がる子供が最上段につく前に、下半身に飛びついた。
派手に音を立てて子供は踊り場に倒れ込み、シーラは子供の手から小袋を奪い返した。
「素直に、返したら、いいのよ、面倒を、かけさせないで、頂戴、」
息が切れた。
だが安心するのはまだ早い。
先ほど飛び出した部屋の前には腕を組むバスクが、面白げにシーラの捕り物をみていた。
「これで、わたしを、助けなさい」
「なんでも思い出せないのに、それが自分のだっていうのはわかっているんだな?」
そういいながらもシーラが差し出した小袋をバスクは遠慮もなく受け取った。
「わかった。シエラをここに客人として置いてもらうように掛け合ってやる。これをそっくり、店に渡してやる。あんたの預かり賃だ。あんたはいいところのお嬢様だろ?そのうちに家の人が探しに来てくれるだろうよ。なんだったら噂を流してやってもいいぜ?黒髪のかわいい女の子をこの娼館で保護しているって。迎えがくるまでリゾート気分でのんびりしていたらいい」
「だれも探しにくることはないわ。探しにくるとしたらそれは……」
朱の姫を殺すため。
逃げなさい、生き延びなさいと、母も東の貴族も言った。
生き残る道をシーラは見つけなければならなかった。
母がどうなったか知りたかった。そして父は、兄弟姉たちはどうなったのか。
シーラに選択肢はあまりない。
唯一の頼みのつなだったかもしれない宝石も、男に全て渡してしまった。
ありえないことに、男も同じベッドで休んでいるようだった。
シーラは目を閉じた。
記憶が急激に巻き戻ろうとしていた。先ほどまで悪夢だと思っていたこと。
そう思うと足の裏も痛い。
身体のあちこちが筋肉痛で悲鳴を上げている。
「……わたくしの名前を知りたければ、先に名乗るのが礼儀というもの」
男と女はぎょっとして顔を見合わせた。
男は女の向こうから身体を起こした。
筋肉質の身体には何も着ていなかった。
「俺は、バスク。なんでも屋をしてる。警察の真似事もすれば商人の真似事もする。ここは俺の定宿」
「娼館を定宿にするって粋な男でしょ」
女はバスクにしなだれかかる。
「娼館……」
急に、隣の女の顔つきも体つきも色っぽいことに気が付いた。
どこか遠くでパーティーと思ったのは、娼館で客を楽しませているのか。
陽気な音楽の合間に、誰かが何かを言ったのか、どっと楽し気な笑い声が聞こえる。
「あらあら。この子ったら、助けてもらった癖に強情っぽそうねえ。バスク、こんな娘、あなたが気に掛けることもないんじゃない?元居たところに戻してあげたらいいでしょ」
それは絶対に嫌だった。
それは即死を意味していることがわからないほど、シーラは愚かでない。
自分は助けもなく生きていくことはできなかった。
「わたくしはシエラ、だと思う。思い出せないの。なんでもするので、ここに居させてください」
「なんだって?」
再びバスクと女は顔を見合わせた。
「いや、いさせてほしいって、ここは子供が働く場所ではないが、いるには何かしら費用が掛かるから働いてもらうことになるだろうが、あんた、お嬢さまなんだろ?あんたの着てた服だって、外套は安物だが中のはレースの細工は一流、素材はシルク。普通の娘が身につけられるものじゃない。もっとも、薄汚れて見る影もなかったが」
嫌だ。このままだと断られてしまう。
シエラは見捨てられる恐怖に心臓が冷たく打ちはじめた。
その時部屋の外から子供の声が呼びかけた。
「バスク、ちょっといいかな、今日、すごい稼ぎがあったんだ」
バスクが話を中断し、素早くぴちぴちのズボンをはきベルトを巻いた。
敏捷な身体だった。
そのベルトには短剣がさしてある。
きらびやかでもなく実用的な、ラウス製の鉄剣である。
バスクは女二人を長い脚でまたぎ、紗幕の外へベッドから降りた。
「今日の稼ぎはこれなんだ。これすごいんだぜ、ダイヤやサファイヤやエメラルドやらのネックレスや指輪やらがいっぱい詰まってた」
「お前、盗みをしたんではないだろうな」
「行き倒れから失敬しただけだよ」
男の子の自慢している稼ぎとは、シーラの宝石がつまった袋だった。
「それはわたくしのよ!返しなさい!」
シーラは叫んでベッドを飛び降り子供に突進した。
驚いたのはその場にいた全員である。
子供は手のひらにひっくり返しかけた袋をそのまま掴んで走り出す。
シーラは走って追いかけた。つかめそうでつかめない。
男の子が階段を飛び降りたので、飛び降りた。
ジーンと衝撃が足腰にかかるが構っていられない。
宴会場を突っ切り、料理を盛ったお盆を蹴り倒す。炊事場の包丁をもった料理人の腕の下をくぐる。
楽し気だった宴会場が、突然の子供の闖入者に悲鳴と笑いに包まれる。
「なんだ?新たな娘っ子かい?元気だね?なんて、見事な黒髪なんだ」
好色そうな男が言っているのも耳に入らない。
シーラも必死だった。
再び二階に駆け上がる子供が最上段につく前に、下半身に飛びついた。
派手に音を立てて子供は踊り場に倒れ込み、シーラは子供の手から小袋を奪い返した。
「素直に、返したら、いいのよ、面倒を、かけさせないで、頂戴、」
息が切れた。
だが安心するのはまだ早い。
先ほど飛び出した部屋の前には腕を組むバスクが、面白げにシーラの捕り物をみていた。
「これで、わたしを、助けなさい」
「なんでも思い出せないのに、それが自分のだっていうのはわかっているんだな?」
そういいながらもシーラが差し出した小袋をバスクは遠慮もなく受け取った。
「わかった。シエラをここに客人として置いてもらうように掛け合ってやる。これをそっくり、店に渡してやる。あんたの預かり賃だ。あんたはいいところのお嬢様だろ?そのうちに家の人が探しに来てくれるだろうよ。なんだったら噂を流してやってもいいぜ?黒髪のかわいい女の子をこの娼館で保護しているって。迎えがくるまでリゾート気分でのんびりしていたらいい」
「だれも探しにくることはないわ。探しにくるとしたらそれは……」
朱の姫を殺すため。
逃げなさい、生き延びなさいと、母も東の貴族も言った。
生き残る道をシーラは見つけなければならなかった。
母がどうなったか知りたかった。そして父は、兄弟姉たちはどうなったのか。
シーラに選択肢はあまりない。
唯一の頼みのつなだったかもしれない宝石も、男に全て渡してしまった。