男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
かつて顔も体も引き締まっていたラウス王は、傲慢さと欲望に肥え太った醜悪な男になっていた。
ラウス王の濁った目が捕らえたのは、黒髪の肩までの髪の、美しい娘。
王に何度も意味ありげに微笑みかけてきたのだった。
その娘は王の記憶のなかの何かを刺激した。
王ははっきりとは思い出せなかった。
若き頃、自分より他の男を選んだ、手に入れられなかった愛しい女の面影のようなものだったかもしれない。
ラウス王は寝所にその娼婦を呼ぶことにした。
その饗宴の場には、かつて青の王子と呼ばれたジュリウスがいた。
踊る娘の顔に釘付けになっていた。五年たったとはいえ、朱の姫の愛らしい顔をわすれたことなどなかった。
酒が回り、宴も終焉を迎え、気に入った女と男たちは消えてゆく。
王の寝所への通路を女は渡る。
護衛もあちらこちらで眠りこけていた。
この手で心臓に短剣を突き立てさえすれば、全てが終わる。
もう、復讐は成功したも同然だった。
だが、シエラの行き先を塞いだのはジュリウス。
「……あなたはシーラだろう。生きていてくれたのか。わたしの朱の姫」
「あたしはただのシエラ。王子さま、そこをどいてくださいな。ラウス王があたしをお待ちかねでしょう」
「行かせない。わたしの姫はそんなことをするような姫ではない」
舌足らずな言葉遣いにジュリウスは眉をよせた。
シーラは艶やかな笑みをジュリウスに向ける。
「何を誤解されているのか。王子さま、あたしを気に入られたのなら先にお相手をしてあげてもよろしいですわよ」
そう言いながら、シエラはジュリウスにするりと歩みよるとその首に腕をまわし胸を押し付け、口づけをする。
ジュリウスはシエラの肩をつかみ引き離した。
王子の顔には苦悩が刻まれ、目は涙で潤む。
「わたしは捜索隊があきらめてもあなたのことをあきらめなかった。たとえあなたがどんな状態であったとしても生きてくれているだけで良かった。もう一度あなたを見つけることができれば、この手で父の暴挙から固く守り妻にするつもりだった」
かつてシーラも夢見た未来は、今となってはあり得ない未来だった。
シエラの貼りつけた笑みが剥がれ落ちた。
「それで、あなたと結婚して子を産ませ、エシルとラウスの宥和した証左とし、今まさにこの国を転覆させようとする反乱分子を押さえようというわけなの?」
「いや、そうではない。わたしは朱の姫が好きだった。恋していた」
シエラは両手で短剣を握り、その切っ先をジュリウスに向ける。
「ラウス王は家族を殺した。ラウス王の血族に復讐を!この言葉でここまで来たのよ」
「なら、わたしを殺して復讐を遂げるがいい」
シエラの突きつけた短剣をジュリウスは掴んだ。
手に刃が食い込み赤い血が流れ出てゆく。
「離して」
「離さない」
「離して!」
「離さない!」
動けない二人の横を、女の被り物を捨てたバスクたちが追い抜かす。
その手には抜き身の剣が握られている。
彼らを遮るものは何もなかった。
シーラははじめからバスクが、自分たちで始末をつけようとしていたことを知る。
彼らの行き先は王の寝所。
そして、王の怒号と断末魔の悲鳴。
突如、王宮の外で金属をこすり合わせたような音や悲鳴が聞こえだす。
王宮の外が真昼のように明るい。すぐ傍で火の手が上がったのだ。
寝所の扉が音もなく開く。
ジュリウスの肩越しに血を浴びたバスクの姿が見えた。
その手に掴んでいるのは、醜怪なラウス王の首。
ジュリウスは振り向かなくても、何が起こったかわかった。
民に不満があふれていることに、ジュリウスも知っていた。
知っていて無力だった。
シーラを失ったと思ったことが、ジュリウスを無気力にした。
若かったとしても、それは言い訳にはならない。
シエラは己を見つめ続けるジュリウスの目をはじめてまっすぐに見た。
五年前に失ってしまったと思っていたシーラは目の中にいた。
復讐を支えに生まれたシエラという自我の中心が、崩れ落ちていく。
震えが止められない。シーラは叫んだ。
「に、逃げて。ジュリウス。このままではあなたも殺される!」
「わたしの朱の姫、泣かないで。あなたが生きていていてくれて、そして美しく成長した姿を見れてこんなに嬉しいことはない。たとえ妻としてこの腕に抱けないとしても……」
もはやシーラは短剣を握り続けることはできなかった。
シーラの手から短剣が落ちる前に、ジュリウスが先に手を離し、代わりにシーラを強く抱く。
刃はジュリウスの身体に深く飲み込まれていく。
「何度願っても時間は巻き戻らない。あなたをかき抱き、あなたの胸の中で死ねるのなら、これ以上の幸せなことはない。愛してるシーラ。わたしの朱の愛らしいお姫さま……」
ジュリウスの身体は重く、支えきれずシーラはジュリウスを抱いたまま、崩れていく。
「ジュリウス、なんてこと、ああジュリウス、わたくしの……」
ラウス王の濁った目が捕らえたのは、黒髪の肩までの髪の、美しい娘。
王に何度も意味ありげに微笑みかけてきたのだった。
その娘は王の記憶のなかの何かを刺激した。
王ははっきりとは思い出せなかった。
若き頃、自分より他の男を選んだ、手に入れられなかった愛しい女の面影のようなものだったかもしれない。
ラウス王は寝所にその娼婦を呼ぶことにした。
その饗宴の場には、かつて青の王子と呼ばれたジュリウスがいた。
踊る娘の顔に釘付けになっていた。五年たったとはいえ、朱の姫の愛らしい顔をわすれたことなどなかった。
酒が回り、宴も終焉を迎え、気に入った女と男たちは消えてゆく。
王の寝所への通路を女は渡る。
護衛もあちらこちらで眠りこけていた。
この手で心臓に短剣を突き立てさえすれば、全てが終わる。
もう、復讐は成功したも同然だった。
だが、シエラの行き先を塞いだのはジュリウス。
「……あなたはシーラだろう。生きていてくれたのか。わたしの朱の姫」
「あたしはただのシエラ。王子さま、そこをどいてくださいな。ラウス王があたしをお待ちかねでしょう」
「行かせない。わたしの姫はそんなことをするような姫ではない」
舌足らずな言葉遣いにジュリウスは眉をよせた。
シーラは艶やかな笑みをジュリウスに向ける。
「何を誤解されているのか。王子さま、あたしを気に入られたのなら先にお相手をしてあげてもよろしいですわよ」
そう言いながら、シエラはジュリウスにするりと歩みよるとその首に腕をまわし胸を押し付け、口づけをする。
ジュリウスはシエラの肩をつかみ引き離した。
王子の顔には苦悩が刻まれ、目は涙で潤む。
「わたしは捜索隊があきらめてもあなたのことをあきらめなかった。たとえあなたがどんな状態であったとしても生きてくれているだけで良かった。もう一度あなたを見つけることができれば、この手で父の暴挙から固く守り妻にするつもりだった」
かつてシーラも夢見た未来は、今となってはあり得ない未来だった。
シエラの貼りつけた笑みが剥がれ落ちた。
「それで、あなたと結婚して子を産ませ、エシルとラウスの宥和した証左とし、今まさにこの国を転覆させようとする反乱分子を押さえようというわけなの?」
「いや、そうではない。わたしは朱の姫が好きだった。恋していた」
シエラは両手で短剣を握り、その切っ先をジュリウスに向ける。
「ラウス王は家族を殺した。ラウス王の血族に復讐を!この言葉でここまで来たのよ」
「なら、わたしを殺して復讐を遂げるがいい」
シエラの突きつけた短剣をジュリウスは掴んだ。
手に刃が食い込み赤い血が流れ出てゆく。
「離して」
「離さない」
「離して!」
「離さない!」
動けない二人の横を、女の被り物を捨てたバスクたちが追い抜かす。
その手には抜き身の剣が握られている。
彼らを遮るものは何もなかった。
シーラははじめからバスクが、自分たちで始末をつけようとしていたことを知る。
彼らの行き先は王の寝所。
そして、王の怒号と断末魔の悲鳴。
突如、王宮の外で金属をこすり合わせたような音や悲鳴が聞こえだす。
王宮の外が真昼のように明るい。すぐ傍で火の手が上がったのだ。
寝所の扉が音もなく開く。
ジュリウスの肩越しに血を浴びたバスクの姿が見えた。
その手に掴んでいるのは、醜怪なラウス王の首。
ジュリウスは振り向かなくても、何が起こったかわかった。
民に不満があふれていることに、ジュリウスも知っていた。
知っていて無力だった。
シーラを失ったと思ったことが、ジュリウスを無気力にした。
若かったとしても、それは言い訳にはならない。
シエラは己を見つめ続けるジュリウスの目をはじめてまっすぐに見た。
五年前に失ってしまったと思っていたシーラは目の中にいた。
復讐を支えに生まれたシエラという自我の中心が、崩れ落ちていく。
震えが止められない。シーラは叫んだ。
「に、逃げて。ジュリウス。このままではあなたも殺される!」
「わたしの朱の姫、泣かないで。あなたが生きていていてくれて、そして美しく成長した姿を見れてこんなに嬉しいことはない。たとえ妻としてこの腕に抱けないとしても……」
もはやシーラは短剣を握り続けることはできなかった。
シーラの手から短剣が落ちる前に、ジュリウスが先に手を離し、代わりにシーラを強く抱く。
刃はジュリウスの身体に深く飲み込まれていく。
「何度願っても時間は巻き戻らない。あなたをかき抱き、あなたの胸の中で死ねるのなら、これ以上の幸せなことはない。愛してるシーラ。わたしの朱の愛らしいお姫さま……」
ジュリウスの身体は重く、支えきれずシーラはジュリウスを抱いたまま、崩れていく。
「ジュリウス、なんてこと、ああジュリウス、わたくしの……」