男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

85、女優サーシャ

 一度暗転した舞台には、鳴りやまない盛大な拍手が送られる。鼻をすする音があちこちから聞こえていた。
 ロゼリアの隣の席のカップルも声を上げんばかりに泣いていた。
 ロゼリアは自分がいつの間にかジルコンの手を握っていることに気が付いた。
 どちらから握ったのかわからない。もしかしてロゼリアから夢中で握りにいったのかもしれなかった。それだけはらはらし、劇に引き込まれていた。
 慌てて手を離した。涙をぬぐおうとハンカチを顔に寄せると、己の手からジルコンの香りがした。恥ずかしくて隠れたいぐらいだが、狭い客席では逃げるところはない。
 ジルコンはロゼリアがその手を求めたことを気にしていないようであった。
 アンジュも泣いていたが、ジルコンはアンジュよりもロゼリアを見て苦笑している。

「アン、男の癖に泣きすぎじゃないか?なかなかよくできた物語だと思うが、俺にはドラマティックすぎて、できすぎな感じがする。シーラ役のサーシャの良さを前面に出しまくった作品ではあるな」
 その辛口の評価に、前の席の女子がじっとりと非難の目をジルコンに向けた。

 その時、再び舞台にオールキャストが前に進み出た。
 アデールの赤の衣裳のシーラ役のサーシャが中心に、その両サイドにはジュリウス役の青年とハンサムなバスクが立ち、その他にもジャンやラウスや母たち兄弟姉たちもいる。彼らは初めの出番の後は、二役、三役をこなしていたようである。
 満面の笑みのサーシャはぐるりと見回し、ロゼリアをみた。
 正確にはロゼリアの隣のジルコンを見た。みるみる、サーシャの笑みが豊かになる。艶やかな笑みをジルコンに贈った。ジルコンの手が軽く上がり、挨拶をかわす。
 前後左右の客席にいたものは、サーシャの笑みにざわめいた。
 自分に微笑みかけてくれたのだと思ったのはロゼリアだけではない。

「シーラと知り合いですか?ジルコン王子。挨拶に行きませんか?」
 アンジュがヒロインの挨拶に興奮している。
「シーラ役のサーシャは知り合いだ。直接話したいというのなら、次のダンスが始まる前に少し挨拶にでもいくか?俺もしばらく話をしてなかったからな」

 楽屋は衣装と小道具と汗だくのスタッフでごった替えして熱気が充満していた。ジルコンが挨拶すると、スタッフたちはすぐに誰だか理解したようである。いろいろな人になりきる俳優たちは、ジルコンのお忍び姿など変身したうちに入らないのだろう。
 楽屋の専用の一室がサーシャに割り当てられていて、その中に舞台メイクを落としたシーラこと、サーシャがいた。
 肩までの黒髪を耳にかけ、アイラインをきつく引き、その目元の強さを強調するメイクをしていた。
 ジルコンたちがきたことを伝わると、手早くメイクを仕上げ、軽く粉をはたく。
 それだけでも女優は美しい。
 そこにいるのは妖艶な美人であった。
 次のダンスの衣裳なのか、ピンクに染めた鶏の羽をつなげた衣装が準備されている。エストが見れば喜びそうだとロゼリアは思った。

「ジルコンさま。久々に、わたしの舞台を見に来てくださったのね。途中から気が付いて演技に熱がはいりましたわ!いかがでしたか?」
「あなたの野心的なところ、負けん気の強いところがあますところなく発揮されていて、本当に良い舞台だった」
 ジルコンの誉め言葉に、サーシャは目を細めて笑う。
「まあ、それだけなの?」
「それだけだが?」

 案外素っ気ないジルコンの返事である。
 サーシャは何かわかったように含み笑いをした。

「今日は、いつもの二階席ではなくてチケットをご自分でお求めになられたのですね。両手に花ではありませんか。お忍びでご一緒にいらした方々を、ご紹介いただけないのですか?」
「アンとロズだ」

 サーシャはじっと女姿のアンジュを見つめた。
 それから、アンジュと見比べるように男装のロゼリアを見た。
 アンジュはその視線にたじろいでいたが、ロゼリアは負けじと笑みを返す。
 サーシャの真っ赤な口元に勝ち誇った笑みが浮かんでいく。

「おふたりとも、粒ぞろいで可愛らしいこと」
 サーシャはくっきりとした笑みをロゼリアに向けた。
 まるで男は全て自分に惚れるものと思っている目だった。
 女であるロゼリアには通じない。

「せっかくお越しいただいたので、ご感想をきかせてくださいな」
 サーシャに促されアンジュがとつとつと話しだす。
 そして話す内に、どんどんと興奮していく。
 サーシャは神妙に、アンジュの賛辞の言葉を聞いていた。
「ありがとうございます。で、そちらのアンさまはいかがでしたか?」

 憎たらしいほど余裕な態度である。
 その眼は誘惑するようにロゼリアを見つめていた。
 先ほどのジルコンとの会話はなれなれしいと思う。
 ジルコンが王子と知っているのなら、もっとへりくだった態度でいるのが当然ではないか。
 そんな礼儀も必要とされない親しい間柄を匂わされて、ロゼリアにむくりと反発心が起き上がる。ロゼリアは、自分の中にこんなに激しい対抗心があるのに驚いた。
 同時にちくちくちと刺すような胸の痛みも。
 ジルコンが彼女の話をすれば、きまって胸が痛む。

「舞台の作り込みも精巧で、登場人物全てが個性的で素敵でした。僕は、ヒロインのシーラに感情移入して、悔しかったり楽しかったり。とても感情がゆさぶられました。最後の結末は、尾を引く悲哀がいいのでしょうけれど、それで観客はシーラに共感し泣けるのでしょうけれど、僕がシーラだったら……」

 ジルコンはロゼリアを見た。
「アンがシーラだったら?」

「……世界中の人にエシル国の裏切り者となじなれそしられても、呪いのような母の復讐を願う言葉があっても、僕は愛を選びたいと思います。愛を犠牲にして得た王座なんて、なんの意味もないとは思いませんか?劇としては、あれで余韻を残して終わりましたが、あれが現実だとしてまだまだ続くとしたらシーラは幸せだったのでしょうか」
「バスクを王にしてシーラは王妃になるわ。賢王バスクの妻として、歴史に名を記すことになるでしょう。民から祝福されるわ」
「たとえ王妃になっても、名前を残しても、自分の中に愛がなければただの義務に過ぎず苦痛でしかないのでは。シーラは、バスクを愛するのなら心から愛するべきだったし、ジュリウスが忘れられないのならジュリウスと生きる道を探すべきだったと思うのです。どちらにしても茨の道だったかもしれませんが、愛を得ることができたシーラは幸せだったはず」



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