男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
86、ジルコンの決断 ①
ジルコンは今日のこの観劇の時間を特別な決意をもって臨んでいた。
ひとつは、引きこもっていたアンジュの気分転換のため。
もう一つは、婚約者であるロゼリア姫と交流するため。
あの事件の後アデールの王子の部屋で、ジルコンは最後の最後で拒絶された。
ジルコンも、この想いが誰にとっても歓迎されるものではないことをわかっていた。
アデールの王子が引きこもっている間、ジルコンは決意する。
己の、誰にとっても歓迎すべからざる恋心を封印する。
そして、婚約者のロゼリア姫と結婚するのだ。
部屋から八日ぶりに出てきたアデールの王子は、吹っ切れた顔をしていた。
アデールの王子の頑なな気持ちを溶解させたのは、ロゼリア姫とサララという婚約者。
ジルコンは安堵しつつ、アデールの王子の婚約者の存在に動揺した。
彼もまた婚約者がいる身だということに、今の今まで真剣に考えたことがなかったのだ。
サララを見たときの喉元にせりあがってきた不快感は紛れもなく嫉妬。
ジルコンが初めて感じる感情だった。
当初は四人での外出を予定していた。
だが、制御不能で理不尽な感情が邪魔をした。
アデールの王子の婚約者も観劇に誘うべきだと冷静な頭は命令しているのにも関わらず、形ばかり遠慮してみせた娘へ、重ねて誘う言葉が出てこない。
アデールの王子をあきらめたその直後に、幼馴染でいとこであるという二人が仲睦まじい姿を見せつけられるのは耐えられなかった。
ジルコンは頭を振り、暗澹たる気持ちを振り払う。
理性的になろうと努力する。
アデールの王子に惹かれたのは、穴蔵に落ち込んで一晩過ごしたあのお転婆な姫が、成長すればきっとこんな風になっているのではないだろうかと思えたからだった。
あの女の子が、双子の入れ替わりの話をしていたために、脳内が混乱している。
アデールの王子もきっぱりと、子供のころの戯言だと否定したではないか。
ロゼリア姫と楽しい時間を過ごせば、自分の中のよじれを正せるはずだった。
そして、今抱く感情そのままに、ロゼリア姫を愛せるようになると思ったのだった。
馬車の中で向かい合い、他愛もない会話を、アデールの姫と交わした。
何か特別な感情がわいてくるかもしれないと期待した。
子供のころにお転婆だったロズは、分別のある美しい娘に成長していた。
ためらいがちにジルコンを見て、眼をそらす。
そんな仕草が意外だった。
アデールの姫は緊張しているようで、なかなか会話が弾まない。
アデールの王子も助け舟をだすというわけでもない。
自分はこの姫を妻にするのだ。
そう思って期待を込めてロゼリア姫をみるが、ジルコンの中に何の感慨も湧 いてこなかった。
男の王子に対して熱くなるのに、女の姫には全くなんの感情も湧かないのが、実に不思議であった。
王子に姫を重ねて見ていたのなら、本人を前にすればすぐさま姫へ向かうだろうと思っていたのだが、実際に面と向かって会話をすれば、そうならないことを確信してしまう。
双子はどんなに似ていても、別人だった。
目の輝きが、身体にまとう雰囲気が、匂いが、気配が、何もかもが異なっていた。
舞台の最中でも、隣に座ったアデールの王子にもっと近づきたかった。
シーラの波乱な人生にシーンごとに豊かな感情をあらわにするその顔をずっと見ていたかった。
ひじ掛けに腕をのせてみた。
アデールの王子は舞台に夢中で腕を引かなかった。
それどころか、緊迫していく状況に手に汗を握りながら、その手が空を泳ぐ。
ジルコンの支えをもとめていた。
しっかりと手を握って安心させる。指と指を絡めても振り払われなかった。
むしろ吸い付いてくるようだった。
繰り広げられるドラマティックな舞台の、男装のシーラの魔法にかかり、アデールの王子は実は男装のロゼリア姫ではないかとよぎったりもした。
朱の姫の朱は、アデールの赤だと最後に語られていた。
舞台の青の王子の青は、藍染めの中でも淡い色見の浅葱色だったが、藍を何度も染め重ねていけばどんどん青の色は濃くなって、ジルコンの普段着ている黒にいきつく。
なら、青の王子はジルコンではないか。
物語で朱の姫と青の王子は結ばれることはない。
まるで、結ばれることのないアデールの王子とエールの王子を暗示しているかのようではないか?
バスクがどんなに魅力的な男であったとしても、朱の姫が、初恋の相手と結婚できればいいと思っていることにジルコンは気が付いた。
成り行きでサーシャと引き合わせることになった。
彼女と付き合っていたのはもう数年も前のことだ。
舞台の感想でアデールの王子は言い放つ。
「愛を犠牲にして得た王座なんて意味がない」
「共に生きる道を探すべき。たとえ茨の道だとしても」
どうして、アデールの王子ははっきりといえるのだろう。
その言葉は、ジルコンの気持ちそのままであった。
最後の舞台が始まっていた。
ジルコンの目には賑やかなダンスシーンは写っているだけ。
アクロバティックな動きもひらめくスカートも、ジルコンの気持ちを惹きつけることはできない。
ジルコンは歯を食いしばり自問する。
自分は、アデールの王子にただ似ている姫と、愛のない結婚をするのか?
アデールの王子を重ねながらロゼリア姫を抱くのか?
それは耐えられるのだろうか?と自問自答した。
答えは明らかだった。
わあっと歓声と拍手で沸くなか、ジルコンは重いため息をついた。
この結婚は、自分にとってもロゼリア姫にとっても幸せなものになることはないという確信を、覆すことはできそうになかった。
ひとつは、引きこもっていたアンジュの気分転換のため。
もう一つは、婚約者であるロゼリア姫と交流するため。
あの事件の後アデールの王子の部屋で、ジルコンは最後の最後で拒絶された。
ジルコンも、この想いが誰にとっても歓迎されるものではないことをわかっていた。
アデールの王子が引きこもっている間、ジルコンは決意する。
己の、誰にとっても歓迎すべからざる恋心を封印する。
そして、婚約者のロゼリア姫と結婚するのだ。
部屋から八日ぶりに出てきたアデールの王子は、吹っ切れた顔をしていた。
アデールの王子の頑なな気持ちを溶解させたのは、ロゼリア姫とサララという婚約者。
ジルコンは安堵しつつ、アデールの王子の婚約者の存在に動揺した。
彼もまた婚約者がいる身だということに、今の今まで真剣に考えたことがなかったのだ。
サララを見たときの喉元にせりあがってきた不快感は紛れもなく嫉妬。
ジルコンが初めて感じる感情だった。
当初は四人での外出を予定していた。
だが、制御不能で理不尽な感情が邪魔をした。
アデールの王子の婚約者も観劇に誘うべきだと冷静な頭は命令しているのにも関わらず、形ばかり遠慮してみせた娘へ、重ねて誘う言葉が出てこない。
アデールの王子をあきらめたその直後に、幼馴染でいとこであるという二人が仲睦まじい姿を見せつけられるのは耐えられなかった。
ジルコンは頭を振り、暗澹たる気持ちを振り払う。
理性的になろうと努力する。
アデールの王子に惹かれたのは、穴蔵に落ち込んで一晩過ごしたあのお転婆な姫が、成長すればきっとこんな風になっているのではないだろうかと思えたからだった。
あの女の子が、双子の入れ替わりの話をしていたために、脳内が混乱している。
アデールの王子もきっぱりと、子供のころの戯言だと否定したではないか。
ロゼリア姫と楽しい時間を過ごせば、自分の中のよじれを正せるはずだった。
そして、今抱く感情そのままに、ロゼリア姫を愛せるようになると思ったのだった。
馬車の中で向かい合い、他愛もない会話を、アデールの姫と交わした。
何か特別な感情がわいてくるかもしれないと期待した。
子供のころにお転婆だったロズは、分別のある美しい娘に成長していた。
ためらいがちにジルコンを見て、眼をそらす。
そんな仕草が意外だった。
アデールの姫は緊張しているようで、なかなか会話が弾まない。
アデールの王子も助け舟をだすというわけでもない。
自分はこの姫を妻にするのだ。
そう思って期待を込めてロゼリア姫をみるが、ジルコンの中に何の感慨も湧 いてこなかった。
男の王子に対して熱くなるのに、女の姫には全くなんの感情も湧かないのが、実に不思議であった。
王子に姫を重ねて見ていたのなら、本人を前にすればすぐさま姫へ向かうだろうと思っていたのだが、実際に面と向かって会話をすれば、そうならないことを確信してしまう。
双子はどんなに似ていても、別人だった。
目の輝きが、身体にまとう雰囲気が、匂いが、気配が、何もかもが異なっていた。
舞台の最中でも、隣に座ったアデールの王子にもっと近づきたかった。
シーラの波乱な人生にシーンごとに豊かな感情をあらわにするその顔をずっと見ていたかった。
ひじ掛けに腕をのせてみた。
アデールの王子は舞台に夢中で腕を引かなかった。
それどころか、緊迫していく状況に手に汗を握りながら、その手が空を泳ぐ。
ジルコンの支えをもとめていた。
しっかりと手を握って安心させる。指と指を絡めても振り払われなかった。
むしろ吸い付いてくるようだった。
繰り広げられるドラマティックな舞台の、男装のシーラの魔法にかかり、アデールの王子は実は男装のロゼリア姫ではないかとよぎったりもした。
朱の姫の朱は、アデールの赤だと最後に語られていた。
舞台の青の王子の青は、藍染めの中でも淡い色見の浅葱色だったが、藍を何度も染め重ねていけばどんどん青の色は濃くなって、ジルコンの普段着ている黒にいきつく。
なら、青の王子はジルコンではないか。
物語で朱の姫と青の王子は結ばれることはない。
まるで、結ばれることのないアデールの王子とエールの王子を暗示しているかのようではないか?
バスクがどんなに魅力的な男であったとしても、朱の姫が、初恋の相手と結婚できればいいと思っていることにジルコンは気が付いた。
成り行きでサーシャと引き合わせることになった。
彼女と付き合っていたのはもう数年も前のことだ。
舞台の感想でアデールの王子は言い放つ。
「愛を犠牲にして得た王座なんて意味がない」
「共に生きる道を探すべき。たとえ茨の道だとしても」
どうして、アデールの王子ははっきりといえるのだろう。
その言葉は、ジルコンの気持ちそのままであった。
最後の舞台が始まっていた。
ジルコンの目には賑やかなダンスシーンは写っているだけ。
アクロバティックな動きもひらめくスカートも、ジルコンの気持ちを惹きつけることはできない。
ジルコンは歯を食いしばり自問する。
自分は、アデールの王子にただ似ている姫と、愛のない結婚をするのか?
アデールの王子を重ねながらロゼリア姫を抱くのか?
それは耐えられるのだろうか?と自問自答した。
答えは明らかだった。
わあっと歓声と拍手で沸くなか、ジルコンは重いため息をついた。
この結婚は、自分にとってもロゼリア姫にとっても幸せなものになることはないという確信を、覆すことはできそうになかった。