男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

87、ジルコンの決断 ②

 ジルコンが下した決断は婚約破棄。
 アデールの姫にこんなところで、こんなタイミングで申し上げるのは礼儀に反しているとわかっていると前置きをする。
 舞台は踊りと歓声で騒がしい。ド派手な衣装が観客のド胆を抜いていた。

「ロゼリア姫、こんな窮屈で快適でもないお忍びに付き合ってくれてありがとう。堅苦しくない状況であなたと改めて知り合えたらと思っていた」

 舞台の喧騒に紛れて、ジルコンは話し出す。
 その声色に含まれる堅苦しさに両隣のロゼリアとアンジュは緊張する。

「わたしは、結婚は条件さえきちんと合えば、それでいいと思っていたところがある。アデールは中立を保ち、パジャンが侵攻する足掛かりの一つになりえる要所でもありえる。だから、アデールの姫を娶ることは、アデールはエールの守りを得ることができ、エールも要所を押さえることができる。アデールの赤の秘密はもちろんではあるが、ウインウインの良い条件だと思っていた。我が父王も望んでいることもあり、あなたが16歳になったタイミングで結婚の申し込みをすることになった」

 舞台に大粒の雪のように、花びらが舞っている。

「……それで、」
 硬い声で先を促したのはアデールの王子。

「状況があの時と替わってしまったことをお詫びしなければならない。あなたとの婚約は延期させてほしい」
「婚約延期……、延期というのは……」
 アデールの姫が鋭くいう。目を大きくみはり、ジルコンを見た。
「実質上の婚約破棄と思って欲しい。わたしは愛のない結婚はできそうにないということだ」
「愛のない結婚……」

 アデールの王子がオウム返しのように言う。
 ジルコンは姫にこのような一方的に婚約を結び、かつ破棄した非礼を詫び続けた。
 公衆の面前で罵倒してもいい、許してもらえるのならどんなことでもするという。

「どうして、そのような勝手なことを今おっしゃるのですか。もう少しお時間をいただければお気持ちも変わるのではないでしょうか。破棄ではなくて、お言葉通りの延期にしてください。もう、半年、もう一年。すぐに結婚されるご予定がないのであれば」

 姫は声低く必死にすがりついた。

「エールの王子であるわたしの決断は覆えることはない。それこそ、よほどのことがない限り」
 ジルコンは冷たく断言しつつも、ジルコンはアデールの姫の手を取った。
 ひんやり冷たいその手は細かく震えていたが、ジルコンの気持ちに何もさざ波を立てることはなかった。
 己の心が自分の決断が正しいことを教えてくれる。

「愛のない結婚はできない。長い人生であなたを結婚に縛り付けることはできない。なぜなら、わたしが心より愛してしまったのは……」

 その時、劇場中が大歓声に包まれた。アンジュもロゼリアもジルコンの言葉が聞き取れない。
 舞台の全ての演目が終焉したのだった。
 再び一列に並んだ満面の笑みを浮かべたキャストたちに鳴りやみそうもない称賛の拍手が贈られ、やがて鎮静化していく。
 その時、劇のはじめからちらちらと後ろを見ていた観客の一人が声を上げた。

「今日はジルコン王子がいらっしゃっているわ!それも一般席に!帰られる前に握手してもらいましょう!」

 その言葉を合図に劇場どよめいた。観客たちは一斉に周囲を見回した。方々から、客席の後方右手、つまり正確にジルコンのいるところを指さす者たちもいて、ジルコンに顔が向けられた。中には立ち上がる者たちもいた。

 ロサンやジム、アヤたちがその声に機敏に反応する。
 黒騎士たちは立ち見や入り口に控えていたが、ジルコンから外への道を確保した。
 ジルコンは出口のすぐ傍にたつロサンに目配せをした。
 まだ焦る必要はないが、状況がどう変化するか読めない。
 ジルコンが会場に同席するというサプライズに沸く会場を落ち着かせることが必要だった。
 ジルコンは襟を正し立ち上がった。
 片手をあげ、会場が完全に鎮まるのをジルコンは待つ。
 立ちあがっていた者たちもひとり、また一人、再び腰を落としていく。
 ジルコンはロサンにうなずいた。
 この場は完全に掌握できている。
 当初の予定とは違うが、このまま観客たちに見送られて退場ということになりそうである。

「今日はありがとう。あなたたちと同じ舞台を鑑賞できて、同じように物語に心を震わせることができてよかった。今日のこの日はとても良い時間を過ごせたことを感謝する!」
 拍手が上がった。
 ジルコンは満足げにうなずいてみせた。
「では我々はこれで先に失礼することにしよう」

 ジルコンはアデールの王子と姫を促し立ちあがらせた。
 出口への通り道の席の者たちは体を引き、三人が通りやすいように道を空ける。
 触れんばかりの距離の王子に興奮している。
 娘たちはつつましやかながらもこっそり手を伸ばしてジルコンに触れようする。
 
 客席から通路にでたあたりで、誰かが叫んだ。
 このまま退席できると安堵した途端の、ジルコンを嘲笑うかのような一声だった。


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