男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
「あなたがそれ以上優雅になる必要なんてない」
ロゼリアは本の背表紙に目を走らせ手を伸ばした。ラシャールがロゼリアの指先を追い代わりに取ってくれる。
ラシャールの背は頭ひとつ分はゆうに高い。
「……無駄に嵩だかいわね」
ラシャールは笑う。
「無駄ではないよ。こうしてあなたの届かない本を取ってあげられる」
肩越しにロゼリアに本を渡してくれる。
「女として、研鑽する必要あるわ。わたしは足りてないから。それから本を取ってくれるのはありがたいのだけれど、少し離れてくれる?誰かが見れば誤解してしまうかも」
「誤解されても困らないよ。わたしも、あなたも」
「わたしは、ジルコン王子と婚約中なの」
我知らず、声が高くなる。
そうあえて言わなければならないことがむなしい。
ロゼリアとして過ごしたこの10日間の内に、なめらかに動けるようになってはいたが、心にはずっとふさがらない穴が開いている。積み上げられる自信は、絶えず底から漏れ出している。
ロゼリアは横へよけて、スパイスの匂いがする男の身体から距離をとろうとするが、長い腕が逃げ場をふさぐ。埃と革の匂いのする本棚と、ラシャールの間に挟まれた形になった。
「あいつの態度は婚約者に対するものではないようだが?」
ロゼリアはぐっと喉をつまらせる。
ラシャールからみても誰の目からみても明らかなのだ。
「今はそうかもしれないけど、いずれわたしの方も見てくれるわ」
「アデールの王子がいなくなりあなたが現れてから、わたしはこの状況を理解しようと努めた。今度のロゼリア姫が、本当のアデールの王子が女装をしているということもあり得たから。でも、そうではないだろ。あなたは、あなた自身に戻った。それなのに、馬鹿なあいつは、あなたを無視している。だから、いつまでたってもあなたのことがわからない。そんなヤツなんかにこれ以上煩わされる必要ないんじゃないか?あなたは、無理をしなくても今のままで充分魅力的なのだから」
ラシャールはロゼリアの耳元で囁き続ける。
彼の言葉はなんて甘く響くのだろう。
「……はなれて」
「嫌だと言えば」
熱い唇がロゼリアの首筋触れた。
その時、ロゼリアを救ったのは、向こう側の本棚のあたりから小さな悲鳴と本がバサバサと立て続けに落ちた音。
ただ事ならない様子に、ラシャールは悠然と離れた。ロゼリアは解放される。
二人が棚の向こう側に回ってみれば、娘が10冊ほど床に乱雑に散らばる本の中にしゃがみこんでいた。耳元に束ねられたふわふわの髪が乱れている。その髪で誰だかわかった。
「ロレット!大丈夫?」
ただ事ならない様子にロゼリアは駆け寄った。
「あ……、大丈夫です。ちょっとくらりときて。寝不足で、眠くて、すこししんどくて……。ロゼリアさまもいらっしゃったのですね」
いつもはにこにこ笑顔のその顔は蒼白だった。
ロレットの目は開けていられないほどしょぼしょぼである。それでも笑顔である。その様子からは棚向こうのラシャールとのやり取りは聞かれたり見られたりしていないようでロゼリアは胸をなでおろした。
「部屋で休んだ方がいいわ。借りる本があるのなら持っていってあげる」
ロレットは断った。ロゼリアとのちいさな押し問答の末、この前のハンカチのお礼だというと、ロレットは力なくうなずいた。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、ジュリアさまの部屋にこれらの本を持っていくのを手伝っていただければ嬉しいのですが」
「ジュリアの?」
ロゼリアはロレットに手を貸して起こした。ラシャールは本を拾い上げてロゼリアに半分の5冊ほど渡す。
「これはすべてあなたの?同じ本が数冊ずつあるけどいいのですか?」
ラシャールの指摘でロゼリアもタイトルを確認する。授業に使う参考本のようだが確かにまったく同じものがいくつかあった。
「ああ、これはみなさんが読まれるんです。わたしも図書館に行こうとおもっていたからそのついでです。じゃあ、ロゼリアさま。ジュリアさまのお部屋でお茶会をしていると思うのでこれらの本を渡して、部屋で休むことにしますね。少し眠れなくて……」
「本は必要な人が自分で借るものなのでは」
ラシャールが言う。
「そうかもしれないのですけど、先ほど申し上げたとおり、ついでですから。誰かに必要とされるのはとてもうれしいことだわ」
ロゼリアはどこか釈然としないものを感じた。
「睡眠不足っていうのは、ハンカチに刺繍をしているから?」
にこりとロレットは笑う。
今度は心からの笑顔である。
「そうなの。イリスさんには月をモチーフにしたものをはじめに作ったのですけど、月は気に入らなかったようで花で作ったの。花も誕生月に咲く花を刺繍したら、ダリアが欲しいといわれて。そうしたら、みんな次々にこれがいいといわれだして。そのために、毎晩刺繍をすることになって。幸い、わたしの手は本職並に早いので、ロゼリアさまが思っているよりも、仕上げるのに時間がかからないのですよ。数が多いというだけで。でもひとづつ完成していけば、終わりがないというわけではありません」
ジュリアの部屋はロゼリアの部屋の隣なので、図書館を出て一緒に歩きだす。
ロゼリアはロレットの職人技といえるような刺繍の話を聞いて感心するが、やはり釈然としないものを感じないわけではない。その胸のつかえを、ロゼリアは刺繍や織物、色合わせのセンスといったものに対する苦手意識からくるものだと思い込もうとする。ロゼリアには女としてアンジュに勝てることは何一つなかったのだった。
雨は降り続いている。
ラシャールは帰りは図書館のかさを借りて、ゴールデンシャワーの並木道をロゼリアとロレットにさしかけてくれる。
「あれはなんだろう?」
ロゼリアは本の背表紙に目を走らせ手を伸ばした。ラシャールがロゼリアの指先を追い代わりに取ってくれる。
ラシャールの背は頭ひとつ分はゆうに高い。
「……無駄に嵩だかいわね」
ラシャールは笑う。
「無駄ではないよ。こうしてあなたの届かない本を取ってあげられる」
肩越しにロゼリアに本を渡してくれる。
「女として、研鑽する必要あるわ。わたしは足りてないから。それから本を取ってくれるのはありがたいのだけれど、少し離れてくれる?誰かが見れば誤解してしまうかも」
「誤解されても困らないよ。わたしも、あなたも」
「わたしは、ジルコン王子と婚約中なの」
我知らず、声が高くなる。
そうあえて言わなければならないことがむなしい。
ロゼリアとして過ごしたこの10日間の内に、なめらかに動けるようになってはいたが、心にはずっとふさがらない穴が開いている。積み上げられる自信は、絶えず底から漏れ出している。
ロゼリアは横へよけて、スパイスの匂いがする男の身体から距離をとろうとするが、長い腕が逃げ場をふさぐ。埃と革の匂いのする本棚と、ラシャールの間に挟まれた形になった。
「あいつの態度は婚約者に対するものではないようだが?」
ロゼリアはぐっと喉をつまらせる。
ラシャールからみても誰の目からみても明らかなのだ。
「今はそうかもしれないけど、いずれわたしの方も見てくれるわ」
「アデールの王子がいなくなりあなたが現れてから、わたしはこの状況を理解しようと努めた。今度のロゼリア姫が、本当のアデールの王子が女装をしているということもあり得たから。でも、そうではないだろ。あなたは、あなた自身に戻った。それなのに、馬鹿なあいつは、あなたを無視している。だから、いつまでたってもあなたのことがわからない。そんなヤツなんかにこれ以上煩わされる必要ないんじゃないか?あなたは、無理をしなくても今のままで充分魅力的なのだから」
ラシャールはロゼリアの耳元で囁き続ける。
彼の言葉はなんて甘く響くのだろう。
「……はなれて」
「嫌だと言えば」
熱い唇がロゼリアの首筋触れた。
その時、ロゼリアを救ったのは、向こう側の本棚のあたりから小さな悲鳴と本がバサバサと立て続けに落ちた音。
ただ事ならない様子に、ラシャールは悠然と離れた。ロゼリアは解放される。
二人が棚の向こう側に回ってみれば、娘が10冊ほど床に乱雑に散らばる本の中にしゃがみこんでいた。耳元に束ねられたふわふわの髪が乱れている。その髪で誰だかわかった。
「ロレット!大丈夫?」
ただ事ならない様子にロゼリアは駆け寄った。
「あ……、大丈夫です。ちょっとくらりときて。寝不足で、眠くて、すこししんどくて……。ロゼリアさまもいらっしゃったのですね」
いつもはにこにこ笑顔のその顔は蒼白だった。
ロレットの目は開けていられないほどしょぼしょぼである。それでも笑顔である。その様子からは棚向こうのラシャールとのやり取りは聞かれたり見られたりしていないようでロゼリアは胸をなでおろした。
「部屋で休んだ方がいいわ。借りる本があるのなら持っていってあげる」
ロレットは断った。ロゼリアとのちいさな押し問答の末、この前のハンカチのお礼だというと、ロレットは力なくうなずいた。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、ジュリアさまの部屋にこれらの本を持っていくのを手伝っていただければ嬉しいのですが」
「ジュリアの?」
ロゼリアはロレットに手を貸して起こした。ラシャールは本を拾い上げてロゼリアに半分の5冊ほど渡す。
「これはすべてあなたの?同じ本が数冊ずつあるけどいいのですか?」
ラシャールの指摘でロゼリアもタイトルを確認する。授業に使う参考本のようだが確かにまったく同じものがいくつかあった。
「ああ、これはみなさんが読まれるんです。わたしも図書館に行こうとおもっていたからそのついでです。じゃあ、ロゼリアさま。ジュリアさまのお部屋でお茶会をしていると思うのでこれらの本を渡して、部屋で休むことにしますね。少し眠れなくて……」
「本は必要な人が自分で借るものなのでは」
ラシャールが言う。
「そうかもしれないのですけど、先ほど申し上げたとおり、ついでですから。誰かに必要とされるのはとてもうれしいことだわ」
ロゼリアはどこか釈然としないものを感じた。
「睡眠不足っていうのは、ハンカチに刺繍をしているから?」
にこりとロレットは笑う。
今度は心からの笑顔である。
「そうなの。イリスさんには月をモチーフにしたものをはじめに作ったのですけど、月は気に入らなかったようで花で作ったの。花も誕生月に咲く花を刺繍したら、ダリアが欲しいといわれて。そうしたら、みんな次々にこれがいいといわれだして。そのために、毎晩刺繍をすることになって。幸い、わたしの手は本職並に早いので、ロゼリアさまが思っているよりも、仕上げるのに時間がかからないのですよ。数が多いというだけで。でもひとづつ完成していけば、終わりがないというわけではありません」
ジュリアの部屋はロゼリアの部屋の隣なので、図書館を出て一緒に歩きだす。
ロゼリアはロレットの職人技といえるような刺繍の話を聞いて感心するが、やはり釈然としないものを感じないわけではない。その胸のつかえを、ロゼリアは刺繍や織物、色合わせのセンスといったものに対する苦手意識からくるものだと思い込もうとする。ロゼリアには女としてアンジュに勝てることは何一つなかったのだった。
雨は降り続いている。
ラシャールは帰りは図書館のかさを借りて、ゴールデンシャワーの並木道をロゼリアとロレットにさしかけてくれる。
「あれはなんだろう?」