男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
119、朝帰り(第11話完)
ジルコンが王城に戻ったのは明け方である。
朝練を開始するにはまだ少し早い。
誰にも見つからないうちに、部屋にもどるつもりだった。
城を支える柱は、壁から半分ほど突き出す形で廊下にせり出す形となっている。その間には個室の扉がある。
扉の奥では、王子たちがベッドの上で浅く寝息を立てながら、夢と現のあわいにたゆたう頃だろう。
「……朝帰りか」
ジルコンは声を掛けられるまで、通り過ぎた柱の影に人影が溶け込んでいることに気が付かなかった。
咄嗟に飛びすさり、腰を落として腰に佩いた剣の柄に手を添える。
気配を消し、闇のなかに同化していた体が浮かび上がる。
腕を組み背中を壁に、膨らんだ袖に広がる裾のシルエット。
「ラシャール」
「……貴殿の城で剣を抜けば、追放というのはあなたにも該当するのだろうか」
ラシャールの剣は壁に立てかけてある。
体はゆったりと寛いだ体を取っているが、滝でジルコンを睨みつけたあの目と同じ、殺気を帯びた目が底光りする。
「残念ながら、俺は大抵のことが許される。もっとも、はるばる来てくれているパジャンの王子を手にかけることまでは考えていないが」
「なるほど。表向きはキレイ事を口にしながら、裏では己のいいように物事を推し進めようとする独裁者が、次期、森と平野の国々の王になるのか。わたしは、今後のために独裁者の芽をここで摘んでおくのがいいのか」
ジルコンの眼をじっとみつめながら、ゆっくりと組んだ腕を解いた。その手の向かう先には半月のように反り返った剣がある。
ラシャールの身体能力は、以前拳で殴り合ったことを引き合いに出さなくても極めて優れていることをジルコンは思い知っている。
この薄闇の中でも夜目がきくことも想定しなければならない。
視界があまりいいとはいえず、助けを期待できない今、ヘタに刺激し己の命を引き換えにするわけにはいかない。
それに衝動的に暴挙にでるには、ラシャールは頭脳が優れて思慮深いことも、このスクールを通して知っている。
ジルコンは警戒を解いたわけではないが、柄から手を離した。
「ラシャールとはわかりあえたと思っていたが」
「わたしは、将来を約束した女がいるのに別の女の匂いをさせて朝帰りする男を理解できるとは思えない」
ジルコンはぐっと喉を詰まらせた。
「……関係がないことに口出しをするべきではないと思うが。これは俺と姫の問題だ」
「あなたは、婚約無期限延期にして彼女を辱めた。先日の泉では、裸同然の彼女とふたりきりで過ごし、その貞操を疑わせた。これ以上、いたずらに彼女を侮辱し、貶め、傷つけるようなことをするのが許せないといったら?」
「ラシャールが許すも許さないも、俺たちには関係ないといっている」
「関係あるといったら?」
ジルコンはイラついた。
「彼女は俺の……」
「今更、婚約者面をするのか?」
「俺は、彼女をちゃんと見ていなかった。時間が必要だったんだ。今は彼女を愛しく思う」
「強国の王子は、気に入った王子も姫も、二人とも手に入れるつもりか。他にも欲望を満たす女も囲って。いや、第二妃、第三妃か。どこの国の王さまも、似たようなものだな」
ラシャールは顔をゆがませた。
ラシャールに腹違いの弟妹がいる話は聞いている。
「エールの王は妻は俺の母だけだ。俺もそのつもりだ」
「口ではいくらでも言えるだろう。あなたが、彼女をこれ以上傷つけるようなことをするのならば……」
「そういうラシャール殿は姫の保護者かなにかのつもりなのか?」
「そのつもりだといったら?ずっと彼女を見守ってきた。これからもそうするつもりだったのだが、あなたとの行く末を不憫に思えば、今までのように黙ってもいられない」
二人は無言でぎりぎりとにらみ合った。
「彼女は俺のもの。手を出したら殺す」
ジルコンはいう。
無意識に手が柄に触れた。
「ならもっと彼女を大事にしろ。ジルコン殿がロズを泣かせるのなら、花嫁としてわたしが連れて帰ることもあり得るだろう」
「なんだって……」
いつからラシャールはアデールの姫に執着をしてしていたのか。
暴力事件の時には既に、ラシャールはジルコンをライバル視していた。
だが、あの時はアデールの姫はいなかった。
ジルコンが知らない間に、ラシャールと姫は関係があったのか。
無垢だと思っていた娘が汚されたような気持ちになる。
だからといって、姫を手放したいとは思わない。
ジルコンにも後ろ暗いところがある。
別の女を抱いたその匂いがまだ消えていないのに、アデールの姫を抱きたいと思っているのだから。
遠くで一番鳥が鳴く。
どこかで人の気配がしはじめた。
すぐ近くの扉が開き、レオが寝ぼけた顔を出した。朝の修練の時間だった。
「ラシャール殿、ジルコン殿。お、おはようございます?」
「ああ、おはよう……」
間の抜けた挨拶が交わされる。
二人の間の緊張が断ち切られた。
無言でそれぞれの扉の向こうへ消えたのだった。
第11話 エールの青 完
朝練を開始するにはまだ少し早い。
誰にも見つからないうちに、部屋にもどるつもりだった。
城を支える柱は、壁から半分ほど突き出す形で廊下にせり出す形となっている。その間には個室の扉がある。
扉の奥では、王子たちがベッドの上で浅く寝息を立てながら、夢と現のあわいにたゆたう頃だろう。
「……朝帰りか」
ジルコンは声を掛けられるまで、通り過ぎた柱の影に人影が溶け込んでいることに気が付かなかった。
咄嗟に飛びすさり、腰を落として腰に佩いた剣の柄に手を添える。
気配を消し、闇のなかに同化していた体が浮かび上がる。
腕を組み背中を壁に、膨らんだ袖に広がる裾のシルエット。
「ラシャール」
「……貴殿の城で剣を抜けば、追放というのはあなたにも該当するのだろうか」
ラシャールの剣は壁に立てかけてある。
体はゆったりと寛いだ体を取っているが、滝でジルコンを睨みつけたあの目と同じ、殺気を帯びた目が底光りする。
「残念ながら、俺は大抵のことが許される。もっとも、はるばる来てくれているパジャンの王子を手にかけることまでは考えていないが」
「なるほど。表向きはキレイ事を口にしながら、裏では己のいいように物事を推し進めようとする独裁者が、次期、森と平野の国々の王になるのか。わたしは、今後のために独裁者の芽をここで摘んでおくのがいいのか」
ジルコンの眼をじっとみつめながら、ゆっくりと組んだ腕を解いた。その手の向かう先には半月のように反り返った剣がある。
ラシャールの身体能力は、以前拳で殴り合ったことを引き合いに出さなくても極めて優れていることをジルコンは思い知っている。
この薄闇の中でも夜目がきくことも想定しなければならない。
視界があまりいいとはいえず、助けを期待できない今、ヘタに刺激し己の命を引き換えにするわけにはいかない。
それに衝動的に暴挙にでるには、ラシャールは頭脳が優れて思慮深いことも、このスクールを通して知っている。
ジルコンは警戒を解いたわけではないが、柄から手を離した。
「ラシャールとはわかりあえたと思っていたが」
「わたしは、将来を約束した女がいるのに別の女の匂いをさせて朝帰りする男を理解できるとは思えない」
ジルコンはぐっと喉を詰まらせた。
「……関係がないことに口出しをするべきではないと思うが。これは俺と姫の問題だ」
「あなたは、婚約無期限延期にして彼女を辱めた。先日の泉では、裸同然の彼女とふたりきりで過ごし、その貞操を疑わせた。これ以上、いたずらに彼女を侮辱し、貶め、傷つけるようなことをするのが許せないといったら?」
「ラシャールが許すも許さないも、俺たちには関係ないといっている」
「関係あるといったら?」
ジルコンはイラついた。
「彼女は俺の……」
「今更、婚約者面をするのか?」
「俺は、彼女をちゃんと見ていなかった。時間が必要だったんだ。今は彼女を愛しく思う」
「強国の王子は、気に入った王子も姫も、二人とも手に入れるつもりか。他にも欲望を満たす女も囲って。いや、第二妃、第三妃か。どこの国の王さまも、似たようなものだな」
ラシャールは顔をゆがませた。
ラシャールに腹違いの弟妹がいる話は聞いている。
「エールの王は妻は俺の母だけだ。俺もそのつもりだ」
「口ではいくらでも言えるだろう。あなたが、彼女をこれ以上傷つけるようなことをするのならば……」
「そういうラシャール殿は姫の保護者かなにかのつもりなのか?」
「そのつもりだといったら?ずっと彼女を見守ってきた。これからもそうするつもりだったのだが、あなたとの行く末を不憫に思えば、今までのように黙ってもいられない」
二人は無言でぎりぎりとにらみ合った。
「彼女は俺のもの。手を出したら殺す」
ジルコンはいう。
無意識に手が柄に触れた。
「ならもっと彼女を大事にしろ。ジルコン殿がロズを泣かせるのなら、花嫁としてわたしが連れて帰ることもあり得るだろう」
「なんだって……」
いつからラシャールはアデールの姫に執着をしてしていたのか。
暴力事件の時には既に、ラシャールはジルコンをライバル視していた。
だが、あの時はアデールの姫はいなかった。
ジルコンが知らない間に、ラシャールと姫は関係があったのか。
無垢だと思っていた娘が汚されたような気持ちになる。
だからといって、姫を手放したいとは思わない。
ジルコンにも後ろ暗いところがある。
別の女を抱いたその匂いがまだ消えていないのに、アデールの姫を抱きたいと思っているのだから。
遠くで一番鳥が鳴く。
どこかで人の気配がしはじめた。
すぐ近くの扉が開き、レオが寝ぼけた顔を出した。朝の修練の時間だった。
「ラシャール殿、ジルコン殿。お、おはようございます?」
「ああ、おはよう……」
間の抜けた挨拶が交わされる。
二人の間の緊張が断ち切られた。
無言でそれぞれの扉の向こうへ消えたのだった。
第11話 エールの青 完