男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

121、プロポーズ

 ジルコンの部屋にあかりが灯らない。
 ロゼリアは夜風にあたり、月明かりにくっきりと浮かぶ黒い樹冠がうごめくのを見ていた。枝葉がこすれるカサカサと乾いたさざめきが聞こえる。
 昼間に悲鳴をあげるように鳴いていたセミの声はじりりともなかった。

 衣ずれの音をロゼリアは聞く。ちいさなつむじ風が頬をかすめた。
「やあ……」
 バルコニーの手すりに腰を下ろすのはラシャール。
 突然の出現に、桟に肘をついていたロゼリアは悲鳴をあげそうになる。
「ラシャール! そこは出入口ではないわ。それに三階は女子の階よ!」
「緊急の要件なんだ。今日、パジャンから連絡を受けた。パジャンの国内は天候問題ではないことで、騒がしくなっている。デジャンがわたしの帰国を促してきた。夏スクールの授業ができず、メンバーが帰国していく中、わたしもここにいる意味がなくなってきている。それで、」
「それで?」
 ラシャールは音もたてずにロゼリアのすぐそばに降り立った。
 夜闇にまぎれる豹のようなしなやかさである。
「あなたさえよければ、一緒にパジャンに来ないかと誘いに来た」
「パジャンにわたしが?」
 灯りはベランダには持ち込んでいない。
 部屋から漏れるほのかな灯りが、みたこともないほど真剣な顔を照らしだした。
「あなたが新たな一歩を踏み出すために。エールはあなたを必要とされていないようだ」
「そんなことないわ……」
 ロゼリアは否定するが、その言葉がむなしく響く。
 ラシャールは一歩ロゼリアに近づいた。
 気おされて、ロゼリアは同じだけ後ろに下がる。

「そんなことないことないだろう。いつまでたってもあいつとの関係は平行線だ。あなたが努力して働きかけても、女になっても、あいつは変わらない」
「それは、天候が不良でその対応に忙しくなったから……」

 ラシャールは首を振る。
 それを見てロゼリアは絶望的な気持ちになってしまう。
 一度キスしたものはスキをみつけては何度も何度も求めあうとララは言っていたのに、一度もきっかけを見つけられず、作ることもなく、随分日がたってしまい、ララを落胆させてしまったのはつい先日の話だ。

「夏スクールは瓦解している。このまま、ロズはエールに居座り続けるのか?あと1か月?1年?それとも、皺だらけのおばあちゃんになるまでずっと?」
「やめて」
 ロゼリアは耳を塞いだ。 
「どうしてラシャールはいつもわたしをかき乱すの」
 ロゼリアとの距離をラシャールは詰め、手を伸ばして残酷な現実を突きつける世界から己を閉ざそうとしたロゼリアの両手を耳から引き離した。

「あなたの父がエールの国に来ていると聞いた。わたしはあなたを花嫁に迎え入れることをベルゼ王に伝える。アデール国には、年に何回か帰れば寂しくないだろう。ひでりに苦しむ森と平野の国々だけでなく、わたしがパジャンを長く空けたことにより、弟の勢力が何らかの強硬手段を取るという話がある。わたしが帰ればすべて丸く収まる。草原の風はやさしいときばかりではなく厳しく冷たいときもあるが、わたしがどんなときでもあなたを守ってやる。だから、一緒に来て欲しい。あなたさえ、はいと言ってくれれば……」

 ロゼリアは背中をバルコニーのガラスの扉に押し付けられた。
 掴まれた両手も脇を開いて押し付けられる。
 上からのしかかるようにラシャールは顔を寄せる。
 緑の目が部屋のオイルランプの灯りに照らされ妖しく揺らめく。
 心臓がどきどきと打ち始めた。これはプロポーズだった。
 ラシャールの息が頬にかかる。
 唇が重ねられた。
 手首が解放されロゼリアの背中から腰にまわされる。
 体をぴたりと押し付け、もう片手でラシャールはガラス扉を開く。
 ロゼリアは男の熱にくらくらくる。
 ラシャールはずっと見守ってくれていた。
 
「それは、プロポーズなの?レベッカはあなたのことを……」
「プロポーズだよ。わたしが目を離せないのは、好きなのはあなただ。初めてアデールの城門で馬を降りよと言ってくれたときからずっと。今ここであなたと愛しあいたい。わたしの印を刻み付けたい。あんなよそ見をしてばかりの男なんか忘れてしまったらいい」

 こんなに求められたことはないような気がした。
 ラシャールをここで受け入れれば、エールでアデールの姫としてジルコンに顧みられなかった日々が癒されるような気がした。それも、いいのかもしれない。まだ見ぬ世界へ、縄を文字とするまだ見ぬ文明がかつてあったように、草原と岩場といわれる世界は、ロゼリアの想像もつかない景色や経験を味合わせてくれるのだろう。
 そしてなにより、この涼やかな緑の目の男は、ロゼリアを体も心も愛してくれる。
 それは、女として幸せなことではないか?

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