男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
 しかしながら、ラシャールの最後の一言がロゼリアを男の欲望の濁流に掉さす、正気に戻す冷水となった。

「よそ見ということはどういうこと?」
「あいつは、あの滝の夜、女を抱いて朝帰りをした」
「うそ」
 ロゼリアの身体が固く縮こまり、細かに震えた。
 ラシャールに促されるままに部屋に入りかけた足が止まる。
 青灰色の目にみるみると涙が盛り上がる。
 ラシャールは己の余計な一言により、ラシャールとロゼリアの間に生まれ始めた官能の糸が断ち切られてしまったことを知る。
 だがそれでも、ジルコンをあきらめられればいいと期待するのだが。

 その時、扉を叩く者があった。
 二人がやり過ごそうとしても、何度も何度もたたかれる。
 そんな叩き方をララはしない。

「……ロゼリア。部屋にいるんだろう?先ほどはすまなかった」
「ジルコン!」
 ラシャールの手がロゼリアを押しとどめた。
 開かない扉の向こうで、低い声でジルコンは続ける。
 彼もまた、入ってはいけない女子の階にいるからだ。

「明日の朝からエール王家の雨乞い祈願が行われることに決まった。この大地の民を治める王とその心を分けた者が二人で行う神事だ。雨雲をよび、雨が降るまで、何日も夜通し続けられる」
「それがどんな祈願なのかわからないけれど、因習により雨が降るとは思えないわ」
「それでも、何かをしなければエールの民が落ち着かない。王家が古きやり方で雨乞い祈願をしているという事実が、民に望みを与え、苦しいときをやり過ごす忍耐をうむ」

 ロゼリアはラシャールの手を振り切り、扉に向かった。
 だが扉を開けることはできなかった。

「天文庁はなんていっているの?」
 扉向こうでため息の気配。
「雨は、この先一週間は降らないという。だが逆を言えば、一週間持ちこたえれば必ず雨は降る。父王たちだけで一週間ぶっ通しで続けることはできないから、途中で次期王たる俺が交代することになる」
「それで……?」
「それで、共に俺と祈願して欲しい。王と王妃が力尽きたときから。俺たちが倒れる頃には、再び王は回復しているだろうからその時また交代する。これを何度も何度も繰り返すことになるだろう」
「どうしてわたしが」

 扉の向こうでぐっと詰まる気配がある。
「それは、あなたが俺の婚約者だから」
「婚約破棄だとあなたは最初に言ったわ。無期限延期はただの方便だったはず」
「それでも、俺は、他の誰でもなく、あなたと雨乞い祈願を行いたい。明日の早朝から始まる。俺たちも最初から立ち会うことになるだろう。今夜はゆっくり休んでほしい……。こんなに勝手なお願いをして申し訳ないと思っている。この神事は、心を分けた者じゃないと水の精霊に響かないという。何日も夜通し行うことになる」
「わかったわ」
「そうか……」

 ロゼリアの心臓が強く打ち始めた。
 先ほどまで全身の血が冷えていたのに、毛細血管の枝の先々までどくどくと熱い血が流れだしていた。
 いますぐ扉を開けたい衝動に駆られた。
 どんな顔をしてジルコンが話をしているのか見たいと思った。
 ジルコンの足音が遠ざかっていく。
 扉を開けようとするロゼリアをラシャールが止めた。
 ラシャールの目に苦悩の色が浮かぶ。

「あいつの願いをきいてあげるのか?そんな疲労困憊するだけの意味のない祈祷につきあう必要なんかない。あいつには他にも女がいる。その女に頼めばいい」

 ロゼリアの脳裏に美しい女優の顔が浮かんで消える。
 きっと彼女だろうという直感。
 
「そうだとしても、ジルコンはわたしを選んでくれた。それだけでわたしは嬉しい」
 ラシャールはじっとロゼリアを見つめる。
 その目に、ロゼリアが理解できない複雑な想いが錯綜している。

「……一週間後、わたしと共にパジャンに来るかどうか、返事が欲しい」
「わたしは、ジルコンの元に残る。あなたのプロポーズは……」
 ロゼリアは唇に唇を押し付けられた。言おうとした言葉は霧散する。
「即答ではなくてきちんと考えて、返事を聞かせてほしい」



 ラシャールはロゼリアの部屋からバルコニーにでた。
 目の前の娘がロゼリアでなければ、雨乞い祈願に付き合うのと引き換えに、婚約破棄を取り消してもらえとアドバイスしていただろう。
 だが、その娘はラシャールが花嫁と望む唯一の娘。
 なぜか男装をしてアデールの王子として奮闘し、娘姿で街で再会した時からずっと見守ってきた。
 いい返事がきけなければ、どんなに泣き叫んでも悲しんでも、略奪してでも欲しいと思う。己の愛が伝わるまで愛してやるつもりであった。
彼女は強い。一時期その目が曇っても、やがて持ち前の明るさを取り戻せるだろう。
 どんなにラシャールが思慮深く冷静に見えたとしても、身体に流れる草原の民の血潮は熱い。

 来た時と同様に、音もなく闇に消えたのである。


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