男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

132、ジルコンの決意

 ラシャールは行く。
 嵐が去ったような静けさがあった。
 あれから眠ってしまっていたのだと思う。

 ロゼリアの繭は、突然、破られた。
 何度も何度も己の名前が叫ばれていた。
 どかどかと踏み入れられ、紗幕を切り裂くかのように名前が最後に叫ばれた。紗幕が乱暴に開く。
 煌々と灯りがロゼリアと、ロゼリアを包む天幕のやわな内側を照らしだす。
 暗闇から明るい世界への急激な転換。
 男はロゼリアの内側に断りもなく踏み込み、何のためらいもなく穴倉から引きずり出そうとしていた。男は狼狽していた。
 ベッドに横になっていたロゼリアに飛び付き、口に手をあて、息を確認する。
 口をふさがれて息ができなくなり、あえぐ。
 シーツを剥ぎ取られた。
 顔に、それから身体を辿るようにかざされた灯りに目がくらむ。
 何度も瞬いた。
 ロゼリアは驚愕したが、それ以上に黒金の男は恐怖に我を失っている。
 乱れた胸元をかきあわせた。

「ジルコン!?わたしは、い、生きているわよ!」
「窓が破られている!クソっ!本当に、無事なのか!」
「大丈夫よ」
「部屋の安全を確認したら、医者と護衛を呼びにいく」

 ロゼリアに外傷がなさそうなのをひとまず確認すると、ジルコンは息を継いだ。
 だがその手は腰の剣の柄に置かれたままである。
 物陰から何かが潜んでいても対応できるように暗がりに目をすがめた。
 ジルコンは来た時と同様に、踵を返した。
 ロゼリアはこのまま置き去りにされそうになっていることに気が付いた。
 身体を起し、咄嗟にジルコンを引き留めた。

「行かないで!」
「だが、安全を確保しないと」
「ジルコンこそどこから来たの。わたしは扉を開けていない」
「バルコニーから」
「バルコニーですって?」
「二階のバルコニーから上った。それで、破られた窓を見た。あなたが襲われたと思った。俺の心臓が止まるかと思った……」
「だから、わたしは大丈夫よ。どうして、そんな危険なことを」
「昼間に、レオが大声でバルコニーの窓を開けておいてほしいと夜這い宣言をしていたから、もしかしてあなたのところへも誰かが訪れるかもとしれないと頭によぎった。だが、本当に窓を破られているとは思わなかった」

 ジルコンは顔をゆがめる。
 背後を気にする。

「レオのアレ、聞こえていたの」
「あんなに大声で叫ばれれば、二階でも三階でも、どこにいても聞こえただろう。まったく関係のない俺が恥ずかしくて赤面してしまったよ」
「それで、ジルコンがバルコニーから入ってきたというの」

 ジルコンは何度目かの舌打ちをする。
 レオの昼間の告白はジルコンも動かしたのだ。
 笑みが浮かびそうになった。
 ジルコンがそんな暴挙にでるとは思わなかった。

「本当に、窓があの状態なのに、何にもなかったというのか」

 ジルコンはロゼリアの顔に、震える手を伸ばした。
 頬に触れるジルコンの指先は冷たい。
 己の不安と疑念を鎮めるかのように、親指がロゼリアの下唇をなぞる。
 このまま、風のせいにしてしまうこともロゼリアにはできた。

「……ラシャールが来たわ」
 ロゼリアの言葉に瞬時にジルコンの顔から表情が抜け落ちた。
 見ているロゼリアが戸惑うほどに。
 彼がひとりで何かを決めつける前に、続けて何かを言わなければならないことを知る。

「ラシャールは以前わたしにプロポーズしてその返事を聞きに来たの。わたしはその時に断った。ベランダは用心のために鍵をかけておいたのだけど、破ってまで入るとは思わなかった」
「なんて、答えたんだ」
「プロポーズはもう一度ちゃんと断った。わかってもらえたから、彼は帰っていった」

 ジルコンは目を閉じふっと息を長く吐く。
 再び目を開いた時には、眼が吊り上がり口は引き結ばれていた。
 秀麗な顔にロゼリアが見たこともないほどの怒りを宿していた。
 無言で今度こそ、踵を返す。
 ロゼリアは鞘ごと剣を握りしめるジルコンの手を掴んで引き留めた。
 ラシャールが来たことを告げたのは、怒らせるためではない。
 彼の結婚の申し出を断ったと言いたかったのと、ほんの少しジルコンを妬かせたいと思っただけだった。
 こんなに殺気をむき出しにするなど想像もしていない。

「あいつを殺しに行く。部屋に侵入したことを許せない。あなたは襲われてもおかしくない状況だった」
 苦々しく言う。

「いかないで。パジャンの者たちと面倒を起しては駄目。ここまできて灰燼に帰するつもりなの!ラシャールとは本当に、何もない。今までも、さっきも危険なことなど何もなかった。彼は納得して帰っていった。それでも、わたしと彼と、何かがあったと疑うのなら、ジルコンが今ここで、この場で確かめればいい」

 ロゼリアはジルコンの手とり夜着の上から胸に押し当てた。
 ロゼリアの胸よりも大きな手が反射的に胸を掴んだ。
 痛みに顔がゆがむ。
 こらえきれずうめき声が漏れた。


< 234 / 242 >

この作品をシェア

pagetop