男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
134、緑のスカーフ 第13話完 「男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子」完
ラシャールたちは、予定よりも早く出立する。
涙の見送りなんて御免だった。
この夏スクールで得たものはなんだったのか、己に問い直す。
自分たちの身体的な能力の優位性や馬の潜在力の違いも歴然であった。
パジャンが、森と平野の国々と戦をするのなら、機動力の高い騎馬による短期決戦に持ち込めれば、パジャンが勝つ。
だが、その優位性も後10年も続かないだろう。
次世代、ジルコン王子が王になれば、彼が土を耕して植えた様々な種子が芽吹き育ち始める。
諸国の国を動かすであろう者たちの間に築いた協力体勢が出来上がる。
そうなれば。
エール王城にまで一息にたどり着くことは難しくなる。
森と平野の大地でパジャンが攻めあぐねてしまえば、パジャンは殲滅されるだろう。
ラシャールたちは、デジャンたちと落ち合った。
パジャンから参加した者たちの、彼らの護衛たちである。
「ラシャールさま。収穫物はありましたか」
デジャンが言う。
どう攻略するかの答えを得たこと以外に、もちろん収穫物はある。
敵対したこともあったが、エールの賢者たちの考え方を学んだ。歴史認識が土地により違うことも知る。
異文化の豊かさや深さも堪能できた。
エール側の参加者たちと友好関係も築けたと思う。
レオは、そういう目に見えないものだけではなくて、生涯を共にする妻まで得た。
美しい女に目移りしていたアリシャンにはできなかったことだ。
ラシャール自身はどうなのか。
エールの地で得たものはなんだったのか。
エールを訪れる前に寄ったアデール国で、パジャン語を話す娘と門前で出会ってしまった。
娘が、ただの通訳だったらよかったのにと思わずにいられない。
彼女は身分ある女で、男装して王子のふりをしていて、たまに女の子に戻っていて、王子と入れ替わりに姫として今度はスクールに参加して、なりふり構わず頑張っていて。
目が離せなかった。
見ていて、興味深くて、正直満足してしまった。
ラシャールは忍耐強く穏やか。
だが、一度決めたらやり抜き通す強さがある。
長所は同時に欠点でもある。
見るだけで満足などしなければよかった。
恋敵に説教するという、余裕をぶちかまし、塩など送りなどせず。
早い段階で彼女に告白し、紳士の振りなどせずにその愛を請い、己の欲望のままに奪っていれば。
ラシャールにも、アデールの姫の心を得るチャンスがあったと思うのだ。
己がエールから持ち帰るものは、悔しさだけなのか。
「……食堂へ寄るか?」
アリシャンが訊く。
「ああ。携帯食などを頼んでいる」
夜も空け始めた世界は青い。
食堂へ寄る。
バーベキューのときの竹の器でお世話になったところ。
亭主は手分けして運べるように、それぞれを分けて個別に荷物を分けてくれていた。
それぞれ馬に括り付けた。
再び騎乗したラシャール達に、亭主は何かを思い出した。
少し待ってほしいというと店に戻り、手に何かを持って戻ってくる。
ラシャールに手渡したのは、薄手のシルクの布。
「これを預かっておりました。あやうく忘れるところでした。これをとある人から預かったからラシャール殿に渡してほしいと、仕立て屋の小僧が預けておりました」
パジャンの者は、日常的に口鼻を布で覆い、塵や冷たい風から喉を守る。
まるで必要だとわかっていたかのような、はなむけである。
「仕立て屋の小僧?誰からだ?」
「シリルは言えないといってましたが」
「女だろ。俺にはないのか?」
アリシャンが意気込み割り込んだ。
「ございませんよ!アリシャン殿は他からたくさんもらっているでしょう。わたしが言づけられたのはラシャールさまのものだけですから」
ちぇっとアリシャンは舌打ちする。
誰からかわからなかったが、ラシャールはありがたく首に巻く。
頬にも首にも気持ちがよかった。
以前のものは捨ててしまった。
エールに滞在するのも長くなり、すっかり自分たちの風習を忘れてしまっている。
ラシャールは苦笑する。
再び一行は、エールの街道を駆け抜ける。
久々の騎乗に彼らの友である愛馬も喜んでいた。
王都を出れば、広大に広がる穀物地帯を一気に走り抜ける。
夜が白々とあけていく。
連日の雨で、空気も景色もみずみずしい。
日照りで苦しんでいたのが遠い昔のようである。
小麦畑の尖った葉がさざ波のようにそよぐ様子は、草原のなかを走り抜けるようだった。
ようやくラシャールは首に巻くスカーフが草色ということに気が付いた。
それは同時に、自分の瞳の色を写した色でもある。
不意に、それが誰からのはなむけなのか理解した。
涙の見送りなんて御免だった。
この夏スクールで得たものはなんだったのか、己に問い直す。
自分たちの身体的な能力の優位性や馬の潜在力の違いも歴然であった。
パジャンが、森と平野の国々と戦をするのなら、機動力の高い騎馬による短期決戦に持ち込めれば、パジャンが勝つ。
だが、その優位性も後10年も続かないだろう。
次世代、ジルコン王子が王になれば、彼が土を耕して植えた様々な種子が芽吹き育ち始める。
諸国の国を動かすであろう者たちの間に築いた協力体勢が出来上がる。
そうなれば。
エール王城にまで一息にたどり着くことは難しくなる。
森と平野の大地でパジャンが攻めあぐねてしまえば、パジャンは殲滅されるだろう。
ラシャールたちは、デジャンたちと落ち合った。
パジャンから参加した者たちの、彼らの護衛たちである。
「ラシャールさま。収穫物はありましたか」
デジャンが言う。
どう攻略するかの答えを得たこと以外に、もちろん収穫物はある。
敵対したこともあったが、エールの賢者たちの考え方を学んだ。歴史認識が土地により違うことも知る。
異文化の豊かさや深さも堪能できた。
エール側の参加者たちと友好関係も築けたと思う。
レオは、そういう目に見えないものだけではなくて、生涯を共にする妻まで得た。
美しい女に目移りしていたアリシャンにはできなかったことだ。
ラシャール自身はどうなのか。
エールの地で得たものはなんだったのか。
エールを訪れる前に寄ったアデール国で、パジャン語を話す娘と門前で出会ってしまった。
娘が、ただの通訳だったらよかったのにと思わずにいられない。
彼女は身分ある女で、男装して王子のふりをしていて、たまに女の子に戻っていて、王子と入れ替わりに姫として今度はスクールに参加して、なりふり構わず頑張っていて。
目が離せなかった。
見ていて、興味深くて、正直満足してしまった。
ラシャールは忍耐強く穏やか。
だが、一度決めたらやり抜き通す強さがある。
長所は同時に欠点でもある。
見るだけで満足などしなければよかった。
恋敵に説教するという、余裕をぶちかまし、塩など送りなどせず。
早い段階で彼女に告白し、紳士の振りなどせずにその愛を請い、己の欲望のままに奪っていれば。
ラシャールにも、アデールの姫の心を得るチャンスがあったと思うのだ。
己がエールから持ち帰るものは、悔しさだけなのか。
「……食堂へ寄るか?」
アリシャンが訊く。
「ああ。携帯食などを頼んでいる」
夜も空け始めた世界は青い。
食堂へ寄る。
バーベキューのときの竹の器でお世話になったところ。
亭主は手分けして運べるように、それぞれを分けて個別に荷物を分けてくれていた。
それぞれ馬に括り付けた。
再び騎乗したラシャール達に、亭主は何かを思い出した。
少し待ってほしいというと店に戻り、手に何かを持って戻ってくる。
ラシャールに手渡したのは、薄手のシルクの布。
「これを預かっておりました。あやうく忘れるところでした。これをとある人から預かったからラシャール殿に渡してほしいと、仕立て屋の小僧が預けておりました」
パジャンの者は、日常的に口鼻を布で覆い、塵や冷たい風から喉を守る。
まるで必要だとわかっていたかのような、はなむけである。
「仕立て屋の小僧?誰からだ?」
「シリルは言えないといってましたが」
「女だろ。俺にはないのか?」
アリシャンが意気込み割り込んだ。
「ございませんよ!アリシャン殿は他からたくさんもらっているでしょう。わたしが言づけられたのはラシャールさまのものだけですから」
ちぇっとアリシャンは舌打ちする。
誰からかわからなかったが、ラシャールはありがたく首に巻く。
頬にも首にも気持ちがよかった。
以前のものは捨ててしまった。
エールに滞在するのも長くなり、すっかり自分たちの風習を忘れてしまっている。
ラシャールは苦笑する。
再び一行は、エールの街道を駆け抜ける。
久々の騎乗に彼らの友である愛馬も喜んでいた。
王都を出れば、広大に広がる穀物地帯を一気に走り抜ける。
夜が白々とあけていく。
連日の雨で、空気も景色もみずみずしい。
日照りで苦しんでいたのが遠い昔のようである。
小麦畑の尖った葉がさざ波のようにそよぐ様子は、草原のなかを走り抜けるようだった。
ようやくラシャールは首に巻くスカーフが草色ということに気が付いた。
それは同時に、自分の瞳の色を写した色でもある。
不意に、それが誰からのはなむけなのか理解した。