男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

22、ジルコンのとっておき

ナミビアを抜けると、そこはもうエール国の領地となる。
再び森の中に入るが、梢の隙間から明るい春の光が差し込み、彼らの通る道に優しい影を落とす。
景色は一変していた。
樹木の種類は多くて、色とりどりの花を咲かせ、蝶が舞う。
小鳥のさえずる声や、どこかで小川が流れているのかせせらぎの音も聞こえてくる。
その森の道は、これまで通った道とは違い、目や耳や鼻など五感を楽しませてくれる道だった。
そしてこの森は、アデールの鬱蒼とした太古の森とは様相が異なっていた。
人の手が入り、視界も見渡せて、ところどころに検問所があり、完全に管理され、小さな村落もあるようだった。

黒騎士たちの四方を常に注意をしているような緊張も解けている。
ゆったりとしたペースに変わっている。
小さな雑談も交わされ、軽い笑いも起こっている。
自国と、同盟国とはいえ、その間では彼らの強いられる緊張度合いが異なるようである。
あたりはふんわりと優しい春の花々と、しっとりとした雨上がりのような新緑の香りが満ちる。

「ここからエール国。美しい俺の国。この森の道を抜けると即王都だ。王都には100万の人が住み、それぞれの役割を果たしながら生活している。この西の森は都会に住む者の憩いの森ともなる。森の中には温泉保養所も作られて、自然を満喫しながら過ごすこともできる」
いつの間にか、ロゼリアが馬を進める最後尾にジルコンが来ていた。
久しぶりの気軽に話せる相手と別れて、再び気分が沈みがちとなっていたロゼリアのその横に馬を並べている。
この道の春の目覚めと喜びにあふれたような美しい景色は、そんなロゼリアの心を慰めてくれてはいたのだが。
この数日間必要なことしか話さない王子だったので、ロゼリアの背中は自然と伸びる。
何か返事を待っているような間が空くので、ロゼリアは質問をする。

「ナミビアは小さな王都だった。地図を見たけれど、エール国とナミビアの間には直結している主要街道がある。あの道の方が早くエール国につけるような気がする」
ロゼリアは最近よく見る地図を思い浮かべた。

「この西の?憩いの?森を抜ける道だと、アップダウン、川もあり、そしてこののんびりなペースで行くとなると、王都にたどり着くのは夜になるのではないですか?」
「多少遠回りになるのだが、寄りたいところがあるから」
「寄りたいところ?」
「最近元気のない王子さまに、先に充電をしてもらってからの方がいいかと思ったんだ。俺も、城に戻れば怒涛の日常にもどらなけらばならないから、休めるときに休んでおきたい」

「ジルさま、あの宿に寄りたいだけでしょう?」
細い目をした女騎士アンが口を挟んだ。
どこか含んだ様子で言うのをロゼリアは聞きとがめた。
それは女の勘というものである。
「あの宿?」
「あの宿は、騎士や兵たちもよく宿泊する。その研修にも使われることもある。鍛練場も温泉もあるからな。
今夜はそこに夜は泊まることになるのだが、そこにはアンズの花が咲き、香りと目で楽しませてくれる、よいところだ」
「温泉!!」
ロゼリアは温泉に一度も入ったことがなかった。
温泉に強烈に惹かれた。

「この道を行くだけでも、千の花が咲いているし、甘酸っぱいアンズの花の香りがするのに、その宿は桃源郷のようなものなのか」
ロゼリアの言葉に、ジルコンは笑った。
「桃源郷!そうかもな。でも本当にみせたいのは、その宿にいったん馬を預けて、少し奥まったところにあるところだ。これは俺のとっておきの場所で、、、」

ジルコンのとっておきに思わずロゼリアはくすりと笑った。
この旅で初めてジルコンにみせた笑い顔であることにロゼリアは気が付かない。

「とっておき!ジルのとっておきの場所なんだ。それは知りたい」
「俺のとっておきは危険な場所ではないからね。ロズのとっておきでは穴蔵に落ち込んだからな」
ジルコンは思い出し、笑いをかみ殺した。
「あの時の、穴に落ち込んだときの話はきいているか?」
「聞いている。ロズは、落ち込んだショックよりも、カッコいいお兄さんにプロポーズして受けてもらえたといって大喜びしてた。それが何年も続いて、ことあるごとにジルジルとのろけをきかされて困ったよ」

あははとジルコンは笑った。

「それで、あれはどうなったんだ?いつまで続いたんだ?」
「あれ、とは?」
「とぼけるな、あの時、ロズから聞いた。アデールの入れ替わりの秘密だ。16の誕生日まで結局続いたのか」
ロゼリアは慎重に答える。
「ああ、はじめはそんな話だったよ。でも実際には、僕はすぐに元気になっていったし、2年だけだった。
それ以来、ロゼリアはロゼリア。僕は僕となった。性別通りに」

それはとっさの嘘である。
16まで入れ替わっていたと伝えると、自分の正体がばれるかもしれないからだった。

「2年も続けたのか。俺は2年も女はやれない。お前は平気だったのか?」
「体は弱かったし。ロゼリアは必死にやってくれたから。姫でいることも、王子でいることも大変なことには変わらない。ただ王子でいれば、こうやって外の世界の見聞を広げることができる。姫だと籠の鳥だから。いまだって、、、」

「お前がロズのかわりに見てやれ」
これはロゼリアが籠の鳥になるまでの、僅かな猶予期間なのだ。
そして、この馬を進める男はエールの王を約束された未来の夫。
ロゼリアは、こくりと唾を飲み込んだ。
人生において、ほんの僅かにのこされた外に開かれた学びの時なのだ。
そして、未来の夫の本当の姿を知ることができる。
何を考え、何を求めているのか。
そしてどんな世界を作りたいと望んでいるのか。

「もちろんそのつもりだ!」

ロゼリアは言う。
その目に、強い意志の光が戻ってくる。
温泉宿につくと、ジルコンは半数を残しロゼリアを連れて、裏手の山道を行く。
沢の涼やかな音がすぐそこに聞こえたかと思うと、眼前には見事なユキヤナギの白い枝が沢の向こうから枝垂れかかる。
それは上流から下流へ数十本もあり、川底の丸石がすけて見えるくるぶしほどの沢の水に、雪が降りかかったかのように白く染めていた。

「うわああ、きれい、すごい、、、、」

ロゼリアは歓声を上げる。
こんな美しい景色は見たことがなかった。
アンズのように主張しない、やさしいユキヤナギの花の香に軽く酔いそうだった。
そして、ジルコンや騎士たちが目を丸くしたこと。
いきなりロゼリアは茶色のフードを脱ぎ捨て、革靴を足から抜き去った。
ズボンのすそをまくり上げたかと思うと、小川の中に走り入った。
小花の散る水をすくい、顔を洗う。

「つめたっ。気持ちいいっ。雪の小川だ。こんな美しいところ、僕は知らないっ」

それを目を丸くしてジルコンは見る。
喜ばせようとは思ったが、まさかここまで喜ぶとは思わなかったのだ。
「奔放な王子ですね」
ロサンは呆れて王子に囁いた。
「そうだな、森育ちだからな。アデールの双子はいつも俺の想像を超えてくる」
笑いをこらえて、ジルコンはいう。
返ってきたその言葉が聞いたこともないような声色だったので、ロサンは王子の顔をみて驚いた。

「王子、まさか入らないでくださいね」
アンも言う。
この調子では、彼女の孤高の王子が子供の様に水遊びをしかねないからだ。
水に入ることはなかったが、ゆったりと木陰でロゼリアがはしゃぐ様子を楽しみ、手を振り返している。
そこには、朝からのきわめて不機嫌な彼らの王子はいなかったのである。





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