男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
番外編
1、パジャンのラシャール①
アデールの春祭りと麗しき双子の16歳の誕生日を寿ぎに来訪した使者たちは、饗応されていた。
パジャンの使者の二人も同様である。
だが彼らはそうそうに用意された部屋へ引き上げてしまう。
「町にでるのでしたらご案内しますよ」
穏かな笑みを浮かべるセプターが声を掛けた。
断るといつでもお呼びくださいと、離れていく。
この若い王騎士は彼らの部屋の外に護衛という名目の、見張りと監視をつけるのはわかっていた。
草原の国からの使者は、露骨にではないが、平和な王宮に小さな野分のような混乱を密に巻き起こしているようである。
「それにしても、アデールの姫を拝顔できませんでしたね」
壮年の方の男、デジャンが言う。
もう一人の若者の方は、彼の付き人として終日通したにも関わらず、ベッドに体を投げ出している。
「もう会っているよ。姫は、あの通訳の娘だろう」
「まさか。姫というのは王宮の奥深くに多くの女官たちにかしずかれているのではないですか?」
デジャンの言葉遣いは、若い男に対して王城の中と打って変わって丁寧なものになっている。
ここは二人きりなので、もう装う必要はないのだ。
デジャンは、本当はこの緑の目の端麗な男に仕えている。
「いくら辺境の国であるとはいえ、草原の国々と国交が断絶していた地理的歴史は長い。交流が始まったのはほんの数十年だ。それなのに、美しいパジャン語を話す。それだけで、あの娘は只者ではないことがわかるだろう?」
「そうですかねえ?城門で会ったのですよ?深窓の姫がそんなところにいますか?でも、ラシャールさまが気に入ったのでしたら、姫であってもなくても、さらいますか」
デジャンは物騒なことをさらりと言う。
パジャンの王子ラシャールはひとりごちた。
パジャン国では伝統的に花嫁を他の部族から奪う風習がある。
そうやって、ラシャールの母もパジャンの覇王にさらわれた一人である。
ラシャールは、異国人の母が父に愛されていることを知っているし、父を愛している。
だが、時折、母が二度と踏めない祖国を焦がれて過ごす夜も知っている。
ラシャールが返事をしないのでデジャンは続けた。
「でも、娘がどこの部屋にいるかはわかりませんね」
一日にこにこと付き添ったセプターにロゼリア姫のことを尋ねても、「そうなんですか?それは知りませんでした。よくご存じですね」「わたしには、はかりかねます」「個人的なことはちょっと」「本当に我らが姫は、恥ずかしがり屋で、この国をでることなどできないのではないかと心配しているのですよ」
などとはぐらかし、ラシャールに見事に必要な情報をひとつも寄越さなかったのである。
そもそも登場から、娘とラシャールの間の壁となるべく立ちふさがったのだった。
「大体見当はつくよ。あの騎士がわたしたちが行こうとしたころを防ごうとしたところ。視線さえも遮ろうとした方向。そこに彼女はいる」
明日の朝、この国を出る前にラシャールにはどうしても確かめたいことがある。
城外の祭りの楽や笑い声などが次第に細くなりつつも、開け放した窓から風とともに流れてくる。
夜の帳が下りて完全に鎮まるのをラシャールは待った。
ようやくむくりと体を起こす。
ベランダから見る夜空には、満天の星にぱくりと口をひらけたような月。
「行くぞ、、、」
ラシャールは窓の外へ身を乗り出し、闇に消えた。
軽い身のこなしである。騎馬民族の彼らの身体能力は優れている。
デジャンもその後に続いたのである。
彼らは松明を持つ見回りの衛兵をやり過ごす。
草原の者たちは闇に慣れ、夜目がきく。彼らもそうである。
王宮の外から、あの騎士が避けたがったところを目指した。
幾つも灯りが窓から漏れる中、ほんの少しだけ贅沢が許された、明るい部屋がある。
3階だった。
ラシャールは小石を投げた。
三回目で灯りを横切るようにして人影が現れる。
一息に大きく窓が開かれ、夜着姿の娘が現れた。
髪を片側に流している。部屋の灯りに透かされて、娘の豊満であるとは言えないが、女らしさを備え始めた線を浮き立たせていた。
「ほう、なかなか、、、」
そう感嘆の声を小さくつぶやいたのは闇に紛れラシャールの横に潜むデジャンである。
娘はベランダに転がる石を拾い上げた。
娘は闇の方々に目を凝らす。
そして、ラシャールが潜む闇をじっと見る。
彼女のいるところは明るい。
だから自分たちの姿がわかるはずもなく、さらに目が合ったはずはないと思うのに、ラシャールの心臓はどくどくと打ち始める。
だが、それは中断される。
部屋の中にはもうひとつ影がある。
「ロズさま、お風邪を召しますよ。もう部屋にお戻りください」
「誰かが窓に石を投げてきたんだ。わたしを呼んでいる」
「ええ?そんなことをするものはおりませんよ。外は衛兵が見回っておりますし」
二つの影は会話を続けながら、部屋の中へと飲み込まれていく。
しばらくすると、灯りも消えたのである。
ラシャールは十分に間を空ける。
部屋の主が意識を手放し、無防備に熟睡するまで。
「、、、ここで待っていろ」
ラシャールは壁の蔦を伝わり、一気に娘の部屋のベランダへと登った。
窓枠を風の音に合わせてゆすり、鍵をうまく外す。
そして細く押し開けた隙間から体を滑り入らせた。
部屋の中は天幕の張ったベッドがある。
その紗の膜の内側に、繭の中で夢を見る娘が規則正しく静かな寝息を立てていた。
パジャンの使者の二人も同様である。
だが彼らはそうそうに用意された部屋へ引き上げてしまう。
「町にでるのでしたらご案内しますよ」
穏かな笑みを浮かべるセプターが声を掛けた。
断るといつでもお呼びくださいと、離れていく。
この若い王騎士は彼らの部屋の外に護衛という名目の、見張りと監視をつけるのはわかっていた。
草原の国からの使者は、露骨にではないが、平和な王宮に小さな野分のような混乱を密に巻き起こしているようである。
「それにしても、アデールの姫を拝顔できませんでしたね」
壮年の方の男、デジャンが言う。
もう一人の若者の方は、彼の付き人として終日通したにも関わらず、ベッドに体を投げ出している。
「もう会っているよ。姫は、あの通訳の娘だろう」
「まさか。姫というのは王宮の奥深くに多くの女官たちにかしずかれているのではないですか?」
デジャンの言葉遣いは、若い男に対して王城の中と打って変わって丁寧なものになっている。
ここは二人きりなので、もう装う必要はないのだ。
デジャンは、本当はこの緑の目の端麗な男に仕えている。
「いくら辺境の国であるとはいえ、草原の国々と国交が断絶していた地理的歴史は長い。交流が始まったのはほんの数十年だ。それなのに、美しいパジャン語を話す。それだけで、あの娘は只者ではないことがわかるだろう?」
「そうですかねえ?城門で会ったのですよ?深窓の姫がそんなところにいますか?でも、ラシャールさまが気に入ったのでしたら、姫であってもなくても、さらいますか」
デジャンは物騒なことをさらりと言う。
パジャンの王子ラシャールはひとりごちた。
パジャン国では伝統的に花嫁を他の部族から奪う風習がある。
そうやって、ラシャールの母もパジャンの覇王にさらわれた一人である。
ラシャールは、異国人の母が父に愛されていることを知っているし、父を愛している。
だが、時折、母が二度と踏めない祖国を焦がれて過ごす夜も知っている。
ラシャールが返事をしないのでデジャンは続けた。
「でも、娘がどこの部屋にいるかはわかりませんね」
一日にこにこと付き添ったセプターにロゼリア姫のことを尋ねても、「そうなんですか?それは知りませんでした。よくご存じですね」「わたしには、はかりかねます」「個人的なことはちょっと」「本当に我らが姫は、恥ずかしがり屋で、この国をでることなどできないのではないかと心配しているのですよ」
などとはぐらかし、ラシャールに見事に必要な情報をひとつも寄越さなかったのである。
そもそも登場から、娘とラシャールの間の壁となるべく立ちふさがったのだった。
「大体見当はつくよ。あの騎士がわたしたちが行こうとしたころを防ごうとしたところ。視線さえも遮ろうとした方向。そこに彼女はいる」
明日の朝、この国を出る前にラシャールにはどうしても確かめたいことがある。
城外の祭りの楽や笑い声などが次第に細くなりつつも、開け放した窓から風とともに流れてくる。
夜の帳が下りて完全に鎮まるのをラシャールは待った。
ようやくむくりと体を起こす。
ベランダから見る夜空には、満天の星にぱくりと口をひらけたような月。
「行くぞ、、、」
ラシャールは窓の外へ身を乗り出し、闇に消えた。
軽い身のこなしである。騎馬民族の彼らの身体能力は優れている。
デジャンもその後に続いたのである。
彼らは松明を持つ見回りの衛兵をやり過ごす。
草原の者たちは闇に慣れ、夜目がきく。彼らもそうである。
王宮の外から、あの騎士が避けたがったところを目指した。
幾つも灯りが窓から漏れる中、ほんの少しだけ贅沢が許された、明るい部屋がある。
3階だった。
ラシャールは小石を投げた。
三回目で灯りを横切るようにして人影が現れる。
一息に大きく窓が開かれ、夜着姿の娘が現れた。
髪を片側に流している。部屋の灯りに透かされて、娘の豊満であるとは言えないが、女らしさを備え始めた線を浮き立たせていた。
「ほう、なかなか、、、」
そう感嘆の声を小さくつぶやいたのは闇に紛れラシャールの横に潜むデジャンである。
娘はベランダに転がる石を拾い上げた。
娘は闇の方々に目を凝らす。
そして、ラシャールが潜む闇をじっと見る。
彼女のいるところは明るい。
だから自分たちの姿がわかるはずもなく、さらに目が合ったはずはないと思うのに、ラシャールの心臓はどくどくと打ち始める。
だが、それは中断される。
部屋の中にはもうひとつ影がある。
「ロズさま、お風邪を召しますよ。もう部屋にお戻りください」
「誰かが窓に石を投げてきたんだ。わたしを呼んでいる」
「ええ?そんなことをするものはおりませんよ。外は衛兵が見回っておりますし」
二つの影は会話を続けながら、部屋の中へと飲み込まれていく。
しばらくすると、灯りも消えたのである。
ラシャールは十分に間を空ける。
部屋の主が意識を手放し、無防備に熟睡するまで。
「、、、ここで待っていろ」
ラシャールは壁の蔦を伝わり、一気に娘の部屋のベランダへと登った。
窓枠を風の音に合わせてゆすり、鍵をうまく外す。
そして細く押し開けた隙間から体を滑り入らせた。
部屋の中は天幕の張ったベッドがある。
その紗の膜の内側に、繭の中で夢を見る娘が規則正しく静かな寝息を立てていた。