男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

3、ジルコンと父の背中②

「子供の命が惜しければ、この国から出ていけ。侵略王フォルスよ。我らはお前に従わない。我らの心は、我らの王にあり、お前にはない」

僕は恐怖に恐慌をきたしながら父に助けを求めた。
声を出そうにも声はでなかった。
父は助けてくれると信じていた。
なぜならば、僕は父の唯一の息子だからだ。
エールの国を父の後を継ぐ。
顔もそっくりな僕は、父の小さな分身のようなもの。
それはまるで、父そのものではないか?

父は鼻であざ笑う。
そんな醜い顔をする父を知らない。

「反乱分子は20名ぐらいか?それでわたしを退けられると思っているのか?」
「この国からでていけば、この子は生かしてやる。でていかないのであれば、、、、」

使者は尚も言いつのり、ぐいっと刃が肉に食い込んだ。
肌が切り裂かれ、ぬるりと首筋に血がながれるのを感じる。
父はそれを見ても動じない。
氷のような冷たい男の目だった。

「お前たちがこの子を人質にするのならしたらいい。殺すなら殺すがいい。いずれにしろ、それには何の価値もない。それよりも、俺の騎士たちを押さえた方がよかったのではないか?酒に酔い、加減ができないぞ?」

ゆらりと立ち上がる赤い顔をした騎士たち。
その手には剣が抜かれている。
預かろうとするのを頑固に断り、肌身離さずもっていたのだ。
そして始まる戦闘、惨殺。
弑されるのは、罠に誘い込んだはずの反乱分子。
血の雨が美しい調度品に降りかかり、残された料理は踏みつけられ散乱する。

始めてみる戦闘だった。
フォルス王の騎士たちは強い。
父も剣を振う。
彼らは僕を見ることはない。
その生死は完全に僕を捕らえた使者に預けられていた。

ようやく悟る。
父は僕を見捨てたのだ。
父が自分の命よりも大事なのは、いつでも母一人。
子供であるからといって特別ではない。
父に認められるには、自分で、この手で、証明しなければならないのだ。

「クソっ。フォルスは人の心を持っていないのか」
僕を掴んでいた男は言う。
「殺すつもりなんてなかったが、そういうつもりなら、あいつの前で息子を殺してやる」

向けられる殺意。
生きるためには頼れるものは自分しかなかった。
僕の手の中には、フォークが握られていた。
デザートを食べていたところだったのだ。
考える前に、拳を反動をつけて振り下ろしていた。
太腿に突き刺ささる肉の感覚。
うめき声と共に、僕はどんと突き放された。
体勢を立て直すと、今度は体当たりでぶつかり二人で床に転がった。
自分が生き残るために。
馬乗りになり力任せに握った拳でその顔を打った。


気が付くと戦闘は終わっていて、父王の手が僕の手首を掴んでいた。
使者の顔は無残に血に染まる。
僕の手から血がしたたった。
拳で若い使者の鼻柱を叩き折ったのだ。

「案外強いな。見直した。お前はこれでもわたしの後を継ぎ王になりたいか?王の道は血潮の道だぞ?」

父は僕の顔を正面から見た。
初めてその黒檀のような目と向き合ったような気がする。
父はいつも母を、そしてここでない森と平野の国々の未来を見ていたのだ。

その顔は、偉大な王の顔ではなかった。
殺害の興奮に鼻は広がり目は吊り上がる知らない男の顔。
同時に底知れぬ悲しみを抱いた顔であった。

宴会場は血で染まる。
先ほどまでエールの王の一行をもてなしていた者たちは床に倒れて動かない。
その体を足でけり、息のある者を王の騎士はとどめを刺していた。

父へのあこがれが崩れていく。
国々を制圧し覇王になるということは、反発する者たちを力で制していくことだった。
力とは、徹底的に打ちのめすこと。
それも反撃する気持ちがなくなるぐらいに、反逆者たちを無残にさらすこと。
酒を注いでいた逃げ遅れた女たちは、隅で縮こまり恐怖と悲しみに涙を流し嗚咽し震えていた。

後から知る。
彼女たちが体をしびれさせる毒を入れるのをためらったために、フォルス王は助かったのだった。
その代わりの代償が、彼女の主の誅殺であった。
死者たちの無念と、生き残った者たちの悲しみが僕の平穏な世界になだれ込む。
華やかだった輝かしい世界は、どろどろとした憎しみと悲しみの地獄の上に打ち立てられていた。

いつ踏み外してもおかしくないあやうい橋をフォルス王は渡る。
生きるのも死ぬのも、己の才覚だと思っている父。
死ぬのは勝手だが、ずっと帰りを待ち続ける母が悲しむのが耐えられないではないか。


「俺はあんたのような王にはならない。血潮の道でない王の道を歩む」
だから言う。
言ったとたんに、計り知れない力が己の体になだれ込んできた。
それは背中を見ることしかなかった、偉大な父への宣戦布告のようなものだった。

「そうか、お前は王になるが、俺とは違う道を進むというのだな!できるもんならやってみせろ!賢く強くなれ。ジルコン、強く優しき我が息子よ。言っとくが俺は簡単には王座を譲らないぞ?」

その日を境に、ジルコンの世界の見方が変わる。
学びへの取組み方が変わる。
誰かの手がこれ以上血に染まらないために。
どこかで愛するものを失って悲しみの涙を流すものがこれ以上生まれないようにするために。
大きな背中の偉大な父を超えるために。

王はジルコンの胸元に折り畳んで入れていたハンカチを引き出し、顔に押し付けた。

「ほら顔をふけ。血だらけだぞ」


そのハンカチは、見事な刺繍が施されたハンカチである。
数年前の奥深い森の国で出会ったお転婆のジルコンの姫が、穴蔵に落ち込み怪我した時に腕に結んで、そのまま持ち続けたもの。
あれからハンカチをみては、プロポーズされたことなど何度も思い返して、ほほえましい気持ちになっていたのだ。

ジルコンの心にはその小さな女の子の笑顔が刻まれている。
世界中の者は無理だとしても、せめて彼女が悲しみの涙を流さない世界を作りたいと、その時ジルコンは決意したのだった。




3、ジルコンと父の背中 完



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