男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
33、パジャンの店②
ロゼリアは忘れないように何かに書きつけようと、口に肉をほおばりながら、反故紙を探す。
出されるままに馬乳酒をいただくと、ほのかな酸味と甘み、そして僅かに発酵が進んでアルコールが含まれていて、その初めて飲んだ馬乳酒のおいしさに上機嫌になってしまう。
「でもあなた命知らずよね。パジャンの人がこんな敵国の心臓にいるなんて思いもしなかったわ!」
ラシャールはデザートのゼリー菓子をつまんだ。
「エールとパジャンは敵同士ではないよ。ただどちらも大きく膨れた状態で接しているだけだ」
「それを、一触即発っていうんでしょう?」
ラシャールは口の端を上げて笑う。
「だからこそ、その緊張感を抜く方法を探り来ているし、わたしがここにいることが、一発触発を回避することに役立っていると思うんだ。この店の客を見てごらん。客も店員も草原の国の者だけではないだろう?戦争を回避するには、こういった草の根の交流が大事だと思う。
互いの文化を知り尊重し合う。その考え方の根本を知り、敬意を示す。誰だって頭ごなしに否定されるよりか、その行動や考えを持つにいたる根本を知れば、馬鹿にしあうことなんかないと思うから。城門で下馬するのに理由があるのと同じだ。草原では馬に乗るのが普通だから、なんとも思わない。これが文化の違いなのだろう。
このように君の言う、郷に入りては郷に従えに従いつつ、異質なわたしたち同士をよく知ってもらうことにこそ、意味があることだと思う。それこそ、親世代の戦争に引きずられない、世界の在り方だと思うし、わたしはその役割を率先していきたいと思っている」
竹を輪切りにした素朴な器にロゼリアは口をつけた。
それには注ぎ足された馬乳酒が入ってる。
これは癖になりそうな味であった。
ラシャールの思いは、ジルコンが行おうとしている王子たちを集めた勉強会の趣旨と近いものだと思う。
「ラシャールも参加をするの?エールの王子の勉強会に。確か王位継承10位ぐらいの者か、それ相当の者なら参加できるはず。正使の従者も末席ぐらいに参加できるのではないの?」
ロゼリアは尚も口をつけようとして、器が奪われた。
「飲みすぎだよ。馬乳酒は初めてだろう。アルコールが低いといっても量を飲めば酔っぱらう。勉強会には、そのう、末席で、参加する。夕方からも用事があるんだろう?君も染色だけでなくて、あれに参加するのか?」
「わたしは参加しないわ。アデール国からは王子のアンジュが参加する」
「その瞳をのぞき込んではいけない、心を盗まれてしまう、麗しきアデールの双子、アンジュとロゼリア、か」
不意にそのフレーズを思い出してラシャールが口ずさんだ。
「やめて、そのざれ唄、恥ずかしすぎるから」
ロゼリアはその歌を聞くといたたまれなくなる。
この旅の間も、方々で聞かされたような気がする。
その様子を見てラシャールは笑った。
「エール国の後に、パジャンに学びに来ないか?」
ラシャールは真剣な目をして言う。
アデールでは目の前の娘がロゼリアだと思っていたから、ロゼリア姫を妻にしたいと思ったのだ。彼女よりも美しい女がいるとも思えない。
アデールの双子を称える歌は、その美に王族増しがされているのだろうと思う。
「君は言葉も堪能だろ?座学だけでは本当に知ったことにはならない」
「そうね、そうかも。いつかパジャンにも行ってみたい」
すっかり酔いの回った顔で、ロゼリアは言う。
ラシャールの言葉の真剣な響きは聞き流してしまっていた。
ふわふわと気持ちがよかった。
草原の国の強国パジャンの王子と同じ名前を持つ緑の目の若者は、ただの娘のロゼリアを丁寧に扱ってくれる。
ジルコンと同じぐらいの年齢なのに、ずっと落ち着き、大人びている。
時折、彼に軽く頭を下げていく後ろで短いながらも髪を結んだ客たちがいる。
ラシャールの髪は彼らよりもずっと長い髪である。
馬のしっぽのように結んでいる。
パジャンの男たちの特徴だった。
気が付けば、数時間ゆったりと寛いでしまっていた。
ロゼリアは酒が引くと同時に、シリルのところへ服を取りに行くことを思い出し、その後のジルコンの家族との会食の約束をしていたことを思い出し、飛び上がった。
型染めの工房を見る時間はもうなかった。
「ラシャール、わたし行かなければならないわ!急がなければ、夕食に遅れる!」
「つい先ほどまで君は昼食を食べていたよ?」
「それはそれ、これはこれよ!」
「宿泊しているところまで送るよ」
それは王城の寮ということになるではないか。
ロゼリアは断った。
次にスクールで会うときには、ロゼリアはアンジュである。
そのアンジュを見たときに、ラシャールがそっくりな自分を思い出し、双子の姫が町中に来ていると思うかもしれないと思わなかったのは酒のせいだろう。
先に失礼する非礼を詫びる。
断ってもついてこようとするラシャールを振り切った。
その背中に、ラシャールの最後の言葉が投げかけられる。
「お嬢さん!そろそろ名前を教えて欲しい!」
「わたしはロズよ!」
夕暮れの王都の路地を走ったのである。
出されるままに馬乳酒をいただくと、ほのかな酸味と甘み、そして僅かに発酵が進んでアルコールが含まれていて、その初めて飲んだ馬乳酒のおいしさに上機嫌になってしまう。
「でもあなた命知らずよね。パジャンの人がこんな敵国の心臓にいるなんて思いもしなかったわ!」
ラシャールはデザートのゼリー菓子をつまんだ。
「エールとパジャンは敵同士ではないよ。ただどちらも大きく膨れた状態で接しているだけだ」
「それを、一触即発っていうんでしょう?」
ラシャールは口の端を上げて笑う。
「だからこそ、その緊張感を抜く方法を探り来ているし、わたしがここにいることが、一発触発を回避することに役立っていると思うんだ。この店の客を見てごらん。客も店員も草原の国の者だけではないだろう?戦争を回避するには、こういった草の根の交流が大事だと思う。
互いの文化を知り尊重し合う。その考え方の根本を知り、敬意を示す。誰だって頭ごなしに否定されるよりか、その行動や考えを持つにいたる根本を知れば、馬鹿にしあうことなんかないと思うから。城門で下馬するのに理由があるのと同じだ。草原では馬に乗るのが普通だから、なんとも思わない。これが文化の違いなのだろう。
このように君の言う、郷に入りては郷に従えに従いつつ、異質なわたしたち同士をよく知ってもらうことにこそ、意味があることだと思う。それこそ、親世代の戦争に引きずられない、世界の在り方だと思うし、わたしはその役割を率先していきたいと思っている」
竹を輪切りにした素朴な器にロゼリアは口をつけた。
それには注ぎ足された馬乳酒が入ってる。
これは癖になりそうな味であった。
ラシャールの思いは、ジルコンが行おうとしている王子たちを集めた勉強会の趣旨と近いものだと思う。
「ラシャールも参加をするの?エールの王子の勉強会に。確か王位継承10位ぐらいの者か、それ相当の者なら参加できるはず。正使の従者も末席ぐらいに参加できるのではないの?」
ロゼリアは尚も口をつけようとして、器が奪われた。
「飲みすぎだよ。馬乳酒は初めてだろう。アルコールが低いといっても量を飲めば酔っぱらう。勉強会には、そのう、末席で、参加する。夕方からも用事があるんだろう?君も染色だけでなくて、あれに参加するのか?」
「わたしは参加しないわ。アデール国からは王子のアンジュが参加する」
「その瞳をのぞき込んではいけない、心を盗まれてしまう、麗しきアデールの双子、アンジュとロゼリア、か」
不意にそのフレーズを思い出してラシャールが口ずさんだ。
「やめて、そのざれ唄、恥ずかしすぎるから」
ロゼリアはその歌を聞くといたたまれなくなる。
この旅の間も、方々で聞かされたような気がする。
その様子を見てラシャールは笑った。
「エール国の後に、パジャンに学びに来ないか?」
ラシャールは真剣な目をして言う。
アデールでは目の前の娘がロゼリアだと思っていたから、ロゼリア姫を妻にしたいと思ったのだ。彼女よりも美しい女がいるとも思えない。
アデールの双子を称える歌は、その美に王族増しがされているのだろうと思う。
「君は言葉も堪能だろ?座学だけでは本当に知ったことにはならない」
「そうね、そうかも。いつかパジャンにも行ってみたい」
すっかり酔いの回った顔で、ロゼリアは言う。
ラシャールの言葉の真剣な響きは聞き流してしまっていた。
ふわふわと気持ちがよかった。
草原の国の強国パジャンの王子と同じ名前を持つ緑の目の若者は、ただの娘のロゼリアを丁寧に扱ってくれる。
ジルコンと同じぐらいの年齢なのに、ずっと落ち着き、大人びている。
時折、彼に軽く頭を下げていく後ろで短いながらも髪を結んだ客たちがいる。
ラシャールの髪は彼らよりもずっと長い髪である。
馬のしっぽのように結んでいる。
パジャンの男たちの特徴だった。
気が付けば、数時間ゆったりと寛いでしまっていた。
ロゼリアは酒が引くと同時に、シリルのところへ服を取りに行くことを思い出し、その後のジルコンの家族との会食の約束をしていたことを思い出し、飛び上がった。
型染めの工房を見る時間はもうなかった。
「ラシャール、わたし行かなければならないわ!急がなければ、夕食に遅れる!」
「つい先ほどまで君は昼食を食べていたよ?」
「それはそれ、これはこれよ!」
「宿泊しているところまで送るよ」
それは王城の寮ということになるではないか。
ロゼリアは断った。
次にスクールで会うときには、ロゼリアはアンジュである。
そのアンジュを見たときに、ラシャールがそっくりな自分を思い出し、双子の姫が町中に来ていると思うかもしれないと思わなかったのは酒のせいだろう。
先に失礼する非礼を詫びる。
断ってもついてこようとするラシャールを振り切った。
その背中に、ラシャールの最後の言葉が投げかけられる。
「お嬢さん!そろそろ名前を教えて欲しい!」
「わたしはロズよ!」
夕暮れの王都の路地を走ったのである。