男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
「どういうことだ?」
「つまり、真珠の代金は国庫から捻出されたもので払われるんだろ?そのもとになるのはエール国の国民から取り立てた血税だ。それを、一生に一度しか身につけないような豪奢な装飾品に替えても、嬉しくないっていうこと」
「お高いものに込められた気持ちは、必ずそのように伝わりますよ。誰でも手に入るようなお安いものは、それなりの気持ちだと思われてしまいますよ」
 亭主は言葉を添える。
「ならアンジュは、満天の星空を見ながら馬で駆けるような方が税金も使わず国民は喜ぶというのか?」
 王子の声がわずかに激昂する。
「税金を利用するのなら最低限で。だけど、本人が喜ぶならば、ものでなくてもいいのかもと思いませんか?新たな考え方の良さも学ぶ必要があるのではと思うのですが」
 ちらりと若者は、控えめに書かれた目の飛び出るような金額の、小さな数字を見た。
「アンジュはパジャンの王子と馬で走りたいというのか」
 王子はむっとしている。
 若者は笑った。
「どうして、ラシャールがでてくるのかわかりませんが、この宝石店の超高級品を頂いてもありがた迷惑です」

 亭主は自分の言葉が完全に無視されていたが、二人の会話で、パジャンの王子とジルコン王子が一人の若者を取り合っているような状況が想像できて、この金髪の若者に益々興味が引かれた。

「ジルさま、ここではないとアンさまがおっしゃられているのでしたら、別の店も見てみますか?宝石類がいろんな意味で重いのでしたら、ドレスなんかもどうでしょう」
 女騎士が会話に入った。
 ばっさりと、余計なことを言う女である。
 王子の女騎士は一人。アヤである。

「ドレスはどう思う?服は着るだろ?」
「服は確かに。ですが、服よりも、反物の方がありがたいです。反物一つで、服だけでなく帽子や鞄、余った布でぬいぐるみなども余すところなく作れますから。流行おくれになれば、解いて別のものに作りなおすこともできますし」
「反物か……」

 王子の興味は、宝石から布ものへ移っている。
 亭主は手の中の巨大な魚がつるりと逃げていくのを感じた。
 そして巨大な魚は、どうもアデールから来た贅沢に慣れない、素材だけはとびきり良い若者に、胸ひれか尾びれを握られていた。
 このままでは完全に取り逃がしてしまう。
 もしかして、王子は一生、この店の敷居を跨がないかもしれない。

 亭主が商売人の勘が働き人生最大の危機感を抱いたことを知らず、一行は奥の部屋から出て、店の外に出ようとしていた。
 慌てて亭主は奥の部屋の隅にあった小さなものをデッサン帳の紙を破って包んだ。
 それを去り行くジルコンの手の中に押し付けた。
 亭主の不審な行動に、すぐさま大柄な騎士が割って入る。
 彼の手に武器が握られているのがわかった。だが、ここで引いてはこの店を目抜き通りの一等地に構えるところまでのし上げた、シリウス宝飾店のシリウスの名が泣くではないか。

「ジルコン王子、これは淡水ではなくまだ市場にでていない、海の貝からとれる貴重な天然真珠のラウンドです。
個人的にはその丸みの完璧さで、淡水真珠に勝るのではと思っております。これをペンダントにして彼にお渡しなさい。口ではああいっておられますが、本当に美しいものには心が開くものです。これを見る度に、あなたのことを思い出してもらえますから」
 
 シリウスは声を潜めて王子にだけ聞こえるようにささやいた。
 それは、あまりにも貴重すぎて値段をどうつけるか迷いに迷い、それっきりずっとしまわれていたものだった。

 護衛をジルコンは制した。
「……いくらだ?」
「いえ、これは値段がないものです。いつもご贔屓くださるお礼です。どうぞご笑納ください」

 王子はためらうが、シリウス亭主がほっとしたことに、意中の若者に気づかれないようにそっとその胸にしまったのだった。


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