お仕えしてもいいですか?
「二人きりで食事に行かないか?」
会議室の片づけに追われていた木綿子を壁際に追い詰めると、犬飼は間髪入れずそう言った。
(犬飼さんがなんで?どうして?)
頭を駆け巡る疑問と、例えようのない不安で木綿子の心は揺れに揺れていた。
半年前に新卒から五年勤務した総務部から営業部に配置換えでやって来た木綿子は、一目見るなり、あれが噂の犬飼桜輔だとすぐに分かった。
犬飼はおおむね社内の評判通りの男だった。
医療機器の営業マンよりも俳優やモデルと言った職業が似合いそうな色男。その一方で彼の働きぶりは目を見張るものがあった。
(こういう人っているんだ……)
木綿子は内心、感心していた。
それは例えるならテレビの向こう側にいる芸能人を間近で見た時のような、当たり前のことを改めて実感するような感覚だった。
まさにドラマや小説の主人公のような圧倒的な存在で営業部の中心にいる犬飼のことを、木綿子は一歩引いた視点で見ていた。
要するに、通常とは違った意味で犬飼のことは眼中になかったのだ。
実際、食事に誘われるまで木綿子は犬飼のことは超有能な上司としか思っていなかったし、そう接してきた。多少の憧れはあったものの、恋心に昇華するまでには至らない。同じ土俵に立てると思いあがることなく、自分の身の程もわきまえていた。
だからこそ食事に誘われて余計に戸惑った。
木綿子のような目立たない地味な女を食事に誘うなんて、良からぬことでも企んでいるのではないか。ひょっとしたら怪しげな壺でも買わされるのか。もしくは危ない宗教の勧誘ではないか。
疑心暗鬼に陥ってあらぬ心配ばかりしていた木綿子だったが、結果的にそれは杞憂に終わった。