冷徹御曹司は初心な令嬢を政略結婚に堕とす
頭の中は、ななななんでキスされたの? どういう意図があったの? もしかして、いつも女性にしてるからついとか……? なんて疑問符だらけで、混乱している。

脈拍はいまだに速いままだし、体中が赤くなっているんじゃないかというほど火照っていて、消え入りたいくらい恥ずかしい。
しかし、この状況で彼が『はい、そうですか』と見逃してくれるはずもなく。

「残念だが、今すぐにでも結婚してもらうと言ったのは本気だ。婚姻届はすでにこちらで用意しているから、君はただサインをするだけでいい」

そう言って、彼はベッドサイドテーブルの上にあった一枚の紙を手に取る。
それはまさしく婚姻届だった。

まっさらな婚姻届の〝夫〟の欄には、力強く、しかし神経質そうな筆跡で【菊永宗鷹】と記入されている。

「明日には役所へ出しに行く」

法的効力を持つはずの特別な用紙は、自分が想像していたよりも薄く、無機質に見える。

量産印刷された中の一枚で、愛や希望の物語など何も存在していない。
私が所有する十億円の株式譲渡契約を結ぶための、前段階の契約書でしかないように見えた。

……それでも、もし。彼がベストの胸ポケットから取り出した万年筆を、少しでも神聖な様子で手渡してくれたなら。

そうすれば、少しは明るい気持ちでサインできたかもしれない。
だが彼は、一切の感慨を浮かべなかった。
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