インキャでも愛されたい
遡ること5歳。
いやさっき26だったやないかいどんだけ遡るねんというツッコミはごもっともだが、これがわたしの初恋だったのだから、触れんわけにもいくまい。
幼稚園に入園したわたしは、ある男の子に恋をした。色白でいかにも秀才といったボクちゃんタイプの男の子だ。
いまとなってはナヨッとした中性的な男の子はまったく好みでないのだが、当時食パンマン様に人生のすべてを捧げていたわたしにとって、色白でなんか頭良さそうな男の子はまさにドンピシャどタイプであった。
初恋の彼の名はケンジ君。おとなしいがとても優しい子だった。
幼稚園生だというのに読み書きも完璧。運動の方は少々苦手だったが、そこがチャームポイントだった。
対して当時のわたしはというと、運動音痴のクセに体を動かすことは大好きな活発な女子。
とにかくうるさい。何をしてても目立つ。
今となってはまったく考えられない、パリピのような人格を保持していた。
そんな性格で執拗にケンジ君を追い回して家まで押しかけたりしていたのだから、彼は大変恐怖したに違いない。
読み書きもろくにできないバカと竹馬で遊ぶのはさぞかし苦痛だっただろう。
そんなケンジ君への恋心は小学生に上がってクラスが変わったことで一気に冷めてしまうのでこれ以降特筆する出来事はないのだが、ひとつだけ語らねばならないことがある。わたしという人間の本質を理解していただく上で欠かせない事件だ。
あるとき、母親が幼稚園に足を運ぶ機会があった。その際母親は、先生から衝撃の事実を告げられる。
「お母さん……実は、ワタシちゃんが……その……ケンジ君に、無理矢理……チューを……」
「?!?!?!」
当時の母親の気持ちはいかばかりか。誠に申し訳ない。
ケンジ君への恋心を抑えられなくなったわたしは、なんと先生の目を盗み部屋の隅まで彼を追い詰め、歌舞伎町のビルの影よろしくブッチュブッチュしていたというのだ。
こんな行動インキャの風上にもおけない。それどころか真逆の生き様だ。まるでゴリゴリのパリピである。
……いや、よく考えてみろ。彼らは酒が入っている。わたしなんてシラフでも意中の男の子にキスができたのだ。
しかもその状況、相手の同意が取れているかも定かではない。まったくとんでもない人間性である。
もちろん先生が相手方の親にわざわざチクることなどするはずもないので大きな騒ぎにはならずに済んだのだが、母はケンジ君ママと会うたび、少し申し訳ない気持ちになっていたらしい。
それにしてもケンジ君のことを考えると本当に申し訳ない。こんなのトラウマになってもおかしくないレベルだ。
ちなみにケンジ君とはこのあと高校まで同じ学校へ進学したが、彼には一度も彼女ができた素振りがなかった。わたしが原因だったらどうしよう。女性が怖くなっていたら本当にごめんなさい。許せとは言わないが、5歳児のやったことだから勘弁してくれ。
さて、このエピソードが何を意味するかというと、わたしは自身の本質をいったんパリピと評させていただいたが、なんのことはない。コミュ障の片鱗を見せていただけのことだった。
本物のコミュ障の皆さんにはご理解いただけるかと思うが、コミュ障とは何も人と会話が出来ず「アッ……アッ……」となるタイプの人間のことだけを指すわけではない。
人の気持ちがわからず空気も読めず、相手を困らせたり最悪な空間を形成したりしてしまう、それが本物のコミュ障である。饒舌とか無口とかそんなのは関係ないのだ。人とコミュニケーションが正常に取れない、それがコミュニケーション障害である。
一般的に想像しやすいコミュ障が「インキャコミュ障」なのであれば、わたしは完全に「陽キャコミュ障」だった。
そしてわたしは自身がコミュ障である自覚のないまま、次の恋へと進んでいくのである……。
いやさっき26だったやないかいどんだけ遡るねんというツッコミはごもっともだが、これがわたしの初恋だったのだから、触れんわけにもいくまい。
幼稚園に入園したわたしは、ある男の子に恋をした。色白でいかにも秀才といったボクちゃんタイプの男の子だ。
いまとなってはナヨッとした中性的な男の子はまったく好みでないのだが、当時食パンマン様に人生のすべてを捧げていたわたしにとって、色白でなんか頭良さそうな男の子はまさにドンピシャどタイプであった。
初恋の彼の名はケンジ君。おとなしいがとても優しい子だった。
幼稚園生だというのに読み書きも完璧。運動の方は少々苦手だったが、そこがチャームポイントだった。
対して当時のわたしはというと、運動音痴のクセに体を動かすことは大好きな活発な女子。
とにかくうるさい。何をしてても目立つ。
今となってはまったく考えられない、パリピのような人格を保持していた。
そんな性格で執拗にケンジ君を追い回して家まで押しかけたりしていたのだから、彼は大変恐怖したに違いない。
読み書きもろくにできないバカと竹馬で遊ぶのはさぞかし苦痛だっただろう。
そんなケンジ君への恋心は小学生に上がってクラスが変わったことで一気に冷めてしまうのでこれ以降特筆する出来事はないのだが、ひとつだけ語らねばならないことがある。わたしという人間の本質を理解していただく上で欠かせない事件だ。
あるとき、母親が幼稚園に足を運ぶ機会があった。その際母親は、先生から衝撃の事実を告げられる。
「お母さん……実は、ワタシちゃんが……その……ケンジ君に、無理矢理……チューを……」
「?!?!?!」
当時の母親の気持ちはいかばかりか。誠に申し訳ない。
ケンジ君への恋心を抑えられなくなったわたしは、なんと先生の目を盗み部屋の隅まで彼を追い詰め、歌舞伎町のビルの影よろしくブッチュブッチュしていたというのだ。
こんな行動インキャの風上にもおけない。それどころか真逆の生き様だ。まるでゴリゴリのパリピである。
……いや、よく考えてみろ。彼らは酒が入っている。わたしなんてシラフでも意中の男の子にキスができたのだ。
しかもその状況、相手の同意が取れているかも定かではない。まったくとんでもない人間性である。
もちろん先生が相手方の親にわざわざチクることなどするはずもないので大きな騒ぎにはならずに済んだのだが、母はケンジ君ママと会うたび、少し申し訳ない気持ちになっていたらしい。
それにしてもケンジ君のことを考えると本当に申し訳ない。こんなのトラウマになってもおかしくないレベルだ。
ちなみにケンジ君とはこのあと高校まで同じ学校へ進学したが、彼には一度も彼女ができた素振りがなかった。わたしが原因だったらどうしよう。女性が怖くなっていたら本当にごめんなさい。許せとは言わないが、5歳児のやったことだから勘弁してくれ。
さて、このエピソードが何を意味するかというと、わたしは自身の本質をいったんパリピと評させていただいたが、なんのことはない。コミュ障の片鱗を見せていただけのことだった。
本物のコミュ障の皆さんにはご理解いただけるかと思うが、コミュ障とは何も人と会話が出来ず「アッ……アッ……」となるタイプの人間のことだけを指すわけではない。
人の気持ちがわからず空気も読めず、相手を困らせたり最悪な空間を形成したりしてしまう、それが本物のコミュ障である。饒舌とか無口とかそんなのは関係ないのだ。人とコミュニケーションが正常に取れない、それがコミュニケーション障害である。
一般的に想像しやすいコミュ障が「インキャコミュ障」なのであれば、わたしは完全に「陽キャコミュ障」だった。
そしてわたしは自身がコミュ障である自覚のないまま、次の恋へと進んでいくのである……。