ビッチは夜を蹴り飛ばす。
「スズリ」
そう、呼んだ。
何一つわからない英語の錯綜の中で届いた単語は他の何よりも抜きん出て、え、って散瞳した目が、伏せた視線が、顔を上げたあたしが、
—————————奥から出てきた硯くんを視認する。
「It would be nice! This is Nipponjin! It ’s the best.
(素敵でしょう! これでニッポンジンなんだって! 最高よ)」
羽がついたような大きめのアウターを纏った痩躯、烏みたいな全身黒の出で立ちに頬に貼られた絆創膏が、ついさっきあたしが貼ったそれと全く同じだったから間違いない。え、って声を漏らすあたしを冷たく光った鈍色が捉えるから、すずりくん、って軽く笑って呼んだらその唇に、
ミレーナが熱いキスをした。
…なんで。
「…硯くん、嘘でしょ、なんで?」
「鳴」
呼ばれてなに、って聞いたら前屈みになった硯くんに前髪を掴まれる。以前海塚たちにされたのと似てて涙が出る。
「お前にはほとほと愛想が尽きた」
「………そんな悪役の上官みたいなこと言われても」
頭が追いつかなくて信じられなくてぽろ、と泣きながら笑ったらくっと首を絞められた。そのまま顔が熱くなって息ができないというのに、目の前の硯くんに殺されるならそれでもいいか、と思えてくる。
やめなさいよと叫ぶジュリアンもワンパンで薙ぎ払って、建物の柱がガヒョン、と音を立てたのと同時にジュリアンの影が動かなくなった。どんどん霞んでく視界と涙に硯くんの目だけがあたしを捉えていてだめだ、どうしようもなく泣けてくる。
「………硯くん」
倒れた地面に寝転んだらミレーナと消えていくその影だけが見えて、光に溶けていく黒に手を伸ばしたらそこでぷつ、と事切れた。