ビッチは夜を蹴り飛ばす。
『早いのね』
備え付けられた鏡の中の自分が烏みたいな格好だな、と思っていたら寝室から出てきたバスローブ姿のミレーナと目があった。
『あなたのために極上のスイートルームを用意したのだけれど、お気に召さなかったかしら』
視線を伏せれば、もうすぐ近くまで来ていた彼女が顔を覗き込んでくる。
『やだ、あなたその絆創膏血が滲んでるわ、せっかくの綺麗な顔が台無しよ。取り替えてあげましょうか』
『いらない』
触るな、と伸びてきた手を払ったら一度驚いたような表情をしたミレーナとまた鏡越しに目があって、そのまま手の甲で絆創膏をなでたら背中にゆっくりと寄り添われた。
自分が纏う黒のフェザーコートに彼女の金髪が絡み付いて、羽の上に金が流れる。
『ごめんなさいね、こんなことに巻き込んでしまって…ああでも言わないとジュリアンは引き下がってくれなかった。
でも珍しいわ、あなたみたいなのは初めてよ。今までの用心棒は私のお願いにいつだって肉体関係を求めてきた、私を襲わないのね』
「…あんたに興味がないからね」
『え? なんて言ったの?』
急に日本語じゃわからないわと言うから適当に〝恐れ多い〟みたいなことを伝えたら買い被りすぎだと笑われた。背中に寄り添った彼女にそのままゆっくり抱き締められて、その目がとことんこういう存在をあくまで愛玩品としか思っていないことを認識する。
『あなたは他のそれらとはまるで違う』
鏡越しのミレーナの眼がどこともない虚空を見た。
『…全てはジャンのため』
「ジャン?」
「Milena's endorsement is the key to her lover. It looks like she's poured in.
(ミレーナのお墨付き、って言う名の要は恋人ー。彼女相当注ぎ込んでるみたいよ)」
かつてジュリアンのお店の従業員の一人で今は自称フリーの情報屋、というレベッカの情報によると、ミレーナがジュリアンのバーをやめてあの裏カジノの支配人になったのは、そのジャンという男が深く関わっているらしい。