ビッチは夜を蹴り飛ばす。
『いつもありがとう、スズリ』
『ついでなんで』
わざわざ買い出しに行くのに遠出するのも大変でね、アパートの管理もあるし、と頬に手を添える管理人のマリーさんは、今日もパーマを当てたホワイトの髪に西洋風のワンピースを着ている。
かごに詰めた果物やジャム、バターなんかの商品を微笑ましく眺めてはそうだ、メイにクッキーを焼くからまた取りに来てくれる? と提案された辺りでドン、と上から物音がした。みし、みし、と足音がして、真新しいマンションの砂埃がパラパラと降ってくる。
『やだ、地震?』
『…じゃなくてたぶんうちのですね』
『メイ、ダンスでも始めたの?』
『そんなとこです』
「鳴 ダンスはいいけど一階に響くからもうちょっと大人しくしろ」
家の戸を開くなり爆音で届くエクササイズ音と思しき番組の声に、聞こえてないとわかると速やかに廊下を進めばダイニングで小躍りする姿が見えた。いるし。
鳴が暴れたことによって床にとっ散らかったタオルや服の残骸を拾いあげると、ダンスに明け暮れる姿に改めて声をかける。
「おい怪獣」
《ハイ! ラストダンス! 足を高く上げてジャンプジャンプ!!》
「じゃんぷじゃんぷ!!」
「聞け」
「ふぶす」
背後から容赦ない回し蹴りをくらってソファにぶっ飛んだ。やがてリモコン操作でエクササイズの息の根を断つ音がしてダイブしたソファから涙目でがばっと起き上がる。
「硯くんが蹴った!! バイオレン硯!!」
「響いてんだよお前の足音が一階まで。近所迷惑考えろ」
「だって!!」
「だってじゃない」
口答えすんなら喧嘩する? ってギラついた目に見下ろされれば青ざめて顔を左右に振る。その時すでに口元鷲掴みにされて取れる身動きすら曖昧だったけど、たぶんこういう反応を散々見てきたんだろうから硯くんは察したように荒っぽく解放してくれた。当たり前だ。硯くんと喧嘩したら死人が出る(あたしが屍になる)。
散らかってんの片せ、これ洗濯機でいいの? ってお母さんみたいに環境整備に移る硯くんに、その時すでにダイエットは7日目になっていた。体重は、結果を楽しむためまだ見てない。
ねえ硯くん違うんだよ。あたしがなんのために頑張ってるかわかってる?