ビッチは夜を蹴り飛ばす。
あ、死んだ。
つんだ、と白目を剥いたと同時に後ろから「…お兄さん?」って声が降ってきて、ぎぎぎと振り返れば察した硯くんがゆっくりと瞬いて視線だけを滑らせる。
「…お兄さん、へえ、お兄さん。ふーん」
「あっ、の」
足を踏まれていたっ、って声を出したら首に腕を絡めた硯くんにずるずる連行されてあれよあれよという間に廊下の先のトニーの前まで連れてかれる。で。
「どうも。いつも妹がお世話になってます」
「わ———!! やっぱり!! メイから話は聞いてるよ!!」
まるで芸術作品だ! って抱擁するトニーの背骨折られないかと心配したのも束の間で硯くんはトニーの背中を軽くトントンしただけだった。いやそんなのはどうでもいい、あたしたぶん今夜死ぬ(物理的に)。
出だしがそんなだったからもうこのまま修羅場を迎えてトニーの首はもがれんじゃないかと内心冷や冷やしてたけど、硯くんも曲がりなりにも大人なわけで、さすがに気に食わないからって初っ端から相手を傷つけるような人じゃなかった。
てか当然である。これで殴ったりしたら嫌いだ、ってふんす、と鼻息を鳴らすとメイ? ってトニーに覗き込まれた。
「あ、ごめん」
すったもんだあっていまは、リビングのテレビとか座卓がある方でトニーと並んで勉強をしている。
「この本の文法めちゃくちゃわかりやすいと思わない? 最近改訂版が出たんだよ、お話になっててわかりやすいし、僕も日本語はこの本の日本語版で勉強したんだ」
「た、たしかにわかりやすい。ここあってる?」
「どれどれ?」
隣に座ってたトニーがひょい、と覗き込んできた途端キッチンの方のテーブルががた、と音を立てた。…自分の部屋行けばいいのに、そう、さっきから硯くん、さっきからっていうかはじめっからそこにいるのだ。本を読んでる。という名の、
監 視 を し て い る 。
こっちには背中向けてて見えないはずなのに背中に目でもついてんの? と思うけど珈琲飲んでる姿が様になりすぎてるのでなんも言えない。なんかな。違うんだよ硯くん。あたしとデートの時ですら寝癖満載だったくせに(いやそれは二時間睡眠だったからだが)トニーに対してガチで決めてくるの何。あたしがトニーに嫉妬するわ。