ビッチは夜を蹴り飛ばす。
 

 視界が闇に覆われる。


「………がう…ちが…それ、あたしじゃない…」

《え? 何? あら電波悪いな聞こえないもしもーし》

「ナカジ逃げて!!!!!」

《 え、 っ》


 そこで、鈍い音が鳴った。

 スマホが地面に叩きつけられてキン、と嫌なハウリングを起こし、耳から離してからはっとしてスマホにしがみつく。


「───やだ…やだ、ナカジ、ナカジ、ナカジ、ナカジ! 返事して!!」


 泣き噦る声に紛れて騒ついてる人の声が聞こえてくる。「大丈夫か」「すげー音したぞ」の声に紛れて女性の悲鳴と「誰か救急車呼べ女の子が!!」と鬼気迫る男の人の声が聞こえてくる。
 程なくして届く救急車のサイレンに、頭が真っ白になって動けない。音が。声が。全部全部遠ざかって消えていく。それでも自分の泣き声だけは鬱陶しいくらい鮮明で。へたり込んでぐずぐずになったあたしがスマホに額を付けるように蹲ると、



「賞金100万」



 という男とも女とも取れる声が耳を舐めて切電した。














「ナカジッ」


 あたしを装った誰かに呼び出されて約束の場所の歩道橋で待っていたナカジは、そこから誰かに突き飛ばされた。
 階段のてっぺんから下まで容赦なく転げ落ちて、打ち所が悪ければ死に至るところだったと、医者は言う。そう。奇跡だった。生きてることなんて。

 ナカジが目を覚ましたのは事件があってから三日後で、そこに駆け付けたあたしに、ぼろぼろになって頭やほっぺに包帯やガーゼを付けたナカジは外を見ていた視線をあたしに向けて、へにゃって情けなく笑ったんだ。


「ナカジ…」

「わー、トド。見て、へへ、そこかしこぼろぼろ」

「………ごめん、ごめんナカジ」

「なぁんでトドが謝るのさー。ほら、笑って笑って」


 すまーいる。って包帯ぐるぐる巻きの両手で口角を持ち上げて、それでも笑えないでいたらナカジの目が、笑いながら涙した。ぽろ、ぽろって落ちて、胸がぎゅって掴まれて、どうしようもない想いに死にたくなる。


「………あのね、トド、あたし、今度の個人戦出られないんだって」

「………」

「もうテニス出来ないんだって」


 くしゃ、って潰れて、いよいよ堰を切ったように子どもみたいな大声で泣き喚くナカジに、あたしは呆然と立ち尽くす。

 全部あたしのせいなのに、ナカジが目の前で泣いてるのに、それを黙って見てただ立ち尽くすことしかできなかった。


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