麗羅の青春期~10代編~義務教育
幼少期時代の教訓⑫認知症の家族
両親はなんやかんやで、続いていて、
私が小学5年ぐらいから共働きでした。
おばあちゃんの入院きっかけで共働きにっなてました、
家に帰ったら、おばあちゃんが危ないかもって
早速、病院に行きました。
おばあちゃんは、認知症を患い
うちらの事は接する時間が多いから、
忘れへんかったりしてたけど、
クリニックの先生を息子と勘違いして笑顔で話したり、
息子を知らん人やという、認識で
睨んだり
大変でした。まだ動けるときには
かかりつけの医院の人が家に来て診察してくれていたけど、足腰も弱り立てなくなってきてたので入院して、1年。
人間動けなくなったら、寿命が近いです。
病院からの電話で、その日の夜に
還らぬ人となりました。
慌ただしく出入りしていく、看護婦さんたち
誰もなにも言うてないのに
ヘルパーさんが戻ってきた
何で?なんかしたん違うの?
親戚もやってきた。
そこで初めて嫁いびりがエグかったと気づいた時だった。
母にむかって、
だからあづけるのイヤやってん人殺しって
吐いて、違う場所にいってた。
今まで良くしてもらってきた、おばあちゃんやったけど、それ聞いて腹が立った。
葬儀やに電話し、いろいろ準備がある。
おばあちゃんの家がまだあった頃だから、葬儀を家でやった。
学校を休み、葬儀で久しぶりおじいちゃんにあった。
おじいちゃんはアル中で大和川病院にはいってた。
性格までも変わって帰ってきた。
おばあちゃんの葬儀を終え、余韻にひたる間もなく。
おじいちゃんと同居が決まった。
そして、戻ってきた祝いだから、
ちらし寿司を母と一緒に作った。
私が小学5年ぐらいから共働きでした。
おばあちゃんの入院きっかけで共働きにっなてました、
家に帰ったら、おばあちゃんが危ないかもって
早速、病院に行きました。
おばあちゃんは、認知症を患い
うちらの事は接する時間が多いから、
忘れへんかったりしてたけど、
クリニックの先生を息子と勘違いして笑顔で話したり、
息子を知らん人やという、認識で
睨んだり
大変でした。まだ動けるときには
かかりつけの医院の人が家に来て診察してくれていたけど、足腰も弱り立てなくなってきてたので入院して、1年。
人間動けなくなったら、寿命が近いです。
病院からの電話で、その日の夜に
還らぬ人となりました。
慌ただしく出入りしていく、看護婦さんたち
誰もなにも言うてないのに
ヘルパーさんが戻ってきた
何で?なんかしたん違うの?
親戚もやってきた。
そこで初めて嫁いびりがエグかったと気づいた時だった。
母にむかって、
だからあづけるのイヤやってん人殺しって
吐いて、違う場所にいってた。
今まで良くしてもらってきた、おばあちゃんやったけど、それ聞いて腹が立った。
葬儀やに電話し、いろいろ準備がある。
おばあちゃんの家がまだあった頃だから、葬儀を家でやった。
学校を休み、葬儀で久しぶりおじいちゃんにあった。
おじいちゃんはアル中で大和川病院にはいってた。
性格までも変わって帰ってきた。
おばあちゃんの葬儀を終え、余韻にひたる間もなく。
おじいちゃんと同居が決まった。
そして、戻ってきた祝いだから、
ちらし寿司を母と一緒に作った。