心の鍵はここにある
 何言ったと言われても、返事に困る。

「こいつはどんな時でも余裕のある表情を崩したことないのに、やっぱりすごいな、彼女(五十嵐さん)の威力は」

 何だかとんでもない発言が飛び出してきた。
 というか……、先輩がなぜ照れたのかがわからない。
 きっと過去の彼女たちに呼び捨てで名前を呼ばれていただろうに、やはりさん付けだから珍しかった?
 高校時代のバレー部の後輩たちは、直さんと呼んでいた。
 当時の私は、何と呼んでいた……?
 たしか直先輩、だったな。たった、数か月だったけど。
 あの日、あの言葉を聞いてからは呼べなくなってしまったけれど。

 それからしばらくの間、みんなで歓談していたけれど、みんな翌日も仕事なので、まあまあ早い時間に解散となった。
 小料理屋の前で、藤岡主任と春奈ちゃんと別れて、私は駅の方へ向かおうとすると、背後から呼び止められた。

「里美、まだ時間、いいか?」

 先輩の目は、私を射抜くように見つめている。
 この目で見つめられると、身動きが取れなくなってしまう。

「いえ、今日はもう帰ります。やりかけていることがありますので」

 電車の時間も確認していなかったので、駅方面へと向かう私の隣に並んで歩き始めた。

「じゃあ、駅まで送る。最寄駅はどこ?」

 歩きながらも会話は続く。
 私が駅名を告げると、先輩も偶然同じ駅が最寄りの駅だそうで、お互いが驚いた。

「通勤も今まで気付かなかっただけで、もしかしたら一緒の電車だったのか……。何だか惜しいことをした」

 嘘ばっかり。そんなこと、思ってもいないくせに。
 私の心の中に、どす黒い感情が渦巻いている。

 騙されちゃダメ。
 信用しちゃダメ。
 また、好きになっちゃダメ。

 あの頃のようにまた泣くことになるなら、これ以上は踏み込まない。
 あの日、あの時に心に鍵をかけて、恋心は封印した。
 私はあふれ出てくる過去の感情に蓋をするのに必死だった。
 駅に着くと、タイミングよく電車が入ってきたので一緒に乗り込んだ。
 帰宅ラッシュの時間帯を外れているおかげで、車両は空いている。
 先輩は私をシートに座らせて、私の前に立った。
 身長が高いだけに、目の前に立たれると、かなりの威圧感がある。
 何となく、流れで先輩の彼女になってしまったけれど、これでいいのだろうか。

今回も『今日から彼女』と言われたけれど、『好き』とは言われてない。
 これって、付き合う意味があるのだろうか。
 それこそ私は都合のいい女ではないだろうか。
 そもそも私、彼女扱いする意図がわからない。
 なぜ、私なんだろう。
 また、あの頃の繰り返しなのだろうか。
 私は電車に揺られながら、過去に思いを馳せた。
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