心の鍵はここにある
 一方的な物言いにカチンときたけれど、ここは冷静に話をせねば。私は一度深呼吸して、口を開く。

「言葉ですが、まだ付き合い始めたばかりの設定で、相手が三年の先輩なので敬語禁止は無理です。それから名前呼びですが、これも私にはハードルが高すぎます。その辺り妥協して下さい」

この人、私の訴えをあっさり却下しそうな態度だけど、これは譲れない。

「先輩は恋愛経験豊富でしょうから、色んな女の子たちを見てるでしょうけれど、私は初めてなんです。カレカノとか、お付き合いとか……。だから、芝居とは言え、その辺は……」

 私の言葉に反応する越智先輩。

「へえ、初めてなんだ?」

 越智先輩は、ニヤリとするとジワリとにじり寄ってきた。
 徐々に距離を詰めて来るし、身長差があるから、圧迫感が半端じゃない。
 何だかヤバイ雰囲気だ。

「じゃあ、こんなことも、初めて?」

 俗に言う、壁ドン。背後にはもう逃げ場がない。
 やばい、もう無理だ。そう思うと急に胸がドキドキして熱くなっていく。
 これは、もしや、キスされる……?
 いやいや、カレカノとは言え、これはお芝居。
 何だか急に怖くなり、私はとりあえず無駄な抵抗かもだけど、精一杯睨んでみる。
 でも、先輩の顔が徐々に近づいて来る。

 うわぁ、もうダメだ、やられてしまう……。咄嗟に目をギュッと閉じて顔を背けた。
 途端に先輩は、声を殺して笑い出した。
 私は、呆然としてその様子を見ていたけれど、次第に怒りがこみ上げる。

「いい加減にして下さい! 私はあなたのおもちゃじゃありません!」

 私は力任せに先輩を突き飛ばして、舞台袖から飛び出して体育館裏へ逃げた。
 先輩なんてもう知らないっ。
 何で私がこんなリスクを背負ってまでマネージャーやらなきゃいけないの!
 しかも、からかうなんて酷すぎる。
 まだ何もやってないけど、マネージャーなんて辞めてしまいたい。

 体育館裏にだれもいないことを確かめると、私はその場にしゃがみ込み、声を殺して泣いた。
 あんな人、好きなんかじゃない。
 もし、あの人のせいで嫌がらせを受けたら、即刻マネージャーなんて辞めてやる。
 何を言われてももう知らない。何度涙を拭っても止まらなかった。

 これは先輩にからかわれて悔しいから?
 それとも、彼氏の芝居に騙されて惚れるなと言われた言葉に対して?
 どちらにしても、私は偽物の彼女なのだ。『勘違いするなよ』の言葉が、胸に重く響く。

 気持ちが少し落ち着いたところに、遠慮がちな足音が聞こえた。
 多分、私を泣かせた張本人だろう。
 私は無視して涙を拭う。
 足音は私の目の前で止まり、大きな影ができたかと思うと、脚を開いて私を囲むように正面に座った。

「ごめん、度が過ぎた」

 先輩の大きな手が私の頭に触れたけど、私は無視を貫いた。

「こっちの都合で無理矢理マネージャーお願いしたのに、嫌になって辞めたりしないでくれ。……里美のこと、大事にするから」

 先輩の言葉は、まるで本当の彼女に向けて発しているみたいだった。
 下手したら俳優になれるレベルの感情移入だ。
 これで勘違いしない方が、おかしい。
 でも、気持ちを伝えたらそばにいられなくなるのはわかっている。
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