心の鍵はここにある
「……おい、スルーかよ。……まぁいいや。
そのうちゆっくり解らせてやるから。じゃあ、頂きます」
先輩はきちんと手を合わせて、私が作ったご飯を食べ始めた。
昨日は気付かなかったけれど、先輩のお箸の使い方は、見ていて綺麗だ。お箸の持ち方も正しくて所作も美しい。
「……うん、美味い!」
カメラ目線ではない素の顔の先輩の笑顔を、ナイスタイミングで撮影する事が出来た。
家族には、これを見せよう。
食事の邪魔にならない様に席を立ち、食後のお茶を用意しながら、結局明日の献立を改めて考えなきゃと、冷蔵庫のドアを開けた。
「……明日、何にしようかな」
結局何も思い浮かばない。
先輩に聞こえない様に呟いて、冷蔵庫のドアを閉め、お茶を淹れてテーブルに運んだ。
先程食事を済ませていると聞いたものの、用意した量は綺麗に食べられて、もうすぐ全ての器が空になっていく。
成人男性の食事の量が今ひとつ分からない私は、お茶を出した時に聞いてみた。
「先に食事を済ませてたんですよね。その上に、結構これも腹持ちしますが大丈夫ですか?」
「心配してくれるのか? ありがとう。大丈夫、藤岡達との食事は軽く済ます程度だったから」
お茶の入ったグラスを受け取り、先輩は一気に飲み干した。
「……で、来週は俺も一緒に行かなくていいのか?」
グラスをテーブルの上に戻した先輩は、私に問う。一緒に来られても辛いだけだから、一人の方がいい。
私は頷く。
「空港に、さつきに迎えに来てもらうから。きっと、先輩と一緒だったらさつきも驚くし……」
さつきの名前を出すと、先輩はすんなりと引き下がった。
私が転校してからさつきと何かあったのだろうか。さつきも、先輩の事は何も言わない。
「……食事も終わったみたいですね。そろそろお引き取り下さい」
私は先輩の使った食器を下げて、荷物を玄関へ運ぶ。
先輩は、立ち上がって私の後ろをついて歩くから油断していた。
「里美……」
不意に、背中から抱きすくめられ、身動きが取れない。
元々身長が頭一つ分くらい違うのだ。先輩の胸の中にすっぽりと埋もれてしまう。
後ろから抱き締められて、私の頭上に先輩の頭の重みを感じる。
突然の事で、身体が、心が、動かない。
先輩の抱擁は、ほんの数秒の事だったけれど、私には、数分にも感じる長さだった。
「……おやすみ。晩ごはん、嬉しかった」
先輩は抱擁を解くと、玄関に私が置いた鞄を持って、部屋から出て行った。
私は、先輩が出て行った後もしばらくの間、動く事が出来なかった。